A Prairie Home Companion
今宵、フィッツジェラルド劇場で (ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン) (2006年6月)
A Prairie Home Companion
今宵、フィッツジェラルド劇場で (ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン) (2006年6月)
長年親しまれてきた公開ラジオ生放送番組の「プレイリー・ホーム・コンパニオン」も時代の趨勢には勝てず、オーナーが代わり、ついに最終回を迎えることになる。その夜、何か問題が起こりそうな気配を察した劇場側は、私立探偵のガイ (ケヴィン・クライン) を雇って警護に当てる。最後の舞台が始まって、ガイは怪しい女 (ヴァージニア・マドセン) を発見するが‥‥
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今年のアカデミー賞授賞式で、メリル・ストリープとリリー・トムリンが不思議なかけ合い漫才みたいなことをしていたのを覚えている者は多かろう。ヘンな組み合わせだが妙に息が合っており、さすがに二人とも芸達者だなと思わせた。二人がそういうことをする、そのそもそもの理由となったのが、この「今宵、フィッツジェラルド劇場で (原題: ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン)」だ。
「プレイリー・ホーム・コンパニオン」とは、アメリカの公共ラジオで放送されているカントリー系の番組である。実はカントリーというのは私が演歌の次というかほぼ同等に苦手としている音楽で、ほとんど生理的に受けつけない。そのカントリー音楽のステージが主要舞台、というか舞台そのものであるこの映画を、「ナッシュヴィル」のロバート・アルトマンが撮っているのでなければ、どんなに評がよかろうが見に行こうとは考えもしないところだ。それなのに昨年の「ウォーク・ザ・ライン」といい今回といい、半年の間にカントリーがテーマの映画を2本も見ている。
「プレイリー・ホーム・コンパニオン」は現在でも週一の割合で放送されており、だいたいその半数くらいは舞台の生中継という体裁をとっている。カントリーでこういうステージものというと、普通誰でもナッシュヴィルの歴史のある「グランド・オール・オープリー」を考えると思うが、実際「プレイリー・ホーム・コンパニオン」は、その「グランド・オール・オープリー」をお手本にして始まったのだそうだ。
映画にも番組ホスト役として主演しているガリソン・キーラーが実際にもラジオ番組の創始者であり、自分のその番組から今回のアイディアを得、脚本も書いている。あまり抑揚もなく、淡々というか、朴訥な喋り方をするキーラーは、特にホスト、DJとして向いているかというとちょっと首を傾げてしまうのだが、逆にそのために、いったん彼の独特の間合いに慣れてしまうと、今度は彼の喋りじゃないとなんか落ち着かない。居心地が悪いような気になってしまう。実際、映画を見る前までは、ほとんどカントリーに縁のない私はキーラーという人物がどこの誰だかまったく知らなかったのだが、彼がスクリーンに登場して喋り出したとたん、あ、こいつだったのかと合点が行った。つまり彼の顔を知らなくても、アメリカに住んでいたら、絶対誰でも彼の喋りを何度かは聞いたことがあるはずだ。そしてあの独特のリズムは、一度聞くとまず忘れない。さらにお喋り同様、下唇が突き出た常時不機嫌ヅラが、これまた視覚的にも印象に残る。つまり、彼は唯一無二の存在なのだ。
ラジオの「プレイリー・ホーム・コンパニオン」は公共放送だから、基本的にコマーシャルは入らない。それなのに映画では、キーラーが舞台の上で何度も何度もスポンサーの宣伝をしている。私はラジオでこの番組をまともに聴いたことは一度もないので、公共放送とはいえ一般企業からなんらかの援助を得ている場合は多いから、TVと違ってラジオの場合はちゃんと番組内で告知するんだなあとばかり思っていた。そしたら、あの宣伝は番組の一部で、スポンサー名は全部架空のものなのだそうだ。要するにリスナーは、今度はいったいどんな架空企業が出てくるのかを楽しんでいるわけだ。しかし、キーラーがいつもの調子でああも淡々と協賛企業名を述べるものだから、内情を知らないと完全に騙される。道理でやたらとヘンなクッキーの名ばかり連呼すると思ったよ。
