放送局: PBS

プレミア放送日: 9/5/2006 (Tue) 21:00-22:30

製作: WNET

製作総指揮: スティーヴン・シゴーラー

製作: ジュディ・カッツ


内容: 学校に通う7人の世界中の子供に焦点を当てるドキュメンタリー。


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英国の映像作家マイケル・アプテッドがライフ・ワークとしている作品に、「ジ・アップ・シリーズ (The Up Series)」というドキュメンタリー・シリーズがある。英国の異なる階級に属する同い年の子供を7年毎に撮り続けるというたいそう根気の要るもので、当時7歳の子供たちをとらえたその最初の作品「セヴン・アップ (7 Up)」が製作されたのが、1964年のことだった。


その7年後に、14歳となった同じ登場人物を追った第2作「7 プラス 7 (7 plus 7)」が撮られる。「7アップ」ではクルーの一人に過ぎなかったアプテッドは「7プラス7」からプロデューサー/監督を兼業するようになり、さらにその7年後、「21」が撮られる。年齢を示す数字の後に「アップ」という単語を添えて作品タイトル名とすることが定着したのは、その次の「28アップ」からだ。


その後シリーズは7年毎に「35アップ」、「42アップ」と続き、現在、ニューヨークでは最新の「49アップ」が劇場公開中だ。当初14人いた登場人物は現在では二人抜け、また、いったんドロップ・アウトしてまた復帰した者もいるなど、「49アップ」では12人の現在が語られる。


この試みに歴史的意義があることは論を俟たない。同じ国で生まれ育った人間が、何年後にはどういう人生を歩んでいるか。さらにまた何年か後にはそれがどう変わっているか。あるいは違う階級で生まれたことがどう影響するか。何が変化して何が変化しなかったのか、何が見えてきて何が見えないままなのか、それらを比較検証することによって、時代、歴史の何かが浮かび上がってくるかもしれない。


既にシリーズは半世紀近くを費やして同じ登場人物を追い続けているのであり、最初、子供として登場した彼/彼女たちは、既に自分たちの子供どころか孫ができる歳になりつつある。次の「56アップ」ではリタイアして悠々自適の生活に入っている者もいるかもしれないし、病気かなんかで亡くなっている者がいることも考えられる。継続は力なりを実践しているのが、この「アップ」シリーズだ。


この方法論を推し進め、今度は世界中に住むだいたい同年齢の7人の子供たちが学校に通う様を一定の時間を置いて撮影し、世界各国の教育の現状をとらえるのが、「バック・トゥ・スクール」だ。「アップ」では、カメラがとらえるのは英国に住む英国人だけだったのが、「バック・トゥ・スクール」では世界中に点在する子供たちをとらえる。たとえ現地の撮影クルーを採用していようとも、その手間隙がかなりのものになるのは言うまでもない。


「バック・トゥ・スクール」は、この試みの第2作目に当たる。第1作目の、世界各国で就学する年齢に達した子供たちをとらえた「タイム・フォー・スクール」は既に3年前に放送されており、その時はだいたい小学校に入学する前後の年齢に達していた子供たちの模様をとらえた。その子供たちとは、ベニンに住むナナヴィ、ブラジルのジェファーソン、アフガニスタンのシュグファ、ルーマニアのラルーカ、インドのニーラジ、ケニアのジョーブ、そして日本のケンだ。特に番組においては、その中でもあまり恵まれた環境にいるとは言えない、女の子が受ける教育という点に注目している。


アメリカ資本のこの番組にアメリカの子供が含まれていないのは、基本的に貧富の差が激しいアメリカ人の子供から誰か一人を選ぶという作業が、かなり難しいことが理由になっていると思われる。やろうと思えば、アメリカ内で人種や階級、しゃべる言葉の異なる子供たちを集めようと思えばできないことはなく、しかもそれでも全員彼らはアメリカ国籍を持つアメリカ人だ。この中から誰か一人を選んでアメリカ代表として世界中の誰かと比較するのは、ほとんど意味がない。


そんなわけで選ばれた世界中の子供の中にアメリカ人は入っていない。英国やフランス等のいわゆる先進国も入ってないが、それは結局、先進国の中でも特に教育システムが発達し、詰め込み主義と言われるほど教育に力が入れられている日本が先進国を代表しているからだろう。もっとも、日本人の目から見ると、日本の教育システムは実はかなり歪つなのではと思えるのだが、しかし、そういうシステムが構築されている結果、日本人の教育レヴェルはかなり高いという事実は否めない。実は日本語というのは、かなり難しい言語だと私は思うのだが、日本人で普通に読み書きのできない子供というのはまずいないだろう。ところが、世界では満足に教育を受けられない結果、文盲のまま成長した大人がかなりの数に上るのだ。


「バック・トゥ・スクール」においても、たとえばインドのニーラジやベニンのナナヴィの母は読み書きができなかったりする。それで、では子供に教育を受けさせることに必死になるかどうかは、住んでいる地域による。だいたいの場所において親は子に教育を受けさせることが重要と考えているのだが、そう考えない地域もある。特に発展途上国がそうで、それらの場所では学校に行く年頃の女の子というのは、重要な家庭の働き手であったりする。そういう場所ではだいたいが大家族であったりするため、彼女らには炊事洗濯掃除を中心とする山のような仕事が押しつけられる。しかも親は、女の子はどうせ大きくなったら結婚して家を出て行くものと決めてかかっており、それなのになぜわざわざ金をかけて教育を受けさせてやらないといけないのかと思っているのだ。考えたら半世紀前までは日本だって結構似たようなもんだったかもしれない。


このような場所では、学校に何も心配することなく通うことができるというのは、ものすごく恵まれていると言える。例えばエイズが猛威を揮っているアフリカでは、家庭内からエイズ患者を出すと村八分になってしまう。その時、それが事実かデマかは関係ない。そして実際なんの病気かは知らないが母親が亡くなったジョーブは、いきなり学友をなくし、一度学校をドロップ・アウトしてストリート生活を体験している。ナナヴィは父親が亡くなったために、こちらも学校に通うことが困難になる。


インドのニーラジは、本人が学校に行きたくても、家畜に草を食ませるために、親と共に何か月にもおよぶ牛追いの旅に同道しなければならない。撮影隊クルーがニーラジの家に行くと、携帯や電話なんてまったくない地域の話である、いったん家を離れると親だって彼らがどこにいるか見当もつかず、帰って来るまで連絡のとりようがないのだ。リオのスラムに住むジェファーソンは、当然の如くサッカーが大好きだ。彼の生活はまったく「シティ・オブ・メン」を彷彿とさせる。ギャングが抗争する銃声を聞きながら学校に通うなんて生活をフィクションではなく実際にやってんだよねえと考えると、ほおっと溜め息が出る。


彼らの中でもっとも恵まれているのは、やはり日本のケンと、ルーマニアのラルーカだろう。両方とも親が共働きで、教育に力を入れている。とにかく、まずは経済的な基盤がしっかりしていないとなにも始まらない。奈良の小学校に通うケンの場合、母親は、息子が自分で努力する限り、将来なんにでもなれるだろうと話す。ラルーカを除き、番組に登場するその他の子供たちにはそのオプションはまったく与えられていない。


番組では、小学校に上るケンと同じ学級の児童の全員が、その段階で既にすべてひらがなカタカナを読み書きでき、黒板に書いてある校歌を読んで歌えることを強調する。実は世界ではそうであることの方が圧倒的に少ないのだ。ラルーカはルーマニアでも有数の学校に通学しているが、進路を決めるのに重要なテストが既に目前に迫っている。そのテストにパスしなければ将来の希望進路を修正せざるを得ない。また3年後に、ラルーカがまだ学校に通って勉強しているかの保証はどこにもないのだ。


「バック・トゥ・スクール」は、特に女の子を中心に、世界中の教育システムをとらえるドキュメンタリー・シリーズである。そのため、たぶん作り手と出演者が生きている限り続いていくと思われる「アップ」シリーズとは異なり、一応「バック・トゥ・スクール」は、12年間という製作スパンがあらかじめ設定されており、その期間内で教育を受ける、あるいは受けることのできない子供たちを追うという趣旨で製作されている。


実際、既に自分の意思にかかわらず、ほとんど学校をドロップ・アウトせざるを得ない状況に近いところまで追い詰められている子供たちもいる。そういう子たちを見ていると、教育を受ける権利というのはでかいと思わざるを得ない。世の中には勉強したくてもできない子も大勢いるのだ。最も恵まれている一人のラルーカですら、成績次第では上の学校に進む道を閉ざされる。日本のようになんでもいいから短大や3流大にでも行っておけばいいというオプションはそこにはない。たぶんこの中で、大学まで行くのはケンただ一人だけだろうと思える。あとの子たちは、一応それなりの教育を受けられはするだろうラルーカを除き、小学校すら満足に卒業できるか怪しいもんだ。


番組は当然また数年後 (たぶん3年後) に続編が予定されている。幼い頃から成長するまでの教育に焦点を合わせている番組だから、番組毎のスパンが短いのは当然だ。「アップ」シリーズのように7年毎に撮っていたらあっという間に子供たちは大人になってしまい、興味の焦点である成長期の教育がとらえられなくなってしまう。3年後に果たして彼らのどれくらいが中学レヴェルに進んでいるか、私としては予想もできないと言うしかない。






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バック・トゥ・スクール   ★★★

 
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