第二次大戦末期。日本軍は新しく栗林中将 (渡辺謙) を指揮官として硫黄島に派遣するが、既に戦局は著しく悪化しており、米軍の硫黄島侵攻は時間の問題だった。しかも玉砕を考えている硫黄島駐留の上官たちと、命をムダにすることなく最後の一兵まで戦うことこそ必要と考える栗林との間には、最初から齟齬があった。兵士の間には赤痢が蔓延り、栄養状態はよくなく、士気は低下し、軍備も充分とは言えないまま、硫黄島は米軍の侵攻を待ち構えていた‥‥


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もちろん「硫黄島からの手紙」は見るつもりだったが、実は、もうちょっと待つつもりだった。なぜなら全編日本語でアメリカでは字幕上映の「硫黄島」は、どうしても大幅観客動員は見込めず、単館上映が続いているのだが、うちの近くで「硫黄島」がかかっている映画館は本当にマイナーな小さな小屋で、スクリーンが小さい上、縦長に狭いので音の響きも今一つなのだ。さらに客席が段差のあるスタジアム・シーティングでもなく、運が悪いと前に座っている客の頭がスクリーンを見るのに邪魔になる。


しかし「硫黄島」は評はいいしイーストウッドだし、昨年末から単館に近い少数の上映館数とはいえ、それなりに客足は途切れない。無事アカデミー賞の作品賞にもノミネートされたし、これでまだまだ公開は続くだろう。少なくとも2月末のアカデミー賞までは絶対にやるはずだ。しかもこれで受賞なんかしちゃった暁には、拡大公開も夢ではない。そしたらもっと広い、設備のいい劇場への移動も当然考えられる。というわけで、2月末までは、「硫黄島」はちょっと待ちだなと思っていたのだった。見たいのは山々だが、最上の設備で見れるという保証があるのなら、あともう一と月待つくらいはまったく苦にならない。昔から本当に読みたくてたまらない本は、買ってきてもすぐには読まず、わざと積ん読にしといて、いつ読もうかなもうちょっと待とうと、ためつすがめつするのが好きな方だった。これが食事なら、好きなものから真っ先に食べるんだが。


それで実は先週末に見ようと思っていたのは、「硫黄島」ではなくて、スティーヴン・ソダーバーグ演出のモノクロ作品「ザ・グッド・ジャーマン」だった。そしたら、いざ劇場に行ってみたら、そちらはインディ系のマイナーな作品専門のマルチプレックスであるその劇場は、どう見ても上映時間を観客ではなく自分たち本位で設定している。つまり、チケットを販売しやすいようにだろう、ほとんどの作品の上映開始時間が同じ時間に設定されているのだ。そこはチケット売り場が建物の中に入ったカウンターの中にあり、チケットを販売する人がそのままカウンター内を移動して今度はポップ・コーンを売ったりする。たぶん人手が足りないんだろう。


しかし経営する側にとってはコスト・カットのそういうシステムが、当然客にとっては弊害となる場合もある。要するに一斉に同じ時間に客が劇場に来るために、ある特定の時間帯だけ混雑するので、余裕を見て出かけないと上映時間に間に合わないことも起こるのだ。今回の私たち夫婦がまったくそれで、この劇場、インディ系だがそれなりに粒揃いの作品がかかる。先週末の上映作品は「バベル」「ザ・クイーン」、「ザ・グッド・ジャーマン」、「パンズ・ラビリンス」、「あるスキャンダルの覚え書き (Notes on a Scandal)」、「ヴィーナス」等だ。


このラインナップですぐピンと来たものはなかなかの映画通だが、要するに「グッド・ジャーマン」を除き、その他の作品はすべて月曜に発表されたばかりのアカデミー賞ノミネーションにどこかで引っかかっている。作品賞の「バベル」、「クイーン」、女優賞の「スキャンダル」、男優賞の「ヴィーナス」、外国語映画賞の「ラビリンス」等で、複数の賞でノミネートされているのもある。というわけで俄然それらの作品の注目度は高まったというのに、よりにもよってそのうちの「ヴィーナス」、「スキャンダル」、「ラビリンス」、それに「グッド・ジャーマン」が同じ上映開始時間に設定されているのだ。


というわけで、先週末のその時間前後の窓口は非常に混雑した。そりゃ混むよ。それくらい誰だって予想できる。チケット購入に並ぶ列は、ずらりと劇場を出てストリートの角を曲がり、さらに伸びている。この劇場でここまで人が並んでいるのを見たのは、何年か前の「戦場のピアニスト」を見た時以来だ。しかもチケットを売っている者は一人。上映開始時間まであと5分。この列の後ろ半分はもうほとんど時間に間に合うまい。我々も同様だ。それにしたって、ここに並んでいる者は皆「ヴィーナス」とか「スキャンダル」とか、アカデミー賞ノミネート作品を見に来ているんだろう、まさか誰も話題にしない「グッド・ジャーマン」を見に来ている者なんてほとんどいまい。というわけで、どうせあんたたちチケット売り切れで見れないんだから、我々を先に割り込ませてくれないかなあと本気で考えたのだが、さすがにホントにそう頼み込むずうずうしさはなく、我々も泣く泣く劇場を後にしたのだった。


