In the Loop


イン・ザ・ループ  (2009年9月)

英国首相と米大統領は数々の治世の懸念点を払拭するためには中東で戦争を起こすことが効果的と考えていた。しかしもちろんそう考えない者は両側にも多い。さらに人事のパワー・ゲームやそれぞれの思惑も絡む。英国際開発大臣のフォスター (トム・ホランダー) は戦争反対だったが、つい口が滑って近いうちに戦争が起きるのは避けられないと考えている旨の発言をしてしまう。これが波紋を呼び、雪崩のように波及効果を引き起こしていく。すべては国連での総会における投票で決まるが、戦争推進派も反対派も水面下で独自に工作を進め、もはや事態を把握している者はどこにもなく、何がどうなるか誰もわかっていなかった‥‥


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例えば最近アメリカでリメイクされた英国製作品には、ポリティカル・スリラーの「消されたヘッドライン (State of Play)」がある。TVに目を転じると、SF刑事ドラマ「時空刑事1973 (Life on Mars)」(ABC版「ライフ・オン・マーズ」) や、CBSがリメイクしたやはりSFタッチのサスペンス・ドラマ「イレヴンス・アワー (Eleventh Hour)」がある。コメディでも昨年、CBSが「ワースト・ウィーク (Worst Week)」をリメイクした。


ジャンルや媒体は違えどこれらの番組に共通しているのは、すべて商業的に成功しなかったことにある。ここ数年でリアリティ・ショウを除き英国製作品をアメリカでリメイクして成功したのは、NBCの「ジ・オフィス (The Office)」ただ一本のみなのだが、それでも懲りずに毎年毎年英国でヒットした作品やTV番組がアメリカでリメイクされ、そして十中八九失敗して、それに対して学習してくれと苦言を呈するのにももう飽きた。


それでもやはり今秋のネットワークの新番組には、やはり英国製番組のリメイクがそここに編成されている。運がよければ、もしかしたらそのうちの一本くらいは成功するかもしれない。私としては全部失敗する方に賭ける。


それらのリメイク番組の中で曲がりなりにも成功している「オフィス」がコメディというのは、それなりの理由があると思われる。なんとなれば、英国人特有のシニカルなコメディ・センスは、そのままでは外国には通用しにくかったりする。きつ過ぎるのだ。むろんそれこそが面白い理由でもあったりするため、一方で手を入れない方がいいという意見ももちろん存在する。例えば古くは「モンティ・パイソン (Monty Python)」とか「アブソリュートリー・ファビュラス (Absolutely Fabulous)」とかは、オリジナルのままアメリカでも放送されて成功している。「ミスター・ビーン (Mr. Bean)」がそのまま放送されてアメリカでも人気になったのは、ほとんどセリフなしで、毒というよりもユニヴァーサルかつフィジカルな面白さがあったためだろう。


オリジナルの「オフィス」は、アメリカでもBBCアメリカで放送されて、やはり話題になった。それがほとんど間を置かずしてアメリカでリメイクされてそこそこの成績を残せたのは、これまでの失敗例とは異なり、うまい具合に毒が程々に薄まり、それがアメリカのテイストと合致したためだと思う。要するに主人公を演じるリッキー・ジャヴェイスとスティーヴ・キャレルの印象の差だ。


とはいえそれが徹底して毒の強さ、風刺のきつさで面白がらせるタイプのコメディの場合、毒を薄めてしまってはなんにもならない。そしてその種のコメディを作らせると右に出る者がないのが英国コメディであり、「イン・ザ・ループ」がまさしくのそのタイプの作品に他ならない。特に舞台が政治の場である場合、毒は強ければ強いほど面白くなるだろう。


だいたい、そもそもの話の発端である、中東の戦争の是非という舞台設定からして人を食っている。いきなり中東の人権、というか気持ちをとことん無視した出だしであり、実際、中東の反応なんてまるで気にしていない。中東は単なるだしなのだ。いかにもかつての大英帝国らしい傲岸さだ。


ここでちょっと申し開きをしておくと、映画の出だしの部分を、実は私はちゃんと見ていない。というのも、この時私は映画館の後ろの方の座席に座っていたのだが、私の席のすぐ後ろが通路になっていた。そこへ映画が始まってから入ってきた爺いがいて、暗いもんだからほとんど手探りで歩いていて、私の頭をひっぱたく形になった。いきなり後ろから無防備の頭をどつかれたもんだから、私は飛び上がって反射的にそいつの手を払いのけて「なにするんだ」と怒鳴った。


そしたらそいつが「すまん、見えないんだ」と弁解するので、私も「ああ、もうわかったからとっとと座ってくれ」と追い払ったのだが、おかげでちょっとエキサイトしたもので、話の舞台設定をわからせる重要な最初の方の30秒だか1分程度だかが頭の中に入ってない。そのため上に書いた粗筋も、間違ってはないと思うんだが、舞台設定で知っていると便利な何かを見逃したかもしれない。ただでさえ慣れてなくて聞き取りにくい英国イントネーションの英語、それも基本的にセリフ劇に集中して耳を傾けている時に限ってこれだ。かなり集中してスクリーンに耳を傾けていたから、後ろから頭を叩かれた時には、完全に無防備で、本当に椅子から飛び上がった。まったく、暗いのに弱いんだったら、時間に間に合うようにちゃんと早くから来て椅子に座っててくれ。


話を元に戻して、いずれにしても、映画はその後もどんどん毒をまき散らしながら展開していく。これを見て3年前の「トリストラム・シャンディ (Tristam Shandy)」を思い出したのは、主演のスティーヴ・クーガンがこちらにも出ていること、そのクーガンが主演していたTVの「アイム・アラン・パートリッジ (I’m alan Partridge)」を、「イン・ザ・スープ」監督のアーマンド・イアヌッチが製作/監督していたこともある。しかしやはり、「イン・ザ・スープ」を見て「トリストラム・シャンディ」を思い出した最大の理由は、その突き放したブラックなコメディの質感にある。英国コメディなのだ。


最も怖いのは、明らかに無能な大臣が、戦争をするかしないかを決める上で最も重要と言えるポストにいることで、しかも演じるトム・ホランダーがうまくて、いかにもこういう大臣、どこかにいそうだと思わせてくれるもんだから、ふと素面に帰ると思わずぞぞぞとする。もしかして本当にこんなやつのせいで戦争起こされて、多くの無辜の民が命を落としているのかもしれない。


つまり、見る者にこういう感興を起こさせる「イン・ザ・ループ」は、政治風刺劇として成功している。いつも政治家がまたかと思わせるがっかりさせる舌禍事件やスキャンダルばかり起こしている印象のある日本の国民が見れば、身につまされるかもしれない。映画では、それでもオレはを辞めないとうそぶく大臣が辞任に追い込まれる理由となる、崩れかけた壁のことで苦情を述べる一般市民を演じているのが、よりにもよってクーガンだ。


スピン・ドクターのマルコムに扮するピーター・カパルディは、同様の政治風刺劇「ザ・ティック・オブ・イット (The Thick of It)」で同じ役を演じている。「ティック・オブ・イット」はイアヌッチが製作演出している番組でもあり、「イン・ザ・ループ」はクーガンよりも実質的にはその辺の繋がりからできた作品だろう。


たぶん、「イン・ザ・ループ」と根本が同じアイディアをアメリカで撮ったものが、「トロピック・サンダー (Tropic Thunder)」になると思われる。政治と戦争を絡ませる作品で、戦争の回りを延々と回りながらあちらでちくちく、こちらでちくちくと毒を利かせる英国映画、一方で戦争となる舞台は中東ではなくアジアであり、劇中劇だとはいえ、実際に戦争シーンを描かずにはいられないアメリカ映画の資質の差がありこそすれ、両者とも戦争という中身のない中心の回りで右往左往する者どもたちを描く。 ここにもクーガンが出ているのも当然思い出す理由の一つだ。「トロピック・サンダー」が既に存在する現在、さすがに「イン・ザ・ループ」のアメリカでのリメイクはないな。








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