放送局: ライフタイム

プレミア放送日: 4/8/2002 (Mon) 21:00-23:00

製作: フォン・ザーナック-サートナー・フィルムス

製作総指揮: ロバート・サートナー、フランク・フォン・ザーナック

製作: ランディ・サター、ピーター・ワーナー

共同製作: ピーター・サドウスキ

監督: ピーター・ワーナー

原作: ジョイス・キャロル・オーツ

脚本: ジョイス・エリアソン、ピーター・シルヴァーマン、ナンシー・シルヴァーマン

撮影: ニール・ローチ

編集: トッド・フォイアーマン

音楽: パトリック・ウィリアムス

美術: ディーン・ローデ、ハロルド・スラッシャー

出演: ボー・ブリッジス (マイケル・マルヴェイニー)、ブライス・ダナー (コリン・マルヴェイニー)、タミー・ブランチャード (メアリアン・マルヴェイニー)、マーク・ファミグリーティ (マイケル・マルヴェイニーJr.)、トム・ガイリー (ジャッド・マルヴェイニー)、ジェイコブ・ピッツ (パトリック・マルヴェイニー)


物語: 1970年代、ニューヨーク州郊外の町ハイ・ポイント・ファーム。マルヴェイニー一家は、家長のマイケルを筆頭に、妻のコリン、長男マイケルJr.、双子の次男パトリックと長女メアリアン、三男ジャッドの6人家族が幸せに暮らしていた。メアリアンは高校を卒業し、大学に進む予定になっていた。しかし卒業式のパーティで町の名士ラント家の一人息子からアルコールを勧められたメアリアンは度を過ごしてしまい、ほろ酔い気分になったところを車の中に押し込められてレイプされてしまう。


狭い町ではそのことはすぐ住民全員の知るところとなり、しかも町に多大な寄付をしているラント家に対しては、誰も異議を唱えない。メアリマンも酒が入っていてその時の状況をよく覚えていない上に恥ずかしさもあり、被害届を出すのに尻込みしてしまう。娘の災難に対して無力なマイケルは、それまで溺愛していただけに反動でメアリアンの顔を見るのも嫌になってしまう。メアリアンは遠くの共同生活を送っているコミュニティのところに送られ、マイケルはアルコールに溺れ、マイケルJr.も何をやってもうまくいかなくなり、パトリックも家を出ていく。マルヴェイニー家は段々金に困るようになり、家を売り払わなければならなくなる‥‥


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日本に住んでいて、ライフタイム・チャンネルというアメリカの女性番組専門のニッチなケーブル・チャンネルを知っている者は滅多にいるまい。一応最近になってこのチャンネルが放送している「ダナ&ルー: リッテンハウス女性クリニック (Strong Medicine)」が日本でもLaLa TVで放送されることとなり、アメリカでの放送元であるライフタイムという聞きなれないチャンネルの名を初めて耳にしたという者も多いかもしれない。


しかしライフタイムはアメリカでは女性には圧倒的な人気を持つチャンネルであり、MTVやESPN、ニコロデオン、カートゥーン等、外国でもよく知られているチャンネルを抑え、今、ケーブルTVにおいてチャンネル全体の視聴率でナンバー1の座を維持している人気チャンネルなのだ。もちろん人気チャンネルとはいってもやはりほとんどの男性は見ていないから、男性だと、アメリカに住んでいてもやはりライフタイムというチャンネルは聞いたこともないという者も多い。それでも高い視聴率を稼ぐということは、つまり、女性にとってはいかに絶大な人気を誇るかということを証明している。


ライフタイムはオリジナルのTV映画を多く編成することでも知られており、だいたい月一の割り合いで新作映画を放送する。無論これはケーブル・チャンネルにおいては非常に多い数であり、このくらいの頻度でオリジナルTV映画を編成するのは、ライフタイムをおいては他にUSAチャンネルくらいしかない。TV映画というのは金がかかるから、数多く編成すればするほど、当然一作あたりの製作費は減る。その辺をごまかしながら製作するから、ライフタイムとUSAにおけるTV映画の特徴は、なんといってもチープであるということになってしまう。例えば、B級然としたアクションやホラーを得意とするUSAの場合だと、「ヒッチド」みたいなのが、チャンネルを代表するような番組となる。


一方、ライフタイムが編成するTV映画は、これはもう、第一にお涙頂戴、第二にゴシップ絡ませと、ほとんど相場が決まっている。特に事実を基にした不幸/悲恋のドキュドラマとなると、お手のもんだ。もちろん、だからこそ女性が見るわけであり、逆に男性にはまるでアピールしない。私もライフタイムのTV映画は過去数回見ただけであるが、もういいやと思っていた。USAほどB級っぽいわけでもなく、内容もそれなりにツボを押さえ、わりと知名度のある製作者や役者を起用していたりもするが、いかんせん題材が題材なので、まるで見る気がしない。要は、男性にとって、ライフタイムというのはそういうチャンネルなのだ。


それなのに今回、そのライフタイム放送のTV映画を見ようという気になったのは、出演者の中に発見した、タミー・ブランチャードと、原作者のジョイス・キャロル・オーツという、二人の人物の名前のせいに他ならない。ブランチャードは、昨年ジュディ・ガーランドのドキュドラマ「ライフ・ウィズ・ジュディ・ガーランド: ミー・アンド・マイ・シャドウズ (Life with Judy Garland: Me and My Shadows)」で、そのガーランドの若い頃を演じ、見事エミー賞助演女優賞を受賞した俊英である (といっても既に20代中盤であるが)。


私はこの番組で彼女のパフォーマンスに痛く感銘を受けたので、次、彼女を見る機会があったら逃すまいと心に決めていた。彼女は元々は「ガイディング・ライト (Guiding Light)」という、CBSが放送しているソープの出身である。私はソープなんか見ないから、もちろんそれに3年間出演していたブランチャードなんてまるで知らなかった。しかし、「ミー・アンド・マイ・シャドウズ」を見て、こういう風に若手を育てるという点で、ソープにも存在価値はないわけではないなと思い直した。もちろん、だからといってソープを見るようになったということはまるでないが。


一方、原