1960年代、ワシントンDCのAM局WOL-AMのディレクター、デューイ (キウェテル・イジョフォー) は就役中の弟を訪れた刑務所で、DJをしていた囚人の一人ピーティ (ドン・チードル) の知己を得る。出所後、ピーティは職を得ようとデューイの元を訪れるが、デューイは本気でピーティに職を斡旋しようと考えていたわけではなかった。しかしピーティは強力に就職活動を展開、根負けしたデューイは一度だけピーティにチャンスを与えると約束する‥‥


__________________________________________________________________


「再会の街で (Reign over Me)」「オーシャンズ13」と既にこの半年で出演作が2作もあるドン・チードルの最新作。プラス共演は「インサイド・マン」のキウェテル・イジョフォーで、現在最も脂の乗っている黒人男優の顔合わせという印象が強い。この二人なら誰が撮ったどんな作品に出ていても食指は動くと思うが、60年代のラジオ局を舞台にし、チードルがアフロ・ヘアで演じている写真を見ると、もうそれだけで見に行かなくてはと思う。


黒人男優というと、アクションもこなせるデンゼル・ワシントンと、その上ギャグも行けるウィル・スミスが現時点で最も知名度があって活躍している俳優の筆頭だろう。音楽が絡むとジェイミ・フォックスや、一時期その手の作品の全部に出ていたという気がするテレンス・ハワードらも思い浮かぶが、単純に今が最も旬という点で、チードルとイジョフォーという名前は双璧という感じがする。よくこの二人を抜擢した、というか、この二人が四つに組める題材がうまい具合にあったもんだと思う。


舞台は60年代、市民権運動が盛り上がっている時代の首都ワシントンD.C.で、そこのAMラジオ局WOL-AMはなんとかリスナー数を伸ばそうと四苦八苦していた。ディレクターの一人デューイは黒人で、同様に黒人のDJのサニー (ヴォンディ・カーティス-ホール) や (セドリック・ジ・エンタテイナー) を起用した人気番組がないこともなかったが、すでに人気は頭打ちで、経営者のソンダリング (マーティン・シーン) は始終デューイを中心とするスタッフの面々に発破をかけていた。


デューイの弟は罪を犯して刑務所入りしており、デューイはほとんど義務のように定期的に面会に行っていたが、ある時そこで偶然刑務所内のラジオでDJを担当しているピーティと面識を得る。お調子者のピーティはデューイがほとんど挨拶代わりに言った言葉を覚えていて、出所後早々に仕事がもらえるもんだと思い込んでデューイに会いにいく。体よくあしらわれたピーティはラジオ局前の路上でプラカードを持って局を弾劾するなど示威行動に走り、根負けしたデューイは一回限りとソンダリングを説得してピーティをDJに起用する。


しかし口と裏腹に根が小心者のピーティは、よりにもよって一世一代の正念場というマイクを目の前にして緊張のあまり何にも言えなくなってしまう。周りの叱咤激励によりなんとか自分を取り戻したピーティは持ち前のしゃべりを発揮するが、しかし、自分自身をさらけ出せばいいというアドヴァイスによって本当に自分の言いたいことを言い始めたピーティのしゃべりは、当時の放送コードとしてはまったく容認できるものではなかった。結局ピーティはソンダリングの激怒を買い、一日限りでお払い箱になる。


しかし同様に傷心のデューイがその日バーで一人酒をたしなんでいると、黒人の客が話題にしているのはその日のピーティのおしゃべりのことだった。本心では思ってはいても誰も表立って口にすることのなかった話題を公共の電波に乗せたピーティの心情は、確実に人々に伝わっていた。デューイはもう一度ピーティを起用する決心をするが、しかしソンダリングの了承を得ることは不可能と判断し、実力行為に出てステュディオ・ジャックし、秘密裏にピーティを招き入れて放送を開始する。慌てたソンダリングらは放送を辞めさせようとステュディオに殺到するが、それと時を同じくしてかつてない規模のリスナーが放送を聴いて局に電話をかけてきていた。ソンダリングはその反響を見てピーティを使い続ける決心をする。ピーティの時代が、今、始まろうとしていた‥‥


とまあ、こういう展開を書いただけで充分話の面白さは伝わると思う。なんというか、こういう話はハリウッド映画、インディ映画に限らず、アメリカ映画が得意とする十八番のようなものだ。監督はアメリカではかなり注目されたインディ作「プレイヤー/死の祈り (Eve's Bayou)」のケイシ・レモンズで、超常現象絡みだった「プレイヤー」や「ケイブマン (The Caveman's Valentine)」に比して、「トーク・トゥ・ミー」はこれまでで最も一般受けする題材と言える。それにしても「プレイヤー」、「ケイブマン」と撮ってきた人間がこういう作品をきちりと撮るところが、アメリカ映画の伝統という気がする。アメリカでも数少ない女性黒人映像作家の一人であるレモンズは、俳優上がりだ。要するに現場で勉強したタイプの演出家は、その代表であるクリント・イーストウッドを筆頭として、よくできたストーリーを物語るという時に最もその力を発揮する。


「トーク・トゥ・ミー」は、比較的最近見たということもあって昨年末の「幸せのちから (The Pursuit of Happyness)」を想起させる。どちらもちょっと前の時代の話で、その時はまだどちらかというと虐げられていた黒人が主人公。むろん話自体はまったく別ものなのだが、どちらもちゃんと話を紡ぐという、内容以前の構成の近似を強く感じる。「幸せのちから」を撮ったガブリエレ・ムッチーノなんてイタリア人なんだが、あれを見てアメリカ人以外が演出したと考えることは難しい。要するにハリウッド映画はそういう風に外部を吸収してなんでもハリウッド映画、アメリカ映画にしてしまうことが最大の特色であり、元々アメリカ人で現場を経験しているレモンズはやっぱりアメリカ人の映像作家なのだなと思うのであった。


ところでチードルは「再会の街で」公開の時、共演のアダム・サンドラーと一緒にCBSのデイヴィッド・レターマンがホストの深夜トーク「レイト・ショウ」にゲスト出演だったところ、当日になってレターマンが急病になったため、サンドラーとチードルが交互にホスト席に座ってホストを務めていたのを見たことがある。今回、チードルはまたゲストとして招かれ、今度はちゃんとゲスト用のカウチに座ってレターマンとおしゃべりしていた。実は、チードルは昔スタンダップ・コメディの経験もあるくせに、結構あがり症なのだそうだ。最初の本番前に緊張のあまり何もしゃべれなくなった「トーク・トゥ・ミー」の主人公ピーティを彷彿とさせる。ピーティを演じているチードルを見ていると、彼があがり症というのが信じられない。


イジョフォーは、あれだけできるくせに実はこれまでに彼が演じてきた役というのは、だいたいが一歩後ろに引いて主人公をサポートする、みたいなのが多い。最近見た「トゥモロー・ワールド (Children of Men)」にせよ「インサイド・マン」にせよ「メリンダとメリンダ」にせよTVミニシリーズの「Tsunami」にせよ、彼自身が主人公であるはずの「堕天使のパスポート (Dirty Pretty Things)」ですら、助演のオドレィ・トトゥを立てていたという印象の方が強かった。それは今回も例外ではなく、チードル主演イジョフォー共演というよりはダブル主演というのが正しいビリングだと思うが、それでも、やはり見た後の印象ではイジョフォーはうまくチードルを立てていたという印象の方が強い。そういう人柄なんだろう。







< previous                                      HOME

Talk to Me   トーク・トゥ・ミー  (2007年8月)

 
inserted by FC2 system