Superbad   スーパーバッド  (2007年9月)

高校生のセス (ジョナ・ヒル) とエヴァン (マイケル・セラ) はガキの頃からの親友同士。デブのセスとオタクのエヴァンにはガール・フレンドなどいる由もないが、偽I.D.を作ったフォーゲル (クリストファー・ミンツ-プラッセ) を仲間に引き入れ、アルコールの調達を約束することで女の子たち主催のパーティに呼ばれることに成功する。しかし今まさに酒の購入に成功しようとしたフォーゲルが酒屋で強盗事件に巻き込まれてしまい‥‥


_____________________________________________________________________


今夏ヒットした最大の映画といえば、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」でも「パイレーツ・オブ・カリビアン; ワールド・エンド」でも「トランスフォーマーズ」でも「スパイダーマン3」でも「ダイ・ハード4.0」でもない。これらの映画は金は稼いだかもしれないが、その分元手もかかっている。その点、製作費と興行成績の割り合いから見て今夏最も成功した映画とは、コメディ作品の「ノックド・アップ (Knocked Up)」のことに他ならない。


「ノックド・アップ」主演のセス・ローゲンは、NBCの「フリークス・アンド・ギークス (Freaks and Geeks)」、FOXの「アンデクレアード (Undeclared)」等で、コメディ好きには既に知られている存在であったが、やはり彼の名をお茶の間に浸透させたのは、一昨年の「40歳の童貞男 (The 40 Years Old Virgin)」だろう。「ノックド・アップ」はその延長線上にあるものだろうが、この作品、公開前から下馬評がかなり高く、それにしても注目されているなとは思っていたが、実際に公開されるとさらに盛り上がった。


「ノックド・アップ」の共演は、今ABCで人気のある「グレイズ・アナトミー」のキャサリン・ハイグルで、その美形のハイグルが、どう見てもいい男とは言えないオタクでぶブ男という三拍子揃ったローゲンとよりにもよって一夜を共にしてしまい、そのたった一度のミスで妊娠してしまうという悲劇をコメディ仕立てにした話だ。要するに、外見上の取り柄はまったくなくても、ユーモア感覚こそ最も重宝されるというアメリカ人気質に最もアピールしたのが「ノックド・アップ」だったのであり、そのローゲンが今度は出演だけでなく脚本を書いたという同系統コメディの「スーパーバッド」がやはり注目され圧倒的に稼ぎまくったのも、これまた当然のことなのであった。


「スーパーバッド」の主人公はオタク青年とデブのコンビであり、それに冴えないもう一人のどう見ても運動音痴の少年を加えて完成する。その3人がなんとか女の子の気を惹くために、パーティでアメリカで未成年には販売が禁止されているアルコールを調達すると約束することでなんとか負け組からの脱皮を図るというもので、未成年がなんとかアルコールを手に入れようと四苦八苦するという設定で思い出すのは、当然「アメリカン・グラフィティ」だ。


「スーパーバッド」はさらに、そのなんとかして登場人物の一人がアルコールを購入しようとするシーンで強盗に巻き込まれるというところまで「アメリカン・グラフィティ」をパクっている。しかもその場に居合わせる登場人物の性格づけまでそっくりだ。ほの甘苦い青春ものであったその「アメリカン・グラフィティ」を完全に換骨奪胎してコメディで押し通したのが「スーパーバッド」なのだ。しかしここまで堂々と設定を頂戴されると、パクリと言うよりオマージュという感じになってしまって、むしろ気持ちは「スーパーバッド」に文句言うより、そもそもの「アメリカン・グラフィティ」を作ったジョージ・ルーカスに感心するという方向に向かってしまうのだけれども。


