Wonder Wheel


ワンダー・ホイール  (2017年12月)

こないだCBSの深夜トークの「ザ・レイト・ショウ (The Late Show)」を見ていたら、ゲストにケイト・ウィンスレットが来ていた。当然「ワンダー・ホイール」のプロモーションのために来ているんだろうと思っていたら、実は今年は「タイタニック (Titanic)」の公開20周年に当たるそうで、その話ばかりする。そうか、もう20年になるのか。 

 

それはともかく「タイタニック」では、ラスト、ウィンスレット演じるローズが、レオナルド・ディカプリオ演じるジャックを絶対放さないと言いながら結局手を放してジャックを海の底に沈めてしまう。ホストのスティーヴン・コルベアにそこを突っ込まれたウィンスレットは、そうなの、私、嘘をついてたのとのたまった。 

 

ローズが乗って浮かんでいたドアの切れ端は、本当ならローズとジャックの二人が乗っても耐えられそうな大きさがあった。それなのにローズはジャックの手を放してしまい、一人だけ助かるのだ。全世界の人間を虜にしたタイタニックの悲劇の恋物語、しかしジャックを殺した本当の下手人はローズだった。うーん、20年後に明らかにされる真実、これは手練れのミステリ読みでも真相は見破れまいて。 

 

しかし付け加えておくと、ウィンスレットとコルベアは、この間違いは正さなければならないと、コルベアがジャック役となり、ステュディオのデスクの上に寝そべったウィンスレットがジャック/コルベアを引っ張り上げ、めでたしめでたしとなって、この20年の全世界のファンの期待に答えたのだった。 

 

とまれ話は「ワンダー・ホイール」だ。ウディ・アレンの新作で、次から次へとアイディアの枯れない創作活動には感心する。私個人的には、アレン作品はミステリ・タッチのものが断然好きなのだが、そこはやはり才人、女性ものだったり恋愛が絡んでも、やはり面白いものを作る。近年は「ブルー・ジャスミン (Blue Jasmine)」のケイト・ブランシェットだったり今回のケイト・ウィンスレットだったり、こういうよろめき熟女系を撮らせても当然断然うまい。 

 

「ワンダー・ホイール」でウィンスレットが扮するのは、ニューヨーク、ブルックリンの海沿いの遊興地コニー・アイランドの飲食店でウエイトとして働く、ちょっととうの立った女性ジニー。私見ではこういう生活疲れが垣間見える女性というのが最もリアルで色っぽいと思うのだが、当然アレンもウィンスレットもそこは押さえている。 

 

ジニーは浜辺でアルバイトでライフガードをしている学生のミッキーと出会い、恋に落ちる。ジャスティン・ティンバーレイク演じるミッキーがこの作品の語り手ということになっていて、いきなりカメラに向かって話し始めるので、一瞬驚く。そういえばクリント・イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ (Jersey Boys)」でも、主人公がカメラ/観客に向かって語りかけていた。すぐ慣れるのだが、知らずに見てて突然登場人物がカメラ目線で話し始めると、それまでの作品に対する距離感の修正を求められる。 

 

考えたら、初期のアレン作品は既にこれがあった。「アニー・ホール (Annie Hall)」は、この作品と観客間の微妙な距離感がなければ成立しない。「アニー・ホール」はコメディだったが、「ワンダー・ホイール」はドラマというところが最大の違いと言える。 

 

「ワンダー・ホイール」はドラマ、それも内容を見るとかなりシリアスなドラマだ。それでもあまり重さを感じないのは、アレンも歳をとったからか。重厚という感じでは、まだ昔の「マンハッタン」辺りの方がよほどシリアスだった気がする。元々コメディ上がりであるアレンはそういう傾向はあったが、歳とってさらにあぶらっ気が抜けるというか、何事も距離を置いて達観するみたいな空気が色濃く漂うようになった。 

 

とはいえ、「ワンダー・ホイール」はどちらかというと熟女よろめきロマンスみたいな宣伝のされ方をしていたので、最初は特に惹かれていたわけではなかった。その気が変わったのは、撮影がヴィットリオ・ストラーロという話を聞いたからだ。調べてみると、実はストラーロ、アレンの前作の「カフェ・ソサエティ (Café Society)」も撮っている。知らなかった。大作70ミリ、シネマスコープ、みたいな印象のストラーロが、1/1:33スタンダードみたいな印象のアレンと組んでいた。 

 

「ワンダー・ホイール」では、主要舞台が満艦飾の光きらめく遊園地と、そのすぐそばの間借り世帯ということもあって、実はストラーロは楽しんで撮ったようだ。主人公ジニーが家の中にいると、そばの電飾が点滅して光が変わるという堂々たる口実があるからだろう、家の中だというのに結構ばんばん光と影が変化する。片頭痛持ちのジニーが頭が痛かったり、若い恋人のミッキーとの逢瀬で昂揚していたりするのに合わせ、色調が変わる。元々ストラーロは色で登場人物の気持ちを表すようなことに意欲を燃やしていたから、この設定は我が意を得たりというところだろう。 

 

特にラストの長回しではワン・テイク中に何度もジニーの気分と光と影と色調が変化する、アレン演出というよりはストラーロ実験の独壇場だ。まるで舞台みたいで、ウィンスレットがまた気持ちよく悲惨な地に落ちた女を演じている。要するにヴェテランたちが自在にやりたいことをやっているという印象が濃厚だ。ジニーは救いのない不幸の極みにいるくせに、演じている者も周りで作っている者もとても楽しんで作っているという感触が伝わってくる、不思議な達観の作品が「ワンダー・ホイール」なのだった。 











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1950年代ニューヨーク、ブルックリンのコニー・アイランド。ジニー (ケイト・ウィンスレット) は海沿いの遊興施設に隣接した住居で、2番目の亭主のハンプティ (ジム・べルーシ)、それに前の結婚からの連れ子のリッチーと一緒に住んでいた。ハンプティは施設でアトラクションを動かし、ジニーはウエイトの仕事をしていた。遊園地のそばの住居は常に眩しく騒がしく、しかもリッチーは火遊びの癖があって目を離せず、ジニーは心の休まる暇がなかった。ある時海辺を歩いていたジニーは、ライフガードのミッキー (ジャスティン・ティンバーレイク) と出会い、二人は急速に親しくなる。そんな時、ハンプティの娘のカロライナ (ジュノ・テンプル) がハンプティを頼ってやってくる。若い時にギャングと恋仲になって家出同然に家を出て、ほとんどハンプティと縁を切ったようになっていたが、ギャング稼業に怖くなって逃げ出してきたのだ。しかしあまりにもやばい裏仕事を知り過ぎていたカロライナをギャングがほっておくわけがなかった‥‥ 


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