イラクの前線から帰国したばかりの息子マイク (ジョナサン・タッカー) が突然軍舎から消息を絶つ。息子が脱走するはずなぞないと信じている自分も元軍人の父のハンク (トミー・リー・ジョーンズ) は、単身、調査を始めるが、軍人の脱走は管轄外として、地元の警察の対応は冷たかった。そのマイクの死体が発見される。なぜマイクは殺されなければならなかったのか。ハンクは女性刑事のエミリー (シャーリーズ・セロン) の力も借りながら、調査を進めていく‥‥


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ここ数年でアメリカを代表する脚本家/演出家の一人として認識されるようになったポール・ハギスの新作。NBCで製作した「ザ・ブラック・ドネリーズ」は結局視聴率が稼げずにキャンセルされてしまったが、「イン・ザ・ヴァリー・オブ・エラ (告発のとき)」にはその「ドネリーズ」に主演していたジョナサン・タッカーがトミー・リー・ジョーンズの失踪した息子として、出番自体は多くはないが重要な役で出演している。


今ではよく知られるようになった、網の目のように縺れ合った伏線や謎が最後に収まるべきところに収まっていくというハギス特有の節回しはここでももちろん健在だ。というか、今回は最初に失踪した息子という謎が提起され、その後はすべて探偵役のその父親が失踪した息子 -- その息子はやがて死体となって見つかるのだが -- の死の理由を探し求めるという展開になるため、当然のごとくハギス節が前面に押し出される。


このハギス節であるが、実は結構好き嫌いがある。こういう、提起された謎が最後には解明されるという展開は、推理小説、特に本格物好きの私から見るとたまらない。ハギスが特にフェアな伏線フェアな結末という本格ものを意識しているわけではないだろうとはいえ、謎の提起とその解明というのは、やはりミステリ好きにはアピールする。その点、実は資質として最もハギスと共通点があるのは、M. ナイト・シャマランだと思う。


一方、うちの女房なんかは、そのハギス節がどうも気に入らない。最後に謎を解明してあっと言わせるのが大きいのが一つくらいだと別に構わないのだそうだが、ハギスの場合、縦横に張った小さな伏線、あっ、こいつも伏線だったのかという、小さな映像や描写やセリフが伏線であったことが最後にわかるというのが少なくない。というか、最後はしつこいくらいにそういう網の目に張った伏線をかちりと整合させる。それがたまらなく嫌なのだそうだ。要するにうちの女房は本格ミステリというと、それだけで、あ、そうですかとパスするタイプなのだが、そういう人間には確かにハギスは結構窮屈でうざく感じるというのはあるだろう。もちろんそういう点こそ私みたいなタイプにはアピールするのだが。


おかげで「エラ」は私一人で見に行ったのだが、実際、謎が最初から提供される構造と相俟って、「エラ」はハギス節全開だ。「クラッシュ」や「ドネリーズ」のように、別に謎がストーリーをドライヴするタイプではない作品ですら、詰め碁や詰め将棋のように登場人物の動きを完全に把握して思う通りに動かすことに生き甲斐を感じているハギスである、こういうミステリ仕立ては水を得た魚という感じがする。当然今回もラストはかちかちとすべての謎と手駒が収まるべきところに収まっていくのだが、あ、これも伏線だったか、あ、そういえばこんなのもあった、忘れていた、なんてのを最後にまた持ってくる。思わず、やっぱり女房を連れてこなくてよかったと思ってしまったのであった。


ストーリーとして息子が殺された理由は最後にはもちろん解明されるし、話の決着はつく。しかしもちろん、だからといってそれですっきりするかというとそんなことはない。これはハギス作品なのだ。これまでの作品同様、一つの謎が解明されると、それよりも重い現実が肩にのしかかってくるようになっている。基本的にハギスの書く作品はほとんどすべてそうだ。しかし、だからといって知らないままではさらに済まされない。観客のその気持ちを代弁して主人公のハンクを演じるトミー・リー・ジョーンズがしつこい番犬さながらあちこちに鼻を突っ込んで少しずつ謎を解明していく。ジョーンズっていかにも本当にこんなことやりそうだと思わせる。因みにタイトルの「エラの谷」というのは、聖書でダビデとゴリアスが戦った場所のことで、シングル・マザーの女性刑事エミリーに頼まれて彼女の一人息子を寝かしつけるために何か話をしてくれと頼まれたハンクが知っているのが、この話だったというものだ。


ハンクを演じるトミー・リー・ジョーンズの他には、彼の妻ジョーンにスーザン・サランドン、ハンクを助ける女性刑事エミリーにシャーリーズ・セロン、失踪した息子マイクにジョナサン・タッカーが扮している。出ずっぱりのジョーンズはともかく、セロンが男職場であまり顧みられることのない紅一点の刑事を好演、そして出番はそれほど多くはないのにもかかわらずそれと同じくらい印象を残すのがサランドンだ。実はこの映画と並行してビリー・ボブ・ソーントン主演のコメディ「Mr. ウッドコック」が現在公開中なのだが、その予告編でソーントンの新しい恋人となる若作りの中年オバサンを演じるサランドンをTVで何度も見せられた後、出ているとは知らなかった「エラ」での息子を失った母の演技を見せられると、この落差にほとんど呆気にとられる。ほんとに同じ人か。


一方、セロン演じる刑事のエミリーは、ややもすると一人で先走りそうになるハンクを牽制しながら捜査を進めるのだが、途中、切れて容疑者に暴行を加えるハンクを止めに入って自分もパンチをくらい、鼻血まみれになってしまう。女優には殴られるのが様になるタイプというのがおり、私が勝手に殴られ女優三羽烏と読んでいるセロン、ケイト・ブランシェット、アシュリー・ジャッドの3人のうち、ブランシェットは殴られて徹底して脅えてくれるのがいいし、一方セロンはそこでやり返してさらに殴られるのがいい。ジャッドはその中間というところか。「エラ」のセロンの場合、刑事という立場上、殴られたからといって殴り返すわけにはいかず、殴られた翌日からは鼻に絆創膏を当てたまま仕事をするのだが、鼻絆創膏をして格好いいぞお前と思わせる女優はそうはいまい。「チャイナタウン」のジャック・ニコルソンを思い出させると言うのは、本人にとっても誉め言葉になると思う。







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In the Valley of Elah   告発のとき (イン・ザ・ヴァリー・オブ・エラ)  (2007年10月)

 
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