主人公コンビの一人であるセスは、ローゲンと名前が同じであり、さらに体重過多の体格や髪型まで似ていることから、明らかにローゲンのティーンエイジャー時代の投影だ。ああいう体格で性格だったら、お笑い用として時々は重宝されたかもしれないが、たぶん決して明るいとは言えないティーン時代だったろうというのは容易に想像できる。ユーモアは人気者になるための必須条件とはいえ、ティーン時代に最も重要なのは容姿と運動能力であるということは洋の東西を問わない。一緒にいて楽しいか、勉強ができるかということより、彼氏として求められる第一条件は、まず人に自慢できる外見を持っているかだ。それがダメならスポーツで抜きん出た才能を持っていることだが、だいたいスポーツができる者は外観も恵まれている場合が多い (少なくともガタイはいい) ので、事実上、容姿と運動神経というのはほとんど同一条件だったりする。要するに、かっこよくなければもてないのだ。


一方、成長して大人になると価値観が変動して、もてる男の条件としてはユーモアと財力が上位を占めるようになり、容姿は二の次になる。だいたいある程度の容姿を持つ男なんてどこにでもごろごろしていると、皆気づくようになるわけだ。かっこいい男は連れて歩くにはいいが、必ずしも一緒に暮らすことに適するわけではない。世の女性がそう考えていることが、今のローゲン人気を見れば裏付けられる。とはいえ、やはりローゲンのティーン時代は暗かったろう。「スーパーバッド」は、そのもてなかった時代のローゲンの記憶が詰まった物語であり、それを笑い飛ばす話なのだ。


近年のコメディ、特にティーンエイジャーが主人公のコメディは、そのほとんどがセックス・コメディとして機能している。だいたいがどうやったら一発できるかと悶々とする男の子の話であることが多いのだが、それを徹底してお下劣愚劣に描くことで笑いをとる、という風に一般化してきたのは、やはり「アメリカン・パイ」の影響を抜きにしては語れないと思う。広い意味では「40歳の童貞男」もその影響下にあると言える。こういう下ネタをかなり堂々と人前で言って、反感を買うのではなく笑いをとれるようになったのは、「アメリカン・パイ」以降だろう。「アメリカン・パイ」がなくとも既に時代はそういう風に移行しつつあったかもしれないが、映像として最初にそういう風潮を提出した作品が「アメリカン・パイ」であり、それ以降、人々のコメディに対する感覚が変わった、少なくとも下ネタ系に対してかなり許容度が広がったというのは言えると思う。


「スーパーバッド」では、冒頭、車を運転して (この辺がいかにもアメリカ的だ) エヴァンを迎えにいくセスが、エヴァンの母のおっぱいを見て、あんなのに小さい時毎日しゃぶりついていたお前が羨ましいと言う。これだけでも、さらりとうまくやらないと笑えないジョークに堕しやすい。自分の母をそういう目で見られることに反発する男の子だっているだろうからだ。


とはいえ、実は私のティーン時代だって、野郎どもだけで集まると、お前んとこの母ちゃん色気あるよな、一発やらせてくれないかな、黙れ、おまえ、くらいの冗談は普通に言っていた (今考えるとかなり本気で言っていたやつもいた。) ただ、それを自分たちの交友の枠を超えてまで口にするやつはいなかった。そういう一線というかタブーというのはわきまえていた、というかそれくらいの保身は誰でも心得ていた。そういうのが堂々と人前 (観客の前) で言えるようになったのが「アメリカン・パイ」以降だと言える。あと4、5年くらいしたら本当に赤の他人の前でそういうジョークを言っても誰も気にしなくなるかもしれない。


「スーパーバッド」はそういう下ネタ、およびバカネタが詰まっており、確かに結構笑える。こういうバカ話をバカ話としてわかって楽しみながら劇場が観客で埋まるのは、むしろ健全という気すらする。そして意外なことに、そうやって笑っていると、それでもやはり、そうやって一緒にバカなことをしていた親友と、いつかはたぶん離ればなれになることを示唆するラストで思わずはっとさせられたりもする。この映画がヒットしたのもよくわかるのだ。演出は「アンデクレアード」や「アレステッド・ディベロプメント」のグレッグ・モットーラ。「アレステッド・ディベロプメント」にはその時まだロウ・ティーンのマイケル・セラがレギュラー出演しており、その時にモットーラの知己を得たのだろう。 







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system