放送局: HBO
プレミア放送日: 3/24/2001 (Sat) 21:00-23:00
製作: アヴェニュー・ピクチュアズ
製作総指揮: ケアリ・ブロコウ、マイク・ニコルズ
製作: サイモン・ボサンクエット
監督: マイク・ニコルズ
原作: マーガレット・エドソン
脚本: マイク・ニコルズ、エマ・トンプソン
撮影: シェイマス・マクガーヴィ
編集: ジョン・ブルーム
音楽: ヘンリー・ミコライ・ゴレッキ、チャールズ・イヴス、アーヴォ・パート、ディミトリ・ショスタコーヴィッチ
美術: スチュワート・ウーツェル
出演: エマ・トンプソン (ヴィヴィアン・ベアリング)、クリストファー・ロイド (ハーヴィ・ケレキアン)、ジョナサン・ウッドワード (ジェイソン・ポスナー)、オードラ・マクドナルド (スージー・モナハン)、ハロルド・ピンター (ヴィヴィアンの父)
物語: 大学で英文学を教えているヴィヴィアンは卵巣ガンに冒されていることを宣告され、8か月間に及ぶ集中治療を言いわたされる。まだ実験段階の、身体に負担のかかる、効果の程も定かではない新治療法だったが、自分にも学生にも厳しく、機知に富むヴィヴィアンなら大丈夫だろうとケレキアン医師は見ていた。彼の片腕の若いポスナー医師は、意外なことに昔ヴィヴィアンの講義を受けたことがあり、献身的な看護婦のスージーと共に、ヴィヴィアンの治療に当たる。しかし病はヴィヴィアンの身体を完全に蝕んでおり、治療の甲斐も虚しくヴィヴィアンは痩せ衰えていくばかりだった‥‥
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「ウイット」はマーガレット・エドソンが書いた同名戯曲を映像化したものである。一人の女性が自分の死を見つめ、受け入れる様を描くこの舞台は、97年にニュー・ヘイヴンのロング・ホワーフ・シアターで幕を開け、じわじわと口コミでその評判が広がり、99年にピュリッツァ賞を受賞している。これにHBOが目をつけ、映像化権を買い取った。
「ウイット」は、エマ・トンプソン演じる主人公のヴィヴィアンが、卵巣ガンを宣告されるシーンから始まる。担当のケレキアン医師に扮するのはクリストファー・ロイドで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのコメディ・リリーフ的な役が最も印象に残っている身としては、その彼が医者? と一瞬身構えるが、それが結構様になっている。なかなかうまいキャスティングだ。
ヴィヴィアンはドライなユーモアと自己を律する克己心を持っており、ケレキアン医師はまだ効果のほどもわからない臨床試験段階の新しい治療法を薦める。それは8か月に及ぶ精神的にも身体的にも負担の大きいものであったが、ヴィヴィアンならそれに耐えられると考えたのだ。番組はそれからのヴィヴィアンの苦しい入院生活が、それでも時にユーモアを交えながら綴られる。
番組が始まってから少しして、入院生活を始めたヴィヴィアンが、カメラに向かって話しかけてくるところで、私は愕然としてしまった。元々戯曲を映像化したものだから、舞台ではヴィヴィアンが観客に向かって話しかけるという場面があるのだろう。原作のト書きに「観客に向かって‥‥」とか書かれているんだと思う。しかしそれを舞台でやるのと映像媒体でやるのとは大違いだ。せっかく話に集中しだしたのに、トンプソンが正面を向いて話し出した途端、私は思い切り引いてしまった。
なぜTVドラマで出演者がカメラに向かって話しかけなければならないか。舞台ならわかる。実際に目の前で役者が演じている舞台なら、役者と観客は同じ時間を共有しており、ちょっとしたやりとりもできるだろうし意志の疎通を図ることもできる。しかしTV画面でこちらに向かって話しかけられても、私は白けるだけだ。これが出演者と視聴者との距離を縮めるような効果を上げると思っているのだとしたら、それはまったくの錯覚だと言わざるを得ない。
この、出演者が画面に向かって話しかけるという手法は、これまでにもなかったわけではない。「マルコム・イン・ザ・ミドル」では主人公のマルコムに扮するフランキー・ムニツが、よくカメラに向かって「これだからうちの家族は‥‥」みたいな調子で語りかけるし、タイトルは忘れたがWBのドラマでも同様のことをやっているのを見たことがある。昨年の一時期、ちょっと流行りになったくらいだ。映画でもウッディ・アレンが時たま使っていたような記憶がある。それでも、シットコムやコメディ系のドラマとシリアスなドラマとでは、視聴者の受け止め方に格段の差がある。話にのめり込んでいる時、いきなり自分の方を向いて語りかけられて面食らわないということの方が私には不思議だ。
監督のマイク・ニコルズは私は昔から別に好きでもなんでもない。出世作の「バージニア・ウルフなんかこわくない」も舞台の映像化だから、そういうのが得意なんだろう。「卒業」はサイモンとガーファンクルの曲とダスティン・ホフマンを筆頭とする演技陣の面々がいれば、誰だってあれくらい撮れたという気がする。私はリメイクを撮る人間を信用していないので、「バードケージ」なんてもってのほかだし、「ウルフ」も今イチだった。ジョン・トラヴォルタを大統領役に起用した「パーフェクト・カップル」に至っては、勘弁してよ、ってなもんである。
だから私はトンプソンの名前と話題性だけでこの番組を見た。身体に大きな負担のかかる治療法のせいで髪が抜け落ちるという設定のために、頭を剃り落としての演技である。病人という役でもあり、熱演というよりは抑えた演技で、それでいて情感を感じさせるという、「日の名残り」的な演技を見せる。最近の彼女はこういう役が多い。今回もカメラを向いて話しかけさえしなければ、私は文句はなかったんだが。
脇も皆いいできである。野心のある若い医師ポスナーを演じるジョナサン・ウッドワードもいいし、患者に親身な看護婦スージー役のオードラ・マクドナルドもいい。役者としてよりもブロードウェイの歌手として知られるマクドナルドは、「アニー」の時より大分太っており、一瞬彼女かどうか見分けがつかなかった。このままだとブロードウェイで主役を張り続けるのは難しいんじゃなかろうか。英文学界の大御所ハロルド・ピンターもヴィヴィアンの父役で特別出演している。
ところで、英文学教授という設定のヴィヴィアンは、17世紀英文学が専攻で、番組中、何度もジョン・ダンという詩人の詩が引用される。‥‥ジョン・ダンって誰? 私はこれまで聞いたこともなかった。世の中にはまだまだ知らないことが多い。
