アラン・ジョンソン (ドン・チードル) は歯科医として成功し、妻のジャニーン (ジェイダ・ピンケット・スミス) と二人の娘にも恵まれていたが、なにか人生に窮屈なものを感じていた。そんな時、街で医学校時代のルームメイトだったチャーリー (アダム・サンドラー) を見かける。チャーリーは9/11で妻と娘二人を亡くし、それ以来自分の殻に引きこもっていた。アランはなんとかしてチャーリーの役に立とうと奔走するが‥‥


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9/11をテーマとする作品は、TVでは既に何年も前から現れていた「レスキュー・ミー」および各種のTV映画を別とすると、映画では昨年の「ワールド・トレード・センター」と「ユナイテッド93」によって、一気に過去を清算する時期に来たようだった。とはいえ私はやはり9/11そのものを描いた作品を見る気にはなれず、両作品ともパスしていた。9/11を描くといっても9/11そのものではなく、「レイン・オーヴァー・ミー」のような9/11の影響を受けた人々のその後を描く作品が現れ始めたのが、9/11テーマの作品が次の段階に移ったという感触を受ける。これなら私でも見れそうだ。


チャーリー・ファインマンは歯科医として何不自由ない生活を送っていたが、9/11によっていきなり愛する妻と二人の娘を失い、以来生きる屍のようになっていた。そのチャーリーと同僚だったアラン・ジョンソンはそういうチャーリーの消息を聞いてはいたが、ある日、マンハッタンで車を運転していてチャーリーを見かける。二度目にチャーリーを見かけたアランは無事チャーリーに声をかけることに成功して二人は旧交を温め始める。チャーリーは頻繁にアランの元を訪れるようになるが、しかしそれは,アランがチャーリーの妻と娘に会ったことがなく、アランとつき合うことはチャーリーが彼女らのことを思い出さずに済むからという理由があった。じきにチャーリーは昼となく夜となくアランのオフィスにも自宅にも顔を出すようになる‥‥


チャーリーを演じるのがアダム・サンドラー、アランを演じるのがドン・チードルで、たぶんチードルが役にはまっているだろうというのは容易に想像できるが、問題はサンドラーである。サンドラーだって「パンチドランク・ラブ」のような結構シリアスなドラマにも出ているが、コメディアン、あるいは元コメディアンという枠を超えてどれだけできるかはやはり疑問だ。しかも今回彼が演じる役柄は9/11サヴァイヴァーで、それなりにかなりの表現力が必要になるのは間違いないだろう。うまく演じることができなければ、風当たりもきつくなるんではないかと思われる。本人もかなり気合い入っているというか、マジに違いない。


その、軽い天パーの長髪に無精ヒゲというスタイルのサンドラーが、実は結構ボブ・ディランに似てハンサムというのがまず意外。きっと昔髪を伸ばしていた時にディランに似ていると言われたことがあり、それがイヤでこれまで短髪で通してきたんではという気がする。チャーリーはその格好で、スケート・ボードにハンドルとエンジンがついている形のパワー・スクーター (最近あまり見ないがまだ乗っているやつがいたんだ) に乗ってマンハッタンを乗り回し、暇な時間はほとんど家に引きこもってヴィデオ・ゲームに興じるか、かつて妻に頼まれたキッチンの改修を自力で行っている。


映画の冒頭は、そのチャーリーが人通りも少ない深夜や早朝のマンハッタンをスクーターで走り回っているというシークエンスで、カメラはその後ろからチャーリーの肩越しにマンハッタンの街並みをとらえる。そのため、かなりカメラ目線が実際に車に乗ってマンハッタンを走っている時の眺めに近く、スクリーンに映るマンハッタンは、そこに住んでいる者の目線という感じがして非常に親近感を覚える。ニューヨークのインディ映像作家ほど一か所に閉じこもっているわけでもなく、ハリウッドの大作のように空撮ばかりあるわけではなく、さりげなくニューヨーカーの日常が描かれる、ウッディ・アレンの視点ともかすかに異なる等身大の視点という感じなのだ。すべてのニューヨーカーが毎日目にしている自然体のマンハッタンがそこにある。


特にチャーリーが住んでいるのがワシントン・スクエア・パークの近くという点で、その辺の背景が先々週見た「ミリキタニの猫」とかなり被る。さらに、実は私たち夫婦がその「ミリキタニの猫」を見たのが12丁目のヴィレッジ・シネマで、ま、別に大したことのないごく普通の映画館なのだが、「レイン・オーヴァー・ミー」で、ここにチャーリーとアランがメル・ブルックス特集を見に来るという設定になっている。いや、その、まったく同じ劇場で先々週ヴィレッジが舞台の「ミリキタニの猫」を見てたんですが。さらにこないだ、TVでポール・ハギスがニューヨークを舞台に撮っているTVドラマの「ザ・ブラック・ドネリーズ」を見ていたら、やはりワシントン・スクエア・パーク近辺が背景として映る。この辺は5番街とは異なるが、ニューヨークを代表する顔の一つでもある。ナイト・スポットも多いので、むしろ住民にとっては5番街よりもこの辺の方が足を運ぶ頻度も親近感も高いだろうというのはよくわかる。


一方、それなのに、主人公二人はどちらかといえば上流階級に属しており、カメラが二人の住居の中に入ると、一般的市民の生活じゃないよなあこれ、と思わせてしまい、ちょっと距離を感じさせてしまうところが、作品としては最も違和感を感じさせるところ。ニューヨーカーが全員金持ちってわけじゃないのは当然だし、9/11サヴァイヴァーだってもちろんそうだ。「ミリキタニの猫」で、カメラがハッテンドーフの住まいに入ると、そこはそんなに広くはないたぶん1ベッドルームのアパートなのだが、私の知己が住んでいるほとんどのアパートなんてあんなもんだ。


とはいえ、「レイン・オーヴァー・ミー」の9/11に対する視点がこれまでとは異なり、徐々にではあるが、確かに市井の人々の視点に近寄ってきたというのは言えると思う。つまり、9/11に対してこれが誰のせいだとか報復しろだとか戦争だとかといった政治の話ではなく、それ以前の人々の生活が描かれ始めた。このあたり、そういった生活をとらえていたはずがいつの間にか政治に言及せざるを得なくなった「ミリキタニの猫」とは異なっているのだが、あれは実際にその時の話であるし、撮る側にその気がなくても、その主人公が持っていた歴史によってそういう風にならざるを得なくなったというのはあった。いずれにしても、9/11はその中に住んでいるのではなく、回顧する対象になったというのは言えると思う。


脚本、演出のマイク・バインダーは俳優出身。私が最もよく覚えているのはHBOの「ザ・マインド・オブ・ザ・メアリード・マン」で、コメディ・ドラマへの出演が多い。もちろん「レイン・オーヴァー・ミー」でもチャーリーの弁護士役としてちょい役で出ている。わりとハンサムだったという印象があったんだが、ちょっと贅肉がついた。まあ、おかげで確かに弁護士風に見えるというのはある。ちょい役と言えば、裁判官役で出てくるドナルド・サザーランドは貫禄。彼より顔のでかい俳優はいまい。リヴ・タイラーも精神科医というのが無理なくはまる年齢になった。ただしチャーリーだってつい口走っていたように、あんな美人な精神科医にかかったら、よけいヘンな妄想を逞しくしてしまうだけじゃないかと思ってしまうけれども。  







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Reign over Me    レイン・オーヴァー・ミー (再会の街で)  (2007年3月)

 
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