Once   ワンス (ONCE ダブリンの街角で)  (2007年6月)

毎日街頭で歌っているダブリンのストリート・ミュージシャン (グレン・ハンサード) は、ある時チェコから来た移民女性 (マルケータ・イーグロワ) に声をかけられる。彼女もピアノをたしなむことを知った彼は、楽器店で売り物のピアノを弾く彼女と一緒にプレイして彼女の才能の片鱗に気づく。彼は彼女、さらに他のストリート・ミュージシャンをスカウトして一緒にレコーディングを企画する‥‥


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「ワンス」は今年最初のサプライズ・ヒットと言ってよかろう。ほぼ単館的上映でありながら口コミで徐々に噂が広まり、ロングランを続けている。とはいえ監督のジョン・カーニーという名をまったく知らず、さらに基本的にラヴ・ストーリーらしい内容とポスターのためにまったく惹かれず、これまでは気にも留めていなかった。要するにそういう歳なのだ。


そしたら逆にそういうものこそ見たがるうちの女房が、どこからか「ワンス」の情報を仕入れてきて、ねえ、これ面白そうだとせっつく。ラヴ・ストーリーかよ、そんなの別に見たくないよと最初は言っていたのだが、そうじゃなくてインディ・ミュージカルなんだって、評もいいよとアピールする。それで調べてみると、今年のサンダンス映画祭の観客賞を受賞しているではないか。


これで俄然今度は私の方が乗り気になった。サンダンスはハリウッド映画に食傷気味の者にとっては宝庫と言えるインディ映画の殿堂だが、そのサンダンスで観客賞を受賞するのは、一般的映画ファンにとっては審査員賞を受賞するのよりポイント高い。近年はサンダンスも多少ハリウッド色に毒されてきた嫌いがあって昔ほど注目していなかったのだが、それでもサンダンスの観客賞となると、気にならない映画ファンはいまい。


「ワンス」はアイルランドのダブリンを舞台とするミュージカルだ。ミュージカルといってもハリウッド的な歌って踊ってみたいなミュージカルではなく、それこそこのダブリンを舞台にした、アラン・パーカーの傑作「ザ・コミットメンツ」と彷彿とさせるミュージカルだ。ミュージカルというとどうしても歌って踊ってみたいなものを想像してしまうので、単に音楽映画、あるいは音楽をテーマにした映画と言った方がいいかもしれない。


「ワンス」には、主人公の二人に名前がない。実はそのことに上映が終わってエンド・クレジットが流れ始め、役名にボーイとガールと書かれているのを見て、初めてそういやそうだったと気づいた。そういえば彼らはお互いに名前を呼び合ってはいなかった。要するにこの話は現代のどこの場所にでも起こりうる寓話として機能している。実際ロンドン以外のヨーロッパのどこでも、いや現実にロンドンでこういう話があっても別におかしくないし、ヨーロッパどころか日本やアジアでだってこの手の話があっても不思議ではない。なんか、台湾なんてこういう話が似合いそうだ。


その主人公の彼はストリート・ミュージシャンで、昼は実家の掃除機の代理店で父と一緒に掃除機を売ったり修理したりしている。彼に声をかけてきた彼女には調子の悪くなった掃除機がうちにあり、それもあって二人は近しくなる。彼女が掃除機を引きずったまま二人で楽器店に入り、売り物のピアノを弾き、彼がギターを弾いて二人で演奏するシーンは前半の白眉だ。しかし主人公二人に名前がないのに、いざレコーディングしようという時、紹介されたレコーディング・エンジニアは名前を呼ばれていたような気もするが。


彼女は気楽に彼をうちに招くのだが、たぶん幾分かの下心を持って訪れた彼女のアパートには、ほとんど英語を話せない彼女の母とまだ幼い娘までいた。さらに隣りの部屋に住んでいると思われる移民仲間が、たぶんサッカー中継の時間になるとやってきてTVを見て帰っていく。持ちつ持たれつなんだろう。これじゃ半端な下心なんて吹っ飛んでしまう。さらに音楽好きな彼女の知人らとも親しくなり、彼はいつの間にやら彼女のペースに巻き込まれているのだった。その後、彼が彼女の家を訪問して不在だった時、母相手に彼女の名前を呼んでなかったっけと思ったのだが、そん時は名前に注意しながら見ていたわけではないのでよく思い出せない。