いずれにしても、それでこちらの予定も大幅に狂った。今週末はもう「グッド・ジャーマン」と決めていたので、他の候補作を予定していないし、だいたい他の作品がどこで何時からやっているなんてまったくチェックしていなかった。それでも週に一度は何か映画を見ないとイライラしてしょうがない。それで結局、いったんはうちに帰り、出直して近くの劇場でやっていることだけは知っていた「硫黄島」を見るしかない、それが時間を最も有効に使えるだろうということになった。ここまで待ったのにー。


さて本題の「硫黄島」であるが、もちろん昨年の「父親たちの星条旗」と対を成すイーストウッドの第二次大戦時の硫黄島を舞台とする戦場2部作の後編だ。米軍の視点から見たのが「星条旗」で、日本軍の視点から見たのが「硫黄島」だというのは、既に誰でもが知っている通りである。前後はあるとはいえ同じ時期に撮影されており、どちらから公開しても差し支えなかったはずの両作品において「星条旗」の公開が先になったのは、先にアメリカでは興味度が高いはずのそちらを公開して話題を作っておくことで、ほとんど全編セリフが日本語で、興行的には成功が難しそうな「硫黄島」にも人を呼ぶチャンスを与えようという発想があったのだと思う。


むろん私のようなイーストウッド・ファンは、たとえどちらが先に公開されようが、同時公開されようがまったく気にしないし、たとえアメリカでもいい作品なら人は見に来ることは実地に作品が証明している。既に公開後一と月以上経つわけだが、劇場は7割方は入っていた。そして先頃のアカデミー賞ノミネート作品の発表で、アメリカ人から見ればよほど興味があるはずの「星条旗」ではなく、「硫黄島」が作品賞にノミネートされているのを見ると、作品の力強さではこちらの方が上だと思ったからこそ、「硫黄島」を賞争いに絡みやすい年末公開にしたのだろうかと思ってしまう。


とまあ、興行的な成功を鑑みた製作サイドの思惑とは別に、戦勝国と負けた側から見た視点や話される言語の違いといった当然のことをおいといて「硫黄島」と「星条旗」で相違点を挙げるとすると、まず最も似通っている点として、両者とも現代から過去を顧みて事件を再構築しているということがまず挙げられるかと思う。だいたい、現在から過去を顧みるという姿勢には、既に内省的な含みがある。そのため、勝ったアメリカを描いているはずの「星条旗」でも、その内容は戦争に勝ったぞ万歳的なものとはならない。負けた日本を描く「硫黄島」だとなおさらだ。


まず、現代に生きる者が登場し、過去に遡っていくのだが、「星条旗」では硫黄島で戦った兵士の最後の生き残りの一人が過去を回顧することに対し、ほぼ全員戦死の「硫黄島」ではそういう者がいないため、硫黄島を訪れた調査隊が話の発端の任を担う。彼らが、洞窟の中に埋められた銃後の家族に対して認められたが、ついに送られることのなかった手紙を発見することから話が始まるのだ。とはいえ調査隊は学術的な要請から発掘に携わっているのであって、基本的に彼らは硫黄島の兵士たちとは直接の関係はない。「星条旗」が埋没してしまいそうな過去を再構築する話ならば、「硫黄島」は、断ち切られた歴史を再構築する試みなのだ。


一方、最も大きな違いは、「硫黄島」が日本軍が全滅して戦争に負けた時点で終わることに対し、「星条旗」は、大きな物語は戦争が終わって米軍が勝ったその時点から始まるということにある。つまり全員戦死 (一部生き残る者もいるが) という結末に向かってベクトルが収束していくか、逆にそこからどのようにベクトルが開かれていくかの違いだ。登場人物が基本的にほぼ全員戦死する「硫黄島」ではそれはほぼ当然の選択と言えようし、「星条旗」では、言いたいことは戦争が終わったその後にある。つまり、「星条旗」では、戦争が戦闘にかかわった兵士にどういう影響を与えたかを描くことが主眼だ。「硫黄島」ではその選択は最初から与えられていないため、登場人物が全員戦死してしまったら、話はそこで終わらざるを得ない。


そして結果として、「硫黄島」の方がより悲劇的色彩を帯びることになった。もちろん「星条旗」に登場する兵士だって悲劇的結末を迎える者はいるし、戦死した者だって多い。しかし全員死亡という事実を目の前にすると、誰だって生き残った者は仕合わせだと考える。死が人一人に残された最後のドラマであることが間違いない以上、戦争を舞台とするドラマは最もドラマティックになりやすいが、それが全員死亡という幕切れになり、しかもそれがフィクションでなくて歴然とした事実という時、それを超える悲劇を想像することは難しい。それが単なる事故ではなく、無慈悲な上層部の判断による文字通りの犬死にでしかないならなおさらだ。実際にはたぶん生き続ける方が悲劇という話も、「星条旗」をはじめとして至るところにあるのだろうが、それでも圧倒的多数の死を現前に見せつけられたら、多くの者はただ沈黙するしかないだろう。


それにしてもこの話を撮ったのがアメリカ人のクリント・イーストウッドであるということには、本当に驚かされる。日本語をしゃべれず、日本に住んだことがない人間が、日本人の目から見ても非常に日本人的と思える行動やものの考え方を、こうも見事にスクリーンに定着できるものなのか。「硫黄島」と「ラスト・サムライ」「SAYURI」の間には明らかに一線が画されている。「硫黄島」は、「ラスト・サムライ」や「SAYURI」を見る時の、ではではガイジンがどう日本をとらえているかを鑑賞してみようかとでもいうような、第三者的な鑑賞の視点とは無縁だ。「硫黄島」では映画そのものを体験するしかない。なぜイーストウッドが、天皇陛下万歳という、たぶんこれ以上はない最も日本的な行動を、これ以上なく正しいと思える距離を置いてとらえることができるのか。過去の日本映画を見て研究したからということでは説明できない。イーストウッドの懐の深さに、ただただ唖然とし、圧倒される。


主人公というか、狂言回しの一兵卒、西郷を演じているのが二宮和也で、本当は戦争になんか来たくなかった半分脱力の落ちこぼれ兵を好演している。この時代では彼の態度は非国民と思われかねず (実際戦場では上官からそう思われて何度も体罰食らっているわけだが’)、周りの兵が玉砕覚悟でいる時に、やってらんないといつでも逃げ出しかねない西郷は、うまく演じないと狂言回しというよりは悪役になりかねないし、なによりも観客を白けさせてすべてをぶち壊しにしかねない。イーストウッドの演出もあるだろうがその辺のバランスのとり方がうまく、敵を前に逃げ腰という二等兵が、ちゃんと観客から感情移入されるキャラクターとして確立している。一見してうまいと思わせる役者よりも、こういう役者の方が得難かったりする。なんとなく若い頃の笠智衆を連想してしまった。要するにこういう脱力感は持って生まれたもので、演技でなんとかなるもんじゃなかったりするから、こういうタイプって結構重宝されたりする。


その逆の、一見してこいつはやりそうだと思わせる渡辺謙は、「SAYURI」でのにたにたおじさんより、こういう硬派の方が断然似合う。考えたら「ラスト・サムライ」、「SAYURI」に続き「硫黄島」と、近年のハリウッド-日本3部作の全部に出演しているただ一人の俳優だ。彼が腰を斜め45度に曲げ、「天皇陛下、ばんざーい」とやる時は、その気迫にぞくぞくしてしまいました。なんやかや言いつつも彼が今の日本を代表する俳優であるのは間違いあるまい。ところで栗林や西郷はともかく、中村獅童演じた伊藤は結局どうなったのか。そっちの方のその後も気になる。そんな態度だから実生活でも問題起こして女房に逃げられるんだ。


さて、イーストウッドはやっぱりすごかったとほとんど茫然自失の態で劇場を出ると、暖冬でほとんど雪の降らない今冬のニューヨークに、うっすらと雪が降り積もっている。考えたらこの劇場で前回映画を見た時も、今回のように予想外のイヴェントでここに来るしかなくなって、その時はほとんど非常事態宣言が出るほどの猛吹雪の中、「オペラ座の怪人」を見たのだった。その時ほどではないとはいえ、横殴りの雪が吹きつける寒い夜の道を、「硫黄島」を見た直後に歩いて家まで帰る気持ちは、ちょっと曰く言い難いものがあった。むろん常夏の硫黄島には雪は降るまいが、心象風景の中の硫黄島は、人の出入りを拒否する冬の孤島みたいなイメージになってしまっていた。


近年のイーストウッド作品は、すべて弱者の視点に寄り添っている。そして今回のポイントは、それが極まって弱者がすべて死に絶えていなくなってしまうことにある。「ミスティック・リバー」でも「ミリオン・ダラー・ベイビー」でも、物語が悲劇で終わっても、そこには話を傍観したり俯瞰したりして、次世代に繋ぐ者がいた。それが「硫黄島」ではいない。西郷がいるではないかという意見もあるだろうが、そもそも彼がそういう歴史の代弁者としては機能しなかったというのが「硫黄島」のそもそもの設定であるから、いないと言って差し支えあるまい。どんどん弱者寄りになり、弱者そのものがいなくなってしまう世界にまで到達してしまったイーストウッド。果たして彼の次の作品はいったいどういうものになるのか。我々は映画という媒体の転換期に、その世界に居合わせるという千載一遇の機会に遭遇している。







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Letters from Iwo Jima    硫黄島からの手紙  (2007年1月)

 
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