映画ではその「プレイリー・ホーム・コンパニオン」も時代の趨勢には勝てず、新しい劇場オーナー (トミー・リー・ジョーンズ) は劇場を潰してそこに駐車場を作りたいと思っている。最後のステージとなった「コンパニオン」には、最後にもう一花とばかり、番組のレギュラーや特別出演のシンガーがやってきて入れ替わり立ち替わり舞台に立つ。最後の日をつつがなく終わらせるために雇われた私立探偵のガイ (ケヴィン・クライン) は、そこに白いトレンチ・コートを着た謎の女 (ヴァージニア・マドセン) を発見する。しかも彼女はなぜだか特定の人間にしか見えないようなのだ。胸騒ぎを覚えるガイだったが、しかし、案の定、ステージが進行中の舞台裏で、ヴェテラン・シンガーの一人が事切れるという事態が起きる‥‥
いつもながらのアルトマン得意の複数ストーリー同時進行の群像ドラマであり、その上また、「ナッシュヴィル」を彷彿とさせるカントリーものでもある。演じる面々はその「ナッシュヴィル」にも出ていたリリー・トムリンを筆頭に、彼女と一緒にメリル・ストリープがジョンソン・シスターズという姉妹グループとして歌う。この姉妹、なにやらオフ・ビートの漫才コンビとでもいうような雰囲気を醸し出しており、要するに、これがアカデミー賞で二人が演じていたものだ。それにしてもストリープって演技だけじゃなく、歌もうまい。さらに自殺願望を持つストリープの娘に扮しているのはリンジー・ローハンで、これだけでも既になかなかの配役。他にもNBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ」のマヤ・ルドルフが劇場の進行係、漫談シンガーのレフティ&ダスティにジョン・C・ライリーとウッディ・ハラーソンが扮し、主として笑いの方を受け持っている。特にレフティ&ダスティの漫談卑猥ソングは実際にかなり笑える。
「コンパニオン」がアルトマン作品であると共に、あるいはそれ以上にキーラー作品となっているのは致し方あるまい。「コンパニオン」のそもそもの成り立ちから彼のものである上に、映画でも彼が主演しているのだ。とはいえ、映画のリズムや編集、カメラの動きなんかはいかにもアルトマンで、ジョンソン・シスターズの楽屋でのシーンなんか特に「ナッシュヴィル」を想起させる。一方で随所に挟まるオフ・ビートのユーモアが絡む会話、特に謎かけやジョークの味わいは、アルトマンよりはキーラーなんだろうなと思う。アルトマンが脚本の内容まで最初からタッチしていたら、もっと毒が効いていたに違いない。しかしそのために、より万人向きになったとは言えるかもしれない。要するにこの作品、オリジナル・ラジオ番組の「コンパニオン」を知っているとより楽しめるとはいえ、知らなくとも楽しめるし、いつもほど辛口ではないとはいえ、アルトマン作品として見ても楽しめる。
今年のアカデミー賞では、トムリン、ストリープ以外にもアルトマン本人も登場したのは記憶にも新しいが、その時アルトマンは10年前に心臓の移植手術をしたことを明らかにして我々を驚かせた。この話は業界でもあまり知られていなかったと見え、その後かなりの媒体でこの話題を目にした。そんな大手術の後に復帰して「ゴスフォード・パーク」や「コンパニオン」を撮ったのか。80歳のアルトマン、75歳のクリント・イーストウッドが健在で次々と傑作をものにするのを見ると、勇気づけられるのと同時に、やっと彼らの半分しか生きていない私も頑張らねばと思うのだった。蛇足だが、映画では最終回を迎えた「コンパニオン」であるが、むろん実際の「コンパニオン」は現在でも続いているし、キーラーは意気軒昂で、今後もずっと番組は続いていくとインタヴュウで答えていた。彼が舞台でエンジェルの姿を見るのは、まだまだ先の話なんだろう。