金のない彼らは家に電話はあっても (彼女んちは確か電話すらなかった) 携帯を持っているわけではないので、外に出ている時は公衆電話を利用せざるを得ない。電話が利用できる場合はまだいいが、緊急に彼女と話をしたい時は、彼は直接彼女んちまで出向いていくのだ。しかしおかげで、彼女が家を出ると彼が表で待っているというシチュエイションが、ストーカー色を出さずに演出できる。普通、知己を得たばかりの異性相手にこれやったら、一発で嫌われて終わりなんだが。現代ではこういう特殊な場合を除き、外に出たら男 (女) が待っているという状況を嫌みなく描くことはほぼ不可能だろう。


それにしても最近、TVや映画で公衆電話を利用しているというシーンをほとんど見たことがなかったので、街角の公衆電話というシーンがやけに新鮮だった。特にFOXの「24」を見た後だったりしたら、世の中にまだこれだけ公衆電話があることに驚いてしまうかもしれない。公衆電話がこれだけスクリーンに現れたのは、たぶん「フォーン・ブース」以来だろう。そういえば「フォーン・ブース」に主演のコリン・ファレルもアイルランド出身だった。


彼女は彼の作ったCDとプレイヤーをもらってうちで聴こうとするが、電池が切れて聴けない。それで夜、電池を買いにパジャマの上からなんかを羽織っただけという格好で外に出て近くのグローサリー・ストアのようなところで電池を買い、CDプレイヤーに入れてそれを聴き、一緒に口ずさみながらまたうちまで歩いて戻る。明らかにエキストラとは違う、たまたまそこにいただけの夜更かし中の少女たちがもの珍しそうについてくる中、うちに辿り着くまでをほぼ1シーン1ショットで撮ったこのシーンは中盤の見せ所。話を物語る上ではたぶんよけいな夾雑物でしかないだろう、彼女の後をついてくる女の子たちを含めてこのシーンは胸キュンもの。途中で挟まるカメラの切り返しなしに、本当に彼女が店を出てからうちに帰るまでを1シーン1ショットで撮ったならもっとすごかっただろうにと思う。


そして最後の山場は、当然レコーディングのシーンだ。ステュディオのレコーディング・エンジニアはいつも通りのルーティン・ワークなので何も期待せずに適当に機材をセットしていざ始めようとすると、彼らはどうもレコーディングというものは初めてらしい。そこで内心うんざりしながらもセッションを始めるうちに段々彼らの音楽に惹き込まれる。金がない彼らは一日でレコーディングを終わらざるを得ず、ほとんど徹夜で喉の調子も無視して歌い続ける。明け方、CDコピーを作るまでのちょっとした空き時間に浜辺でフリスビーを飛ばしたりするのだが、それがまたインディ・ロッカーという感じで妙に合っている。彼は30代後半、エンジニアはどう見ても40代、スカウトしてきたギター担当はもしかして50代に足を突っ込もうとしてるようにも見えるが、そんな彼らと10代の彼女が浜辺で青春している。思わず胸が熱くなるのであった。


ダブリンを舞台にしたインディ・バンドものというと当然思い出すのは「ザ・コミットメンツ」だが、「ワンス」主演のグレン・ハンサードは、その「コミットメンツ」に出てギターを弾いていたということを、映画を見て帰ってきて資料を見て知った。今はそれなりにインディ界では知られているフレイムズというバンドを率いているそうだが、17、8年前も今もほとんど同じスタンスで音楽をやっているということがすごい。


一方、共演の彼女に扮するマルケータ・イーグロワは、ティーンエイジャーでありながらチェコでは既に実際に知られているシンガーだそうだ。とはいえチェコの音楽シーンなんて聞いたこともなく、実は彼女の名前Marketa Irglovaをイーグロワと発音するかというのも定かではないが、実際の発音を調べようがなかった。ハンサードは既にイーグロワの2倍の年齢なのだが、この二人は今、現実につき合っているそうだ。思わずすべての歳をとりつつあるインディ・ロッカーに頑張れと言いたくなってしまう。  







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