World War Z


ワールド・ウォーZ  (2013年6月)

「ワールド・ウォーZ」は、なんでも史上最も金のかかっているゾンビ映画だそうだ。予告編だけを見てもさもありなんと思う。あれだけうじゃうじゃと都市に現れるゾンビを描いていたら、たとえその半分以上がCGだろうと、簡単には撮れんだろう。 

  

「ワールド・ウォーZ」には原作がある。映画ではブラッド・ピット演じる主人公のジェリーが本当に世界各地に飛ぶんだなと思ったが、マックス・ブルックス著の原作では、それこそ世界の主だった都市のほとんどで話が展開するらしい。日本も舞台の一つだそうだ。 

  

そのためかなり長い小説だ。映画では基本的にアメリカ、韓国、イスラエル、スイスで話が展開するが、それでもどうやらこれは疫病との長い長い戦いになりそうだとの認識が人々の間にやっと生まれてきたところくらいまでを描くのがやっとだ。やろうと思えばシリーズ化も可能だろう。 

  

ゾンビというのは、原則、暗喩としてしか機能しない。死んでいる、つまり動くわけがないものが動くところに怖さがあるわけだが、現実世界においては、それはあり得ない。ましてや噛まれてから10秒でゾンビ化するなんて、そんな急激な科学変化に人間の身体が耐えられるわけがない。そんな急激な変化が細胞に起こったら、生き返るどころか完全に死んでしまい、それこそゾンビにすらなれなくなってしまう。 

  

多くのSF、 ファンタジーも比喩として提出される場合が多いが、ゾンビものほど見た瞬間から嘘っぽいと思われるジャンルはない。幽霊ものより作りものくささを発揮していると言えるのが、ゾンビものだ。しかし、とはいっても、やはり怖いものは怖い。恐怖という感情は逆にそういう自然物理法則に従わない、つまり何が起こるか、何をされるかわからないというところに発生するので、比喩だろうが現実に起こり得る可能性は万に一つもなかろうが、怖いものは怖いのだ。 

  

現代のゾンビは、走るゾンビと走らないゾンビの二派に大別できる。一時進化し始めて走るゾンビが現れた時は、時代は走り続けるしかないと思えたものが、ここへ来て走るゾンビとは知らないゾンビが共存し始めた。とはいっても同じ場所に走るゾンビも走らないゾンビも両方いるのではなく、彼らは棲み分けている。 

  

「28週後 (28 Weeks Later)」「アイ・アム・レジェンド (I Am Legend)」「ゾンビランド (Zombieland)」「バイオハザード(Resident Evil)」、BBCアメリカの「デッド・セット (Dead Set)」は走るゾンビだが、AMCの「ザ・ウォーキング・デッド (The Walking Dead)」、コメディ・セントラルの「アグリー・アメリカンズ (Ugly Americans)」「ウォーム・ボディーズ (Warm Bodies)」は走らないゾンビだ。走らないゾンビがコメディに多く出演するようになったのは、やはりあのゆるゆるとしたリズムと関係しているか。 

  

一方、原則として、あるゾンビの群れの中に、走るゾンビも走らないゾンビも共棲するという現象は起こらない。これはたぶん、両方いることがゾンビの怖さを倍加させるのではなく、逆にその効果を減衰させるということを察知したゾンビの本能のなせる業だと思われる。走るゾンビの中で一人だけ走らないゾンビがいても、それは単に足手まといにしかならないだろうし、逆もまた真なりで、走らないゾンビの中に一人だけ走るゾンビがいても、浮いてしまい、人間から狙い撃ちされるだけだ。 

  

この問題に解答を与えたのが、MTVの「デス・ヴァリー (Death Valley)」 だ。ゾンビに噛まれた直後の人間はまだそれまでの運動能力を有しているが、時間と共に動きが鈍くなり、最終的に従来のゾンビのようにゆるゆるタイプとして完ゾンビ化する。これによって走るゾンビも走らないゾンビも同じ場所での共存が可能になる道が開かれた。ただし、画期的に見えたこのブレイクスルー案も後が続かず、やはり今でも基本的に走るゾンビと走らないゾンビは、お互いに反発し合っている。 

 

つまり、群れとなったゾンビは走るか走らないかのどちらかに特化して、基本的にマスとして機能するから怖いのだ。どちらか一方に偏るのは、それが種としてのゾンビの生存? に最も有効だからではないか。たぶん群れの中に両方いたら、ゾンビ内で統制が利かなくなって怖くなくなり、存在意義を失ったゾンビは自滅するのではという気がする。この方法を人為的に発生できることができたら、将来、人類はゾンビから逃れ、生き長らえることができるかもしれない。「ワールド・ウォーZ 2」ができたら、そこに焦点を絞るべきだと思うのだが、どうだろうか。 

  

「ワールド・ウォーZ」のゾンビは、走る方のゾンビだ。近年、走らないゾンビが巻き返してきたような印象があったのだが、「ワールド・ウォーZ」 のゾンビは、走るゾンビに圧倒的な数の個体数を与えることで、新たな怖さを提供する。一時主流になるかに見えた走るゾンビがここへ来て停滞しているのは、 走ってくるゾンビの撃退は、感覚的にスポーツやシューティング・ゲームに変化してしまい、怖さが薄まってしまったことにある。そのため、逆にじわじわとした怖さを提供できる走らないゾンビが息を吹き返してきた (実際に息を吹き返してきたわけではないが)。 

  

一方、走るゾンビの怖さをもう一度復活させるためには、スポーツやシューティング・ゲームにさせなくしてしまえばいい。つまり、どんなスピードで走り去られようと、どんなに撃ち殺されようと、要は最終的にそれを上回ればいいのだ。相手が100m10秒で走って逃げようとも、こちらも進化して100m9秒で走れば相手をとらえ切れる。1万発の機関銃を連射されようとも、1万プラスもう1体のゾンビがいれば、相手を捕まえられるのだ。要はスピードと量で上回ればいい。 

  

「ワールド・ウォーZ」の冒頭のフィラデルフィアに突如出現したゾンビの集団は、まさしく量で圧倒することで人間の抵抗を無力化していた。さらにイスラエルでは、壁の向こうで蠢くゾンビたちがゾンビ・ピラミッドとなって壁を越えてしまう。ゾンビ同士が連携して知恵を絞り合ったのではなく、ある一定量以上の数のゾンビの無意識の集合体が、一つの目的のためにゾンビを一体化させたのだ。こうなったらゾンビに怖いものはない。 

  

「ワールド・ウォーZ」では、人間とゾンビの戦いは始まったばかりで、ゾンビを撃退できるわけではないが、少なくともゾンビの攻撃をカモフラージュできるワクチンは開発される。人間もバカではない。一方でゾンビも進化もしくは変化している。しかも、「デス・ヴァリー」でゆるゆるさくさくの2種のゾンビが同時に存在することが人間を脅かすのではなく、逆に自分の首を絞めかねないことに気づいたゾンビは、「ウォーム・ボディーズ」では人間化することで存在し続ける道まで模索し始めた。既にBBCアメリカの「イン・ザ・フレッシュ (In the Flesh)」では、ゾンビと人間の一つ屋根の下での共存が始まっている。「ワールド・ウォーZ」でも、ワクチンによってゾンビから非視化するというのは、ひとえにそれによってゾンビと共存する道が拓けたということでもある。案外、将来は人間とゾンビが共存共栄する方向に動いているのかもしれない。 











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元国連捜査官のジェリー (ブラッド・ピット) は、今ではフィラデルフィア郊外に妻カリン (ミレイユ・イーノス) と二人の娘と共に幸せに暮らしていた。ある朝、クルマで家を出た一家は、そこで怖ろしいものを見る。ゾンビ化した人間が、他の人間を襲っていたのだ。襲われて噛まれた者も、10秒でゾンビ化して他の人間を襲い始めていた。命からがらその場を逃げ出したジェリーたちは、国連事務総長のシーリー (ファナ・モコエナ) と連絡をとる。ジェリーの戦闘/サ ヴァイヴァル能力を高く買うシーリーは、ジェリーに米軍と協力して事態の解明に協力するよう要請する。なんとかクルマでニューワークまでたどり着いたジェリーたちだったが、そこでクルマを盗まれ、絶体絶命のピンチに陥る。近くの低所得者用住居ビルに逃げ込んだジェリーたちは、そこでまだ避難していなかったヒスパニックの親子と出会う‥‥


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