American Gangster   アメリカン・ギャングスター   (2007年11月)

1970年代ニューヨーク。ハーレムを仕切っていた男が心臓発作で死亡し、そのボディガードとして信頼を得ていたフランク・ルーカス (デンゼル・ワシントン) がその後釜として頭角を現してくる。フランクはプランを練り、タイから第三者を通さずに麻薬を密輸することで巨額の利を得る。一方、直情径行型の刑事リッチー・ロバーツ (ラッセル・クロウ) は、曲がったことが大嫌いなため、逆に警察の中で浮いていた。そこを見込まれ、ニューヨークで出回っている麻薬を根こそぎにするための特別ユニットの指揮を任される‥‥


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なんか最近、時代を問わずニューヨークを舞台とした映画、しかもスリル/サスペンス/アクション系のドラマが矢継ぎ早に公開されている。「マイケル・クレイトン」を筆頭に、「ウイ・オウン・ザ・ナイト」「ビフォア・ザ・デヴィル・ノウズ・ユアー・デッド」、そしてこの「アメリカン・ギャングスター」と次々と公開され、しかも質も高いと評判もいい。


むろん新規公開映画の舞台がニューヨークばかりというわけではないのだが、私の見たい映画がことごとくなぜだかニューヨークを舞台にしている。アクション系ばかりでなく、ハート・ウォーミング系の「オーガスト・ラッシュ (August Rush)」もあって、要するにやはりニューヨーク舞台作品の密度が相対的に高いとは言えるだろう。その中でもやはり出演者関係者の豪華さから見るに、この「アメリカン・ギャングスター」がトリを飾るという印象が濃厚だ。なんせリドリー・スコット監督、デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウ主演のギャング映画とくれば、これはいやが上にも期待してしまう。


70年代のハーレムを仕切っていた大物黒人ギャングのボスが死亡する。その片腕として着々と力をつけていたフランク (ワシントン) は、代わってめきめきと頭角を現してくる。他人を信用しないフランクは、自分の出身地から親兄弟を呼び寄せ、身内だけで一大ギャング・コングロマリットを築き上げる。フランクはヴェトナムに駐留している親族を利用、地元の麻薬王から第三者を通さずに100%純粋の大麻を密輸することで莫大な利益を上げる。警察の目は組織立ったギャング組織を持つことの少なかった黒人ギャングではなく、大掛かりな白人ギャング組織に向かいがちで、しかも目立たないように手堅く経営するフランクは完全に警察の網の目をかいくぐることに成功していた。


一方、正義感が強過ぎ、仲間からも家庭でも疎まれがちの生っ粋の刑事リッチー (クロウ) は、そのため孤立する。逆にそのことを見込まれ、ハーレムで猛威を振るうドラッグを流通させているその大元を突き止めて根源を絶つという仕事を与えられる。リッチー自らがリクルートしてきた少数精鋭の荒くれ刑事たちは、事態の困難さに悪態をつきながらも、徐々にフランクに対する包囲網を狭めていく‥‥


実はスコット、ワシントン、クロウという大物三羽烏の揃い踏みで注目されていたとはいえども、特に意図して前知識を得ようとしていたわけではないので、ハーレムを舞台にしたギャングものということ以外は、ほとんど内容に関しては事前にはよく知らなかった。それで、予告編を見る限り、ワシントンがギャング、クロウが刑事というのは間違いないようだとは思っていたが、果たしてどちらが実際に受ける印象としていい者側か悪役かということには確信は持てなかった。刑事だからいい方、ギャングだから悪い方と一筋縄でいかないのはもちろんだ。


しかも最近彼らが演じた役は、私が見ている限りでは「3:10・トゥ・ユマ」でクロウが演じたガン・マンは悪役だし、一方「インサイド・マン」のワシントンは刑事だ。「ギャングスター」でたとえクロウが刑事、ワシントンがギャングというキャラクター設定になっていようとも、それがそのまま善悪の側を意味するわけではないだろう。フランクは庶民の味方のギャングかもしれないし、一方リッチーは腐った刑事かもしれない。どちらかというと何となくそちらの方が両者に合っているというような気もする。


とはいえ実際にはそういうことはなく、フランクはやはり悪者という位置づけだし、リッチーはあくまでも武闘派の正義漢だ。そして作劇術としての「ギャングスター」の面白さは、両側を代表するこの二人が最後の方まで決して相見えることがないところにある。共演とはいえ、クロウ演じるリッチーは自分が追う敵が誰かわからないまま包囲網を張っているのであり、フランクは決してしっぽをつかまれないよう細心の注意を払っている。そのため、二人が初めて顔を合わせるのは後半の山場になってからだ。そしてそこまで充分引っ張っているので、この、初めて二人が顔を合わせるシーンのシチュエイションは、ただひたすら格好いい。あまりに二人とも格好いいので涙が出そうになったくらい格好いい。歌舞伎なら絶対客席から声がかかるシーンだ。


これまで共演したことのなかったスターが両雄相見えることが評判になるということで思い出すのは、ここ10年くらいではやはりマイケル・マンがロバート・デニーロとアル・パチーノを起用して撮った「ヒート」だ。そして「ヒート」でも、実は両スターが初めて顔を合わせるのは後半も差し迫ってそろそろクライマックスという段階に入ってからだ。それまでは刑事 (パチーノ) はギャングのデニーロを追っているのだが、途中までは相手の名も顔も知らない。それを段々包囲網を狭め、追いつめていく。さらにここでは刑事がパチーノ、ギャングがデニーロという配役だが、これも裏返しても充分通用するはず。あるいは、もしデニーロが刑事でパチーノがギャングならどういう作品になったかを想像する楽しみもあったわけだが、そのことはもちろん「ギャングスター」にもそのまま当てはまる。


さらについでに言うと、「ヒート」では刑事の方は仕事に入れ込むあまり家庭がほったらかしで、ほとんど崩壊寸前、子供もいるが、結局彼女らは去っていかざるを得ないというシチュエイションまでそっくりだ。結局仕事に打ち込む男に家庭は馴染まない。面白いことに「ヒート」でも「ギャングスター」でも刑事の家庭は最初からほとんど崩壊寸前だが、一方のギャング側はそれがうまくいくかどうかはともかくとして、しっかりとした家庭を築こうと努力する。「ゴッド・ファーザー」ですらそうだったが、ギャングの方が家庭を大切にしようとするのだ。血の絆がやはり最も信頼できることの証左か。悪事に手を染めていたらなおさらそうなのだろう。


配役で主演の二人以外で面白いのは、「インサイド・マン」で刑事のワシントンの部下を演じていたキウェテル・イジョフォーが、ここでもまたワシントンに顎で使われる役 (ここでは弟だが) を演じている。相手が「トーク・トゥ・ミー」のドン・チードルだとまだ役の上ではタメを張るんだが、相手がワシントンだと、刑事だろうがギャングだろうがまだ下っ端となるところがなにやらおかしい。汚れ刑事役に扮しているのはジョシュ・ブローリン、クロウの妻に扮しているのはカーラ・グギノ。他に「君とボクの虹色の世界」で印象的だった靴のセールス・マン、ジョン・ホウクスがクロウの配下の刑事として出ている。なんかこの人の顔って、気になるいい顔していると思う。


実はこの作品、時間の都合で普段よく行くマルチプレックスではなく、ジャマイカというクイーンズでは黒人の町として知られる場所のマルチプレックスで見た。以前「ライズ」を見に行って居心地の悪い思いを味わったあのマルチプレックスである。考えたらあの時も黒人映画、今回も黒人の町が舞台の映画だ。当然黒人観客が多くなることを想定しているために、黒人層が主体の町でかかる回数が多くなる。そのため、自然ここで見る方が一番こちらにも都合のいい時間に合わせやすくなる。


今回は映画館の中では特に居心地の悪い思いを味わったわけではないが、たぶん、やはりワシントンは黒人層の特に一部からはほとんど崇拝とでもいうような人気を集めているようで、一人で見に来ている黒人がやたらといた。どう考えてもクロウではなくワシントンを見に来ているに違いない。場所柄黒人が多いということを差し引いても、観客の半数くらいが様々な年齢層の黒人一人だけ、という観客層の中で映画を見るという機会はめったにない。そういった一人が、作品も山場にさしかかって、ついにクロウが本ボシとしてワシントンに目をつけ、彼の写真をボードに張りつけた瞬間、「Year, that's him!」とスクリーンに向かって大声を上げるのだ。おまえ、ワシントンを見に来ているのではないのか。


このマルチプレックスは市街にあるので駐車場がなく、車を路上に停めるしかなく、それもわりと離れた公園の近くにしか停められなかった。作品が終わったのはまだ午後7時くらいだったのだが、冬のこととて既に暗く、しかも寒いので出歩いている人も少ない。そこまで向かって歩くだけでも、まったく人気のない、街灯もない (あることはあるのだが半分は壊れて灯がついていない) 一瞬真空地帯みたいな場所がそこここにある。あまりよく来るところではないので、まだ明るいうちに車を停めた時は、ここが日が暮れるとこんなにヤバそうな雰囲気になるところだとは露ほども想像しなかったのだ。


なんか、女房と、ちょっと、車停める場所間違えたかも、と言いながら歩いていて、ふと顔を上げると、わざわざ暗いところを選んでいるとしか思えないところで誰かが携帯でぼそぼそと話している。ドラッグの売人であることは100%間違いあるまい。と思いながら通り過ぎ、さらに真っ暗な真空地帯で、ほとんどこの寒空に薄着のやつがぬっと何も言わずに立っているのに気づくと、かなり仰天する。頼むからこんな暗いところで黒人が黙って突っ立っているなんてことはやめてくれ、直前になるまでほとんど気がつかないんだから。かなりびびるぞ、とほとんど人種差別的に罵ってしまいそうになる。さっきのやつが売人ならお前はヤク中間違いなしってか。などと、びびりびびり帰ったのであった。ああ、70年代ハーレムってきっとこんな感じだったんだろうな。







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