放送局: TLC

プレミア放送日: 3/4/2006 (Sat) 20:00-20:30-21:00

製作: ゲイ・ローゼンサール・プロダクションズ

製作総指揮: ゲイ・ローゼンサール、ポール・パロッシ、ジョゼフ・フリード

出演: マット・ロロフ、エイミー・ロロフ、ジェレミー・ロロフ、ザッカリー・ロロフ、モリー・ロロフ、ジェイコブ・ロロフ


内容: 小人の夫婦マットとエイミー、および4人の子供たちジェレミー、ザック、モリー、ジェイコブのロロフ一家の様子をとらえるリアリティ・ショウ。


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生涯教育を標榜するチャンネルのTLC (The Learning Channel) であるが、近年、TLCの番組ラインナップからはほとんど教育番組は姿を消した。特に「トレイディング・スペイスズ」が当たってからというものの、どこを見てもリアリティ・ショウばっかりで、Learningという単語をチャンネル名からとった方がいいんじゃないかと思えるくらいだ。


まあ、これまたほとんどティーンエイジャー向けのリアリティ・ショウが幅を利かせており、Music Televisionというチャンネル名を改称した方がいいんじゃないかと思えるMTVという先例もあるから、特にチャンネル名を気にしすぎるのも意味はないという気もしないではない。ハリウッドのクラシック映画専門という建て前のAMC (American Movie Classics) も、今では平気で最近の作品を放送しているし。


さて、そのTLCであるが、ここんとこ、一時期絶好調だった「トレイディング・スペイスズ」がついに息切れの兆候を見せ始めたことから、なかなか苦しい立場に追い込まれている。そもそも「スペイスズ」が大当たりしたからこそ今ではこんなにリアリティ・ショウばかりの編成になっちまったという印象があるわけだが、その「スペイスズ」人気が低下してしまった場合、いったいどうすればいいのか。既に編成ラインナップはリアリティ・ショウで埋め尽くされている。


結局、リアリティ・ショウ指向でここまで来た方針を今さら突然変えるわけにもいかないようで、TLCの今後の編成ハイライトなんてプレス・リリースを見ていると、放送予定になっているのはやはりリアリティ・ショウばかりだ。とはいえ、その中に面白そうな番組がないわけではない。この「リトル・ピープル、ビッグ・ワールド」もその一つだ。


一見してこの番組、ちょっと危なそうに見える。なんとなればこういう番組から即座に連想してしまうのは、どうしても一昨年にFOXが編成したキワモノ系のリアリティ・ショウ、「ザ・リトルスト・グルーム」になってしまうからだ。しかし、まさかいくらなんでも一応は健全なリアリティ・ショウというのが建て前のTLCで、そこまで危ない番組は編成しまい。しないだろうとは思うのだが、しかし、視聴率が低迷している現在、なりふりかまってなぞいられないだろうというのもある。いったいTLCはどんな番組を製作したのか。


「リトル・ピープル、ビッグ・ワールド」は、身長の伸びないいわゆる小人のカップルであるマットとエイミーのロロフ夫妻、その二人の4人の子供たちの生活をとらえる番組だ。私はこれまで、小人というのは親から子に代々遺伝して生まれてくるものだとばかり思っていたのだが、実はそうではない。マットもエイミーも、ごくごく普通の身長体型を持った両親から生まれてきている。もちろん遺伝が多くの要素を担っているのは間違いなく、そのことはマットの弟も小人だったということからも知れるが、しかし、マットもエイミーも、生まれてくるまでは小人だとはわからなかった。兄弟でもごく普通に生まれて育っている者もいるのだ。


ビジネスの才覚もあったマットは、今ではオレゴンに30エイカー以上という広大な土地と一軒家を構えている。そのハンディキャップを考えた場合、充分アメリカン・ドリームを体現していると言えるだろう。元々活動的で前向きの性格であるマットは、全米の小人の団体であるリトル・ピープル・オブ・アメリカの元代表でもあり、時折招かれて学校等に出向き、講演することもある。


とはいえ身長4フィート (120cm) のマットにとっては、移動のために車を使うことも一苦労だ。これまた私は知らなかったのだが、いわゆるDwarfism (小人病) といっても何百もの異なった症状があるそうで、マットの場合、関節や骨が曲がっている。そのため幼い時から何十回も足に手術を受けており、右の足と左の足では異なる意見を持つ医者がそれぞれ執刀しているために、異なる手術痕が残っているという。今でも動く時は特別製の松葉杖が欠かせない。


そのマットが車を運転するとなると、まず運転席に文字通りよじ登ることから始めなければならない。広大な手の入っていない土地を有するマットの家の車は、当然それ用に車高の高い四駆だ。普通の人にとっても決して乗りやすいとは言えない座席になんとか乗り込むと、アクセルやブレーキ・ペダルに足は届かないし、座高が低いためほとんど前も見えない。そのため特製の仕様になっているのだが、これでは家の中から一歩外に出る度に、自分の身の上というものに思いを巡らせざるを得ないだろう。それとももう慣れたか。


同様のことはエイミーにも言え、スーパーマーケットに買い物に行くと、たぶんほぼ50%の確率で、欲しいものに手が届かない。周りに人がいれば頼んだりもするし、自分で棚によじ登ったりもするのだが、歳をとってきてそれもあまりしなくなったという。たぶん、特に娘のモリーに頼る頻度が増えてきているに違いない。


二人にはジェレミー、ザッカリー、モリー、ジェイコブの4人の子供がいる。ジエレミーとザックは双子の兄弟で、長女モリー、三男ジェイコブと続く。この中で、実はザックだけが小人だ。つまり、小人同士の子供が皆小人になるわけではないし、双子を生んでも、一方は正常で一方は小人という場合もあるのだ。ザック以外のあとの3人は皆、ごくごく一般的な、平均的アメリカ人体型だ。


いずれにしても、兄弟の中で自分一人だけ小人のザックは、やはりきついと思う。幼い時はよかっただろうが、ミドル・ティーンになってしまうと、同じ日に生まれたジェレミーとは既に3、40cmの身長差がある。服を買いに行くと、ジェレミーは普通にティーンエイジャー用のコーナーで服を手に入れるが、既製品はザックには合わない。もっと子供用のコーナーに行くわけだが、そこでも体型にぴったりする服はなかなかない。


二人はサッカー・クラブに所属しているのだが、そこでもそろそろザックの出番はなくなりつつある。スポーツで体格が劣る場合、そのデメリットは歴然としている。いくら足技のサッカーとはいえ、ボールが宙に飛ぶ空中戦になると、ザックがヘディングで相手に競い勝つチャンスはゼロだ。そのハンデに屈すまいとできるだけちょこまかと動いて運動量で優位に立とうとしても、歩幅が小さいためあまり効果がない。せめてもう数インチ足が長ければなあという、マットの危ない冗談とも本音ともとれる呟きに思わずどきりとしてしまう。


一人だけそういう成長時代を送るザックの発言が一番記憶に残りやすく、番組も自然とザックを追いやすくなるのは当然だろう。実際、ごく普通の一般的な十代の生活を送るジェレミー、モリー、まだ低学年のジェイコブらの生活は、親と兄弟が小人であるという事実を除けば、どこにでもいるそこら辺の子供たちとまったく変わるところがない。もちろん身近に小人がいるという事実は、一般的ティーンエイジャーと較べると決して小さくない相違ではあるだろうが、カメラが彼らだけを追った場合、そこに特に彼らでなければならない意味はなくなってしまう。とたんに画面が退屈なものになってしまうのだ。


そういう問題とは別に、たった一人の女の子であるモリーは、客観的に見てもかなり可愛い。性格もよさげで、彼女はかなりもてると思う。実はマットはわりとハンサムだと思えるし、エイミーも、身体のバランスがとれていたらそれなりに見映えがするんではないかという感じはしていたのだが、モリーを見るとそれを納得する。ジェレミーだってにきび面ではあるが、それなりに整った顔をしている。逆に言うと、そういう普通の兄弟姉妹に囲まれたザックに、より視線が向かう。


それにしても、小人の親から必ずしも小人が生まれるとは限らないとはいえ、マットとエイミーは自分たちの、たぶん決して平坦ではなかった道程のことを考えても、それでも子供が欲しかったのだろうかという疑問が、ふと頭をよぎる。小人として生まれた場合、どんなにスポーツが好きでも、将来プロのスポーツ選手として活躍できる確率はゼロだ。スポーツ選手でなくても、肉体労働が伴う仕事に就くのはかなり難しいだろう。恋愛の対象を見つけるのも一苦労だと思う。たとえ人間皆平等だとか大義名分を唱えられても、それが現実というものであり、資本主義が競争という原理でできている以上、他人との多少の競争は避けては通れない。その時に自分の子供がハンディキャップを追う可能性が高くても、それでも生みたかったのか。


この辺はたぶん、神というものを信じる宗教が関係してくるものと思えるし、マットとエイミーがそういう決断をした以上、他人が口出しすることではないのだが、しかしザックの心中はいかばかりであろうか。今日も帰宅途中、車に乗った男たちから畸形と悪口雑言浴びせられかけて、ふくろになりそうなところを危うく逃げ出したという。こいつ、まだ十代のくせに、オレよりも人間できているのだけは間違いないなと感心してしまう。


昨年、ティム・バートンの「チャーリーとチョコレート工場」が公開されているわけだが、そのことは、小人である者たちにとってまったく嬉しいものではなかったろうというのは想像に難くない。小人のウンパ・ルンパはほとんど悪夢のような人物として造形されており、この映画を見た子供たちが小人に対してなんらかの先入観や偏見を持つことは、ほとんど避けられないだろう。原作のダールもバートンも本人になんらかの悪意があるわけではないことはもちろんだろうが、それでも自分の発言や創作が人を傷つけることもあるのだなと思ってしまう。あるいは、「CSI」では、小人である父親が、普通に育った娘が妊娠して小人の子供を産むことを恐怖して、娘の恋人を殺してしまうというエピソードがあった。


一方、昨年NBCが放送して、既にキャンセルされているSFシリーズの「スレッシュオールド」では、小人症の俳優ピーター・ディンクレイジが、飄々といい味出していた。しかし、VH1のリアリティ・ショウ「ザ・サーリアル・ライフ」の第4シーズンに出ていた (というか、「オースティン・パワーズ」の) ヴァーン・トロイヤーは、やはりまともとは言えんなあ。ま、俳優としてはやはり本人のキャラクター次第だな。とまあ、すぐに小人の俳優の2、3人をすぐに思い出すのは、よくも悪くも視覚的に印象に残るからだろう。しかもそのことが俳優として必ずしも有利に働くわけでもないに違いない。やはりハンデは大きいよなあ、ザック、頑張ってくれと、TV画面を見ながら溜め息をついてしまうのだった。  






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Little People, Big World


リトル・ピープル、ビッグ・ワールド   ★★★

 
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