Heading South (Vers le Sud)  南へ向かう女たち (ヘディング・サウス)  (2006年7月)

1970年代ハイチ。ボストンでフランス語を教えているエレン (シャーロット・ランプリング)、サヴァンナで裕福な暮らしを送っているブレンダ (カレン・ヤング)、カナダの工場のマネージャーのスー (ルイーズ・ポータル) の3人は、ハイチの海沿いのリゾートで一緒になる。実は彼女らはそれぞれに満たされない思いを抱えていて、現地の若い男を金で買うためにこの地にやってきていたのだった‥‥


_____________________________________________________________________


近年、アメリカでは中年以上の女性の性が、大っぴらというか、特に隠されるものではなくなったという感じがする。TVでは「ニップ/タック」ではヴァネッサ・レッドグレイヴが娘のジョーリー・リチャードソンと男を取り合い、「レスキュー・ミー」の最新シーズンではスーザン・サランドンが若い消防隊員に貢ぎ、さらに成熟したテイタム・オニールが絡むなど、大いに大人の女性が魅力を振りまいている。


映画ではシャロン・ストーンの「ベイシック・インスティンクト2」(実はこれにもランプリングが出ていたりする) が公開され、これはさすがにあんたはいったい何やっているんだと酷評されたが、ランプリングより一つ歳上のヘレン・ミレンがやはり若い黒人の義理の息子 (キューバ・グッディンJr.) と色恋沙汰になるという「シャドウボクサー (Shadowboxer)」が現在公開中であり、「南へ向かう女たち (ヘディング・サウス)」同様、60代の女性が自分の息子よりも下くらいの黒人男性と関係を持つという映画が期せずして同時期に公開されている。


私の知る限り、この種の傾向は2000年のカトリーヌ・ドヌーヴ主演の「ヴァンドーム広場」、2001年のシャーロット・ランプリング主演の「まぼろし」あたりのヨーロッパ映画から始まったように思える。2000年にはアシュリー・ジャッドの「氷の接吻」、2001年の「マルホランド・ドライブ」なんてアメリカ映画もあることはあったが、せいぜい30代どまりで、やはり40代、50代の女性を脱がせて色気を出させることは、単に女性の色気はグラマーであることと短絡しているアメリカ映画では難しかったろう。


特に2003年の、フランソワ・オゾンとシャーロット・ランプリングが再びタッグを組んだ「スイミング・プール」はその年で最大のロング・ランになるなど、明らかにこの辺では中年以降の人々に対する視線や、そして中年以上の人々自身の気持ちのありようが変わってきたという感じがする。そして2004年の「猟人日記」「ザ・マザー」では、中年以上の女性のセックスは、既にもうタブーではなくなってしまったという印象を受ける。女性の色気は、たぶん、本人の気の持ちよう、周囲の受け止め方次第なのだ。


ここで面白いのは、では、だからといって特に男性の性が問題にはなっているわけではないところなのだが、これは大昔から結構色惚けした男は老人になってもいるから、別に最初から問題になってないのかもしれない。一方でヴァイアグラやシアリス等のインポテンツ用の薬がもてはやされているところを見ると、逆にセックスができなくなってきた男性の問題の方がクロース・アップされ始めたようでもある。今後はこういう、セックスを楽しむようになった中高齢の女性とは裏腹に、セックスができなくなった男性をテーマにした作品が現れてくることだろう。


さて、「ヘディング・サウス」だが、この種の作品の常に中心にいたランプリングを起用し、40代以上の女性3人が、70年代後半のハイチにまだティーンエイジャーの黒人青年、というかまだ男の子を買いに毎年ヴァケイションをとってやってくるという設定の作品だ。わざわざ舞台を70年代に設定しているのは、当時の反アメリカ、反白人といった当地の市民感情を盛り込み、話に重層性を持たせるためだろう。因みにタイトルの「ヘディング・サウス」とは、当然いつもは北の方に住んでいる登場人物たちが南の楽園目指して集まってくることを指しているが、スラングでは「ヘディング・サウス」とは下の方に向かう、つまり、女性が歳とってきておっぱいが垂れてきていること、あるいは落ち目になってきていること一般を意味する暗喩でもある。


それにしても、ついに積極的に自ら男を買うようになり、しかもそれで堂々と、一時の快楽のために男を買って何が悪いと開き直って悪びれることのないランプリングには圧倒される。こういう内容ではあるが、実はランプリングは近年のこの種の作品とは異なり、彼女自身はこの作品では脱いでいない。話が直接にセックスを主題にする作品では脱がないで、その他の作品で脱いでいるわけだが、肉体的には「愛の嵐」の時から常にスレンダーで、肉感的なボディ・ラインというよりも退廃的な雰囲気でセックス・アピールをより感じさせるランプリングは、登場するほとんどのシーンを脱いでいるに等しい水着姿でいるわけだから、脱いだ脱がないという区別は、実はこの作品では特に重要ではない。まるで昔の黒いスクール水着のような格好が様になるのは、ランプリングならではだろう。


物語はそのランプリング演じるエレンとカレン・ヤング演じるブレンダが同じ男の子レグバ (メノシー・シーザー) をめぐって取り合いになり、中立のスー (ルイーズ・ポータル) が間に立つという展開だ。しかし年頃のレグバには、実は当然地元に幼馴染みの女の子がいる。しかもその子はどこぞの権力者の妾のようなことをしており、彼女に近過ぎることは当時の政情ではあまり安全と言えるものではく、一方で反アメリカ意識が渦巻く中で白人女性に買われる男娼という立場のレグバは、危険な綱渡りをしながら一日一日を過ごしているようなものだった‥‥


エレンとレグバが一緒に海で戯れるシーンで、レグバがエレンに向かって、あんたは陸にいて風が髪をたなびかせているとすごく綺麗だが、髪が水に濡れて張りつくと、とたんに婆さんになってしまうと言うシーンがある。思わず作品の中でランプリングが苦笑し、私も苦笑してしまったのだが、結局、あの年頃の男の子に歳上、しかも中年以上の女性の魅力をわからせようというのは無理がある。というか、できない相談だろう。私もそうだったからよくわかるが、ティーンエイジャーの男の子にとって、30歳以上の女性というのははっきり言って存在しないに等しい。まるっきり目に入らないのだ。大人の女性の魅力がわかるためには、こちらも大人にならなければならない。実際、レグバだって金のためにエレンやブレンダと寝るが、気持ちは幼馴染みの女の子の方に近い。そういうもんだ。


ランプリングは近年、ヴェテラン女優のセックス・シンボルみたいな印象があり、上記の「まぼろし」や「スイミング・プール」以外にも、2003年の「ザ・ステイトメント (The Statement)」では、彼女と、やはりヨーロッパ系色っぽさを代表する一人である「猟人日記」のティルダ・スウィントンが共演している。とはいえこの作品は、隠れナチ戦犯を演じるマイケル・ケインを描いたものであり、それを追うのがスウィントンで、ランプリングは助演という立場で一介の家庭の主婦を演じたに過ぎないが、彼女が演じると普通の家庭の主婦も当然色気を増していた。一方この作品では、無性的色気を発散させるスウィントンに男っぽい格好をさせすぎて逆に失敗しており、おかげでこちらでも出番が少ないのにもかかわらず、ランプリングの成熟した色気の方が印象に残っている。


ついでに言うと、ランプリングは先月ももう一人のシャーロットである (こちらの方はシャルロットと表記されるが) シャルロット・ゲンズブールと共演した「レミング (Lemming)」が公開されたばかりで、ちょい役の「ベイシック・インスティンクト2」も含めると、既に今年、出演作が3本も公開されている。実際、「まぼろし」以降、彼女は目にする機会がぐんと増えたという印象がある。やはりあの作品がこういうヴェテラン女優再発掘というか、彼女にまたスポットが当たる契機になったのは間違いあるまい。実は「ステイトメント」は、アメリカで公開されこそはしたが私の住むクイーンズでは公開されず、結局ヴィデオで見た。「レミング」も面白そうと思っていたのに、結局クイーンズでは公開されなかった。それなのにセックスを前面に押し出した「ヘディング・サウス」がクイーンズまでやってきて公開され、それなりに客が入っているところが今のランプリングという存在を表しているという感じがする。


もちろん「ヘディング・サウス」は歳をとった女性による若い男性買いがテーマなのだが、後ろの方に見え隠れするのが人種問題である。この作品においては、どちらかというと社会の一線に立っているわけではない、元の社会に帰るとたぶんあまり誰からも相手にされない女性が、黒人の若い男を買っている。つまり当時において、ほとんど捨て置かれた女性に金で買われる黒人は、二重に差別されている。監督のローラン・カンテがその辺りを意識したことは確かだが、ではそのことをどういう風に作品の中で実らせたかは、実は定かではない。ただ問題意識を提出したに留まってしまっただけというような気がする。


ホテルの支配人アルベルトがそれなりに描かれるので、搾取されているだけのように見えて実はしたたかな現地人みたいな展開になるかと思っていたが、そうではなかった。中年以降の女性のパラダイスとしてのハイチと、その後ろで白人に対する反感が鬱勃と燻っているハイチ、せっかく70年代ハイチを舞台にしているのだから、この辺をもっと描き込むとさらに面白くなったのではと思ったが、しかし、またまたランプリングを見れたのである。あまり文句は言うまい。 







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system