Flags of Our Fathers   父親たちの星条旗   (2006年10月)

第二次大戦末期、硫黄島に上陸した米軍は執拗に抵抗する日本軍をついに攻め落とす。米軍は小高い山の頂きに星条旗を立てるが、それを気に入った上官が記念にと旗を欲しがったため、改めてさらに大きめの星条旗が掲げられた。その写真は米軍の勝利を象徴するものとして大々的に評判になり、写真に写っていた者はヒーローとして一躍名声を得る。しかし、彼らは本当にその栄誉に相応しい者は他にいることを知っていた‥‥


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今や世界で最も尊敬されている映画監督と言っても差し支えないだろうクリント・イーストウッドの新作は、第二次大戦の太平洋戦の中でも、日本軍にとっては最も悲惨な戦いの一つであり、米軍にとっては勝利の象徴となった、硫黄島に掲げられた星条旗を巡る物語である。原作はその硫黄島で旗を掲げた6人のうちの一人、ジョン・ブラッドリーの息子であるジェイムズ・ブラッドリー。


硫黄島の小高い丘の頂きでで6人の兵士が星条旗を立てようとしている写真は、疑いなく第二次大戦で最も人々の印象に残っている写真のうちの一つだろう。戦勝国のアメリカでは当然以上にその写真は戦意を高揚し、一般の人々が銃後で米軍をサポートする意識を高めるのに一役買った。


そして当然、その写真に写っているのは誰かということが話題になる。日本軍の根強い応戦により、そのうちの何人かは既に戦死していたが、ギャグノン (ジェシ・ブラッドフォード) は自分以外にアイラ (アダム・ビーチ) とドク (ライアン・フィリップ) をそのうちの二人として申告する。しかし実は二度掲げ直された星条旗の二番目の掲揚に手を貸しただけのアイラは、その間違いをギャグノンに指摘したものの、ギャグノンは勝手にアイラの名を残したままにしてしまう。ネイティヴ・インディアンであり、米本土に帰ると自分も差別される側の一人であったアイラは、戦争のヒーローとして顕揚されることに戸惑いを覚える‥‥


イーストウッドのことだから単なる戦争映画になってないだろうということは簡単に予測できたが、だからといって、今回も「ミスティック・リバー」「ミリオン・ダラー・ベイビー」並みの、映画史に残る傑作を期待していたわけではない。イーストウッドの戦争映画と言えば「ハートブレイク・リッジ」があるが、これがイーストウッドの最良の作品ではないことは明らかであり、ま、あれは作品自体が戦争ものというよりは子弟ものといった趣きのある作品であったこともあるだろうが、特にメリハリを欠いた戦闘シーンの描写がイーストウッドの得意分野であるとは到底思えなかった。戦争がイコールアクションとは必ずしもなるわけではない。


ところが今回はどうだ。スティーヴン・スピルバーグ (今回製作も担当している) の「プライベート・ライアン」を思い出させる迫力満点の戦闘描写が随所に挟まる「星条旗」は、近年ではたぶん、「ブラックホーク・ダウン」以来と思われる臨場感溢れる戦闘シーンを提供する。イーストウッドはこういう演出もできたのか。


とはいえ、戦闘シーンがこの作品の要諦でないことも明らかで、ポイントは自分がヒーローでないと知りつつもヒーローとして振る舞わなければならないアイラを中心に、ヒーローであることを自分の人生に利用しようとするギャグノン、二人の間で仲をとりもとうとするドクの3人の、その後の言動が中心となる。話自体がドクの息子が過去を回顧するという体裁をとっているため、ドクが主人公のような位置づけになるのはしょうがあるまい。


これまでの戦争映画と最も異なっていると言えるのが、資本主義社会においては金がなければ戦争はできず、金を得るためには軍部は人々に基金協力を頼む必要があるという視点を明確にしていることだ。戦争ヒーローというのはそのために是非とも必要であり、ヒーローという立場を楽しんでいるギャグノンはともかく、アイラやドクは義務のために嫌々ながらも戦争ヒーローの全米ツアーに同道して各地でモルモットとならなければならない。兵士という立場から最もかけ離れた仕事を与えられれば、兵士は行動規範をなくすだろう。そこでも普通以上に振る舞えるならば、それは元々兵士なんかじゃなかったのだ。その上に何も知らない者からはヒーローと称えられ、上官からはインディアンと罵られるアイラが居所をなくして酒に溺れるようになるのもほとんど当然だ。


ドクを演じるのがライアン・フィリップで、「クラッシュ」に続いてヒューマンな役を与えられている。アイラを演じるのは「スモーク・シグナルズ」のアダム・ビーチ、ギャグノンを演じるジェシ・ブラッドフォードが、スティーヴン・ソダーバーグの「わが街セントルイス (King of the Hill)」で紙に描いたハンバーガーを食っていた子だと知った時には驚いた。驚いたと言えば、イギーを演じているのは「リトル・ダンサー (Billy Elliot)」のジェイミー・ベルというのも驚き。子役で出てきた子はあっという間に成長して顔が変わるので驚かされる。その他、「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」のバリー・ペッパー、現在CBSの「ジ・ユニット」にレギュラー出演しているロバート・パトリック、「ワイルド・スピード (Fast and Furious)」のポール・ウォーカーという面々もいる。


イーストウッドの演出は現場で学んだものであり、天才的な閃きを見せるというよりも、こうあるべきというショットを的確に繋いでいく正攻法だ。時々あまりにも常套的に過ぎるほど真面目に正攻法で推すので、「真夜中のサバナ」のように逆に冗長になったような気にさせる時もないこともないが、近年のイーストウッドを見ていると、奇を衒わず正統に撮ったものがはまる時がやはり最も効果的で力があると思わされる。一本筋が通っているやつはモノが違う、他の監督とは格が違うと思わされるのだ。


しかも近年のイーストウッドの視点は、常に弱い者に寄り添っている。今回のネイティヴ・アメリカンであるアイラをはじめ、「ミリオン・ダラー・ベイビー」での女性/障害者、「ミスティック・リバー」での虐待経験者、笑いのオブラートで包んだ「スペース・カウボーイズ」は若い者から顧みられない高齢者が主人公だった。アクションの「ブラッド・ワーク」ですら、心臓移植手術のために派手に動き回るとヤバいという元FBIエージェントで、まあ、これは弱者というよりも、ただ設定をドラマティックにする方便という感じもしないでもなかったが、それでも、同じ役者がかつて無頼無敵のダーティ・ハリーだったことを思えば、隔世と言ってしまっても差し支えないだろう。そのイーストウッドが、敗戦、自滅への道を辿った日本軍をどうとらえたのか。「父親たちの星条旗」と対を成す次作の「硫黄島からの手紙」が、傑作となって我々の目の前に現れる予感が今からひしひしとする。 







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