Willard


ウィラード  (2003年3月)

ニューヨークに住んでいると、ネズミは避けて通れない。サブウェイを待っていると、線路にはでかいドブネズミがうようよしているし、うちのオフィスにも小さなネズミが出没するため、お菓子をしまい忘れて帰宅してしまったりすると、翌日にはデスクの上が菓子屑と置き土産のネズミのフンで彩られていることになりかねない。管理会社に文句を言って、その度に駆除会社が薬をまいたり毒餌を仕掛けたりするのだが、最初だけ姿が見えなくなるが、しばらくするとまた出没し始めるというイタチごっこだ。


オフィスの中に出没する小さなネズミ (マウス) は、残業していて何かものの動く気配を感じて振り向くと、人がいてもしたしたと壁際を走っていることがあり、おわわーっとびっくりすることになるのだが、そこでぴたっと止まってこちらの方を向いてヒゲをもぞもぞとさせているのを正面顔で見ると、結構可愛かったりする。ドブネズミだって、こないだサブウェイのホームで下水管から顔を出して外を覗いているやつと視線が合い、二人でちょっとの間見つめあっていたのだが、じっと見ていると、やはり何か愛嬌があって可愛かったりする。


とはいえオフィスに出没するネズミなぞは隅っこに糞を残していったりするので、どうしても衛生的とは言えない。その上、時々食べかすもそのまま捨てている私のごみ箱の中まであさっている形跡がある。こないだなんか、多分、また餌を求めてやってきたのだろうが、たまたまゴミ袋を取り換えてから帰宅したら、翌朝、何もないごみ箱の中で、出られなくなったネズミが鳴いていた。可哀想だがそのまま逃がすわけにもいかず、かといって自分の手で葬り去るのも気が引けたので、もっと可哀想かという気もしないこともなかったが、そのまま餓死してもらうことにして、ごみ箱の上に蓋をしたまま置いておいた。


それが木曜の朝のことだった。そしたら、月曜に出社したら、こいつ、丸4昼夜飲まず食わずだったくせに、まだ生きているではないか。しかし、だいぶ弱っており、透明なゴミ袋を持ち上げてみてみると、小っちゃな足をまだぴくぴくさせて、ゴミ袋越しにあのつぶらな瞳でこっちを見つめている。こうなるともうダメである。ヘンに情が移ってしまい、おまえはここまで頑張ったんだ、生きる資格があると決めつけて、ゴミ袋をごみ捨て場まで持ってって、逃がしてやった。最初、よろよろとしていたが、靴先でとんとんと小突くと、はたはたと歩いて、やがて見えないところに行ってしまった。もううちのオフィスには出没しないでくれよと思ったが、またやって来て、今度はこちらがペストを移されるなど、恩を仇で返されるかもしれないが、その時はその時だ。しかし、あの臭い尿の匂いはなんとかならんもんか。


病気を持っておらず、ごみ箱をあさらず、卑屈でなく人になつき、ネズミ算式に爆発的に増えるのでなければ、共生も可能じゃないかと思えるのだが。言って含めることができないからなあ。というわけで、「ウィラード」にはなんか、最初から親近感を持っていた。もちろんすべてのニューヨーカーがネズミに親近感を持つわけもないとは思うが、ゴキブリ (これまた結構多い) に較べればずっとましだ。ついでに言うと昨年、FOXはニューヨークがドブネズミの大群に襲われるというホラー/スリラーの、その名もずばり「ザ・ラッツ (The Rats)」というパニックTV映画を放送していた。きっとその番組の製作者もマンハッタンにサブウェイで通勤していたんだろう。さて、今回は前置きがえらく長くなったが‥‥


病気の年老いた母と共に一軒家に住むウィラード (クリスピン・グローヴァー) は、会社に行ってもボス (R. リー・アーミー) から邪魔者扱いされ、友人も恋人もいない生活を送っていた。由緒ある家は大きいが、古く、ネズミが出るため、ウィラードはねずみ取りを仕掛ける。一匹の白いネズミがひっかかるが、友人のいないウィラードは情をかけて助け出してやる。ウィラードはネズミにソクラテスと名を付け、他のネズミにも餌を与える。ネズミたちは増え続け、ソクラテスと、ベンと名付けた子犬ほどもあるボス格のネズミを筆頭に、ウィラードの言うことに従うようになる‥‥


「ウィラード」はオリジナルではなく、1971年に製作された同名タイトルのリメイクである。基本的にまったく同じ話らしい。そちらで主人公をいじめる悪役をやっているのがアーネスト・ボーグナインと聞いて、納得してしまった。今回同じ役をやっているR. リー・アーミーも、同系統のイメージでキャスティングされている。監督は「ファイナル・デスティネーション」製作/脚本のグレン・モーガン。これが初監督作だが、丁寧に撮っている。因みにオリジナルでウィラードを演じたブルース・デイヴィソンは、今回はグローヴァー演じるウィラードの亡くなった父親役として、写真でのみ特別出演している。


「ウィラード」はネズミに不潔感さえ持っていなければ、ホラーというよりも、友達のいない男がネズミと心を通わせるという、わりと心暖まる話である。嫌われ者同士が協力しあって敵に復讐を遂げるという、なかなか泣かせる話なのだ。しかし、やはり、そこはそれ、最後までハッピー・エンドで行くわけもなく、よけい心かきむしられる話となっている。


話自体は、しかし、B級と言われてもしょうがないだろう。とはいえ、丁寧に撮っているし、細部までおろそかにしない仕事ぶりには感心する。よくできたB級なのだ。実写のネズミは本当に演技をしているようだし、実写とCGの区別もほとんどわからないくらいスムースで、「ジュマンジ」からさらに進歩している。ネズミの主人公ソクラテスはきちんと可愛く撮れているし、嫌われ者のベンも憎たらしいが、それでいて最後には同情させられる。


もちろん、ウィラードに扮するクリスピン・グローヴァーの怪演も忘れてはならない。最近では「チャーリーズ・エンジェル」の空手使いのヘンな悪役が最も記憶に残っているが、やっぱりヘンな人だ。こないだ彼のインタヴュウを読んでいたら、彼はNBC時代 (要するに10年以上前) のデイヴィッド・レターマンがホストをしていた「レイト・ナイト」にゲストとして招かれた時、空手の真似をしてレターマンの頭に蹴りを入れてしまったという過去があるそうで、変人の多いアメリカ芸能界の中でも筋金入りの変人として通っている。「ウィラード」の主人公にキャスティングされたのもむべなるかなという感じだ。


作品で最も中途半端と感じるのがローラ・エレナ扮するヒロインのキャサリンで (因みにオリジナルでこの役をやったのは、当時のクリント・イーストウッドの恋人、ソンドラ・ロックだ)、ウィラードの味方なのか単なる傍観者なのか、よくわからない。映画の中で言っているようにウィラードの友人なら、もっとウィラードのことをわかってあげてもいいし、そうでなければ敵に回ったほうが話が面白くなるのに。そのキャサリンがウィラードの気休めになるようにと連れてきた猫は、キャサリン本人よりも気になった。この猫はネズミがはびこっているウィラードの家の中に放されることになるのだが、キャサリンは、その後その猫のことを気にする様子がない。気にならないのか。そこでウィラードに猫はどうなったか訊けば、そこからまた話が展開していくらでも面白くなりそうなものを。いくらリメイクでも、もう少しこういった中途半端さをなくせば、カルト映画以上のものになれただろうに。







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