Black Book (Zwartboek)   ブラックブック  (2007年5月)

第二次大戦末期、オランダに疎開していた元歌手のユダヤ人ラヘル (カリス・ファン・ハウテン) はナチの手を逃れてより安全なところに逃げるため、深夜、船に乗って脱出する手筈を整える。そこには久しぶりに再会する父や弟の姿もあった。しかしその船はナチに発見され、ラヘル一人生き延びる。再びオランダに舞い戻ったラヘルは工場で働きながらレジスタンスを手伝う。ある時汽車の中で偶然ナチの高官ムンツェ (セバスチャン・コッホ) に出会ったラヘルは、素性を偽ってナチのお膝元に潜り込むという任務を負わせられる‥‥


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先週、主人公が他人の目には見えない透明人間であるという「ジ・インヴィジブル」を見たのだが、それで、それこそその透明人間こと「インビジブル」(原題は「Hollow Man」だが) を撮っているポール・ヴァーホーヴェンを思い出した。そしたらそのヴァーホーヴェンの新作、「ブラックブック」が公開された。今回は母国オランダに戻って撮り上げた第二次大戦ものだそうだ。


とはいえオランダが舞台の大戦ものというと、誰でも当然真っ先に思い出すのは「アンネの日記」だろう。一方、ヴァーホーヴェンというと、今度は誰もがすぐに連想するのは女性の裸に違いない。必ずしも女性の裸ではなくとも、ヴァーホーヴェンという名前とねちっこいエロさはわかち難いものがある。おかげでヴァーホーヴェンの撮る大戦ものと聞いて、アンネが色仕掛けでナチにとり入る、みたいなものを反射的に連想してしまった。アンネ・ファンに刺されかねない。


いずれにしてもヴァーホーヴェンの手による「ブラックブック」は、かなりシリアスな内容でありながらエンタテイニングな仕上がりとなっている。その上いかにもヴァーホーヴェンらしいエログロさは健在で、やっぱりヴァーホーヴェンって面白いじゃないかと思わせる。考えたらヴァーホーヴェンって、エログロ裸、エンタテインメントをすぐ連想してしまうわけだが、中身はかなりメッセージ色が強かったりシリアスだったりする。本人は至って真面目な人間なんだろうと想像するが、いわば硬派のスケベという矛盾を堂々と体現しているのがヴァーホーヴェンという存在だ。


しかしそうやって、たぶん本人としては真面目でありながらも常にエンタテイニングな作品を撮っているつもりであろうとも、時として評価が大きく割れるのがヴァーホーヴェンという演出家の最も大きな特質だと思われる。実際の話、私としては「氷の微笑 (Basic Instinct)」と「ショーガール (Showgirls)」の間に、特に大きな違いがあるとは思えない。両者とも同じ人間が書いて同じ人間が演出しており、微妙なテイストの違いは確かにあるが、その類似性は否定しようがない。むしろ後者の方がサーヴィス精神は旺盛だろう。それなのに、両者の興行的、および批評家からの受けの違いは本当に月とスッポンだった。たぶんヴァーホーヴェン本人も、なんで一方はこんなに受けてなんで一方がこれだけこけるのかはまったくわからなかったに違いない。これを主演女優の差のせいだけに帰すのはまったく間違いだ。


「ブラックブック」は、その硬派でありながらどうしても女性の裸に目を奪われてしまうという二律背反したものを抱え持つヴァーホーヴェンの特色が、最もよく、しかもエンタテイニングに現れた作品と言うことができよう。戦争をエンタテイニングに撮るというのは、ほとんど自地が戦場となることなく戦勝国となったアメリカ以外で作られた作品ではかなり難しい話で、ヨーロッパ主体で第二次大戦を撮った映画だと、重いというか、文芸色が前面に出たり、戦争映画といっても実質主人公は子供の、成長ものだったりする場合が多い。今でもこの時代を舞台にした映画は撮られているわけだが、それが説教くさくなくエンタテインメント性重視で撮られるようになったのは、つい最近になってからのような気がする。そしてついにヴァーホーヴェンがハリウッド並みの予算をかけて大戦を舞台に作品を撮る。面白くないわけがないのだ。


実際「ブラックブック」はエンタテインメント性、メッセージ性、エログロ、女性の裸の上にスカトロまで入っており、この作品が匂いつきでなくて本当によかったと思わせられた。というのも最近、TVでショウタイムの「ディス・アメリカン・ライフ」で子供自分におしっこをもらした女性の話を聞かされて、私も小学校時代に学校でうんこをもらしたクラスメイトのことを思い出してしまったのと、NBCが最近、「マイ・ネイム・イズ・アール」で、番組を見ながら一緒に匂いを含ませた紙をこすりとって匂いを嗅ぐという「スクラッチ・アンド・スニフ・エピソード」を放送していたからだ。おかげでつい、「ブラックブック」で主人公のラヘルが裏切り者として肥溜めの中身をぶちまけられてうんこおしっこまみれになるというシーンで、ここで糞尿の匂い付きだったらと、思わずぞっとしたのであった。


主演のラヘルに扮するカリス・ファン・ハウテンは、いかにもヴァーホーヴェンが好みそうな癖のある美人で熱演している。ヴァーホーヴェンはこういう人におっぱい出させることに生き甲斐を感じるんだろう。「善き人のためのソナタ」に出ていたセバスチャン・コッホがドイツ人将校ムンツェ役で出ているが、「ソナタ」ではなにも知らない理想主義の作家、ここでは誰にでも公平であろうとする将校と、やはり人のよさそうな役。確かにそういう顔に見える。一方、こういう作品では悪役の造型も重要であり、一見してうさん臭そうな顔でありながら、実は歌がうまく、綺麗な声で完璧にはもるというドイツ人将校ギュンターを演じたワルデマー・コブスの方が印象は大きかったりする。よく練られた悪役というのは主人公より儲け役だ。


実は主人公が生存のために自分の持てるものを総動員して逃げる、あるいは戦うというシチュエイションで私が思い出したのは、その他の戦争ドラマではなく、つい最近見たからまだ記憶が鮮明だったということもある、マーク・ウォールバーグ主演の「シューター」だった。前半、船に乗っていてナチに掃射され川に飛び込み、ずぶ濡れになりながら逃げたラヘルは、「シューター」で追われて車ごと川に落ち、やはりずぶ濡れで逃げたウォールバーグを思い出させたし、どこにでも手に入る市販品を利用し、自分の知識を総動員して生き延びるという展開が似ている。


方や水と塩で点滴を作り、ホイップ・クリープを大量に飲んで麻酔代わりにして昏睡して手術すれば、こちらは打たれたインシュリンを中和するために、大量にチョコレートを食ってインシュリンに糖を分解させることで窮地を逃れる。こういう二進も三進もいかない窮地で絶対に諦めないサヴァイヴァル精神がそっくり。生き延びようという意志も大事ならば、それを実現させる知識も重要だ。それにしても「シューター」を思い出させるところが、「ブラックブック」が戦争ドラマというよりエンタテインメント作品として機能していると思わせる。 







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