Thank You for Smoking   サンキュー・フォー・スモーキング   (2006年4月)

タバコ産業のロビイスト、ニック・ネイラー (アーロン・エッカート) は国を挙げてのタバコ産業に対する逆風の中、持ち前の口の巧さを生かしてタバコ産業のために今日もロビー活動に専心する。業界のドン、キャプテン (ロバート・デュヴォール) の後押しも受け、ハリウッドのスーパー・エージェント、ジェフ・ミゴール (ロブ・ロウ) にスーパースターにタバコを吸わさせるという作品企画を依頼するニックだったが、一方で多感な年頃の息子のジョーイ (キャメロン・ブライト) の教育問題にも頭を悩ますのだった‥‥


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クリストファー・バックリーの同名原作 (邦題: ニコチン・ウォーズ) の映像化。とはいえ私は予告編でこの作品のことを知って面白そうだと思って劇場に足を運んだので、実際に作品を見るまで原作があることはまったく知らなかった。いずれにしても、タバコのパッケージの意匠とちょっとオールディーズ的な音楽を用いたオープニングはかなり洒落たセンスを感じさせ、期待させる。


私事で恐縮だが、私は一応スモーカーではあるが、実は2か月ほどタバコを吸ってない。ここ数年、アメリカでのタバコの値上がりは空恐ろしいくらいで、安売りのドラッグ・ストアで買っても一箱6、7ドルしちゃうし、バーとかで買おうとすると10ドルとられることもある。やはりタバコ一箱1,000円したら、誰だってそれまではほとんど無意識に手を伸ばしていた先にある一本に火をつける時に、ふと考えると思う。1本50円はどう考えたって高い。


もちろん、こういう時勢でもあり、一服する一時の心の平安のために肺ガンになってたら世話ないな、やめようかなと思っていたのは事実ではある。うちは母方はガン家系だし、昨年、ABCのニューズ・アンカー、ピーター・ジェニングスがタバコの吸い過ぎで肺ガンで死去したのもこたえた。ノン・スモーカーのうちの女房も、地道にプレッシャーをかけてくる。ま、そういうのもあって、ちょうど買い置きのタバコが切れた時に、では本当にどうしても吸わずにいられないというのでもなければ吸わないでみようかなと考えていたら、いつの間にか2か月経っていただけの話である。


別に本気でやめると決心したわけではないので、吸おうと思えばいつでも吸えるという逃げ道を用意してあったのも、気楽に禁煙できるということで逆にプラスに作用している。結局人にタバコをやめさせるには、ニコチン・パッチよりも催眠療法よりもガンの恐怖よりも、経済的プレッシャーが一番効くのであった。実際、自治体としては、タバコの値上げは一方で収入を増やし、もしそれで煙草をやめるスモーカーが増えて収入が減っても、それはそれで嫌煙家の支持を得ることができる。どちらに転んでも目は吉と出るから、アメリカのタバコ代は値上がりするばっかりだ。


そういう、たぶん私みたいな状況に置かれている者が倍々的に増えつつあるであろうと思われる、スモーカーにとっての冬、いや氷河期の時代にあえて完全に真っ向から勝負を挑むのが、「サンキュー・フォー・スモーキング」の主人公、ニックだ。人より口の立つニックは、今やアメリカで最も毛嫌いされていると言っても過言ではないタバコ業界の再興のために、日夜努力を惜しまない。


とはいえニックが死ぬほどタバコが好きで、片時もタバコから手がはなせない愛煙家かというと、実はそうではない。一応スモーカーという建て前になっているとはいえ、映画の中でニックがタバコを吸うシーンは一度もないのだ。後半、急進的嫌煙家によって拉致されたニックが身体中にニコチン・パッチを貼られて急性ニコチン中毒にやられる時に、助かった理由がニックがタバコをたしなんで多少の免疫ができていたからと医者が説明するまで、実は我々にはニックが実はスモーカーかどうかすら定かではないのだ。


また、それ以外でも、キャプテンと呼ばれる伝説的男を演じるロバート・デュヴォールを除いて、主要人物はまずタバコを吸わない。窮状を脱すべく、ニックを含めた業界関係者がその打開策を云々する会議で、では全員スモーカーで煙でほとんど前が見えないような中で会議をするのかというと、まったくそうではない。実は禁煙になっているのではないかと思えるほどクリーンな会議室の中でこの会議は進んでいる。つまり、彼らにとっては人にタバコを買わさせるというのは、ビジネス以外の何ものでもない。自分がタバコをたしなむかどうかではなく、人にものを売りつけるのが巧い奴らが集まっているだけだ。もしマリファナが合法になったら、彼らはハイになるというのがどういうのかを知らなくても巧いマーケティング方法を考え出すだろう。


実際の話、合成洗剤を売っている奴らがみんな洗濯好きかというと必ずしもそうではないだろうし、ひげ剃りを売っている奴らがみんなひげが濃いわけでもあるまい。別にタバコ産業で働いているからといって、必ずしもスモーカーでなければならない理由はないのだ。現実にニックに扮しているエッカートは、私の印象では実はノン・スモーカーくさい。彼は私生活ではタバコを吸わない方に賭ける (こういう賭けをして勝った試しはないのだが。)


この作品を見て思い出すのが、こういう嫌煙時代に徹底して反抗する姿勢を示し、それこそ「コーヒー&シガレッツ」という全編にタバコの煙が満ち溢れているような作品を撮ってしまったジム・ジャームッシュや、やはり全編にわたって登場人物がタバコを吸いまくった、ジョージ・クルーニーの「グッドナイト&グッドラック」だ。よく見ると両タイトルとも途中で「&」が挟まり、モノクロで撮られているところもそっくり。要するにやはり現代ではタバコが肩身が狭いものになりつつあるという感じが濃厚だ。


それが「サンキュー・フォー・スモーキング」ではカラー作品になって、その上登場人物はほとんどタバコを吸わない。要するにこの作品では愛煙家を擁護することがテーマなどでは最初からないからだ。たまたま口が立つため落ち目のタバコ産業からスカウトされた男が、口八丁手八丁で逆境を乗り切ろうとする。時代に逆行し、孤立無援の男がその上一人息子には親としての役目を果たそうと奔走するという、実はハート・ウォーミングなハードボイルド・コメディが「サンキュー・フォー・スモーキング」なのだ。


現在、タバコ産業と並んで肩身の狭い思いをしている業界として、アルコール業界、武器 (銃器) 業界等がある。彼らは人に嫌われる業界の代表として密に横の連絡を取り合っている。アルコール業界のロビイストがマリア・ベロ、銃器業界のロビイストがデイヴィッド・コークナーで、その二人を相手にタバコ業界を代表するエッカート (ニック) が、タバコによる死者はあんたら業界のおよぶところじゃないと自慢するところがおかしい。


ニックと敵対する健康志向のヴァージニア州知事に扮するのがウィリアム・H・メイシーで、こういう偽善家ぶって最後に足元すくわれるという役がこれほど似合う役者もいまい。ニックが企画を頼みに行くハリウッドの日本かぶれのスーパーエージェントに扮するのがロブ・ロウ、彼のアシスタントに扮しているのはFOXの「O.C.」に出演中のアダム・ブロディだ。まだ生きていた肺病病みのマールボロ・マン (現実に存在していたという設定がおかしい) に扮するのはサム・エリオットで、本当にそれらしく見える。ニックと寝て特ダネをものにする記者に扮するのはケイティ・ホームズ、ニックの上司に扮するのはJ.K.シモンズだ。


こういう脇役を見ているのも楽しいが、しかしこの作品は主人公ニックを演じるエッカートと、その息子ジョーイを演じるキャメロン・ブライトの作品である。エッカートの実力は「抱擁 (Possession)」等で知っていたが、実は最も印象に残っているのは、「ミッシング」でのあまりにも残酷な殺され方だったりする。時々呼ばれて出演する深夜トーク・ショウとかを見ると、こんなんでよく俳優できるなと思うくらいシャイで無口なのに、これがいざスクリーンに出てくると、特に今回の場合、ほとんどマシンガン的に喋りまくって相手をけむに巻く。俳優ってのは面白い。


一方、ブライトがスクリーンに登場した時、げっ、こいつ、「バース」でニコール・キッドマンに愛を告白する変態坊やを演じたあの不気味君ではないかと驚いたのだが、その彼がここではどちらかというと普通の坊やを演じていて、それもかなりいい。「バース」での何を考えているのかわからなかった不気味な瞳が、こちらではちゃんと無垢な澄んだ瞳に見える。どちらもたぶん同じ本質のネガとポジなのだろうが、思わず感心してしまう。あの歳でこれだけ役幅広げられるか。大したもんだ。監督は「ゴーストバスターズ」や「デーヴ」で知られるアイヴァン・ライトマンの息子ジェイソン・ライトマンで、どちらかというとジェイソンの方が少し毒がありそうだ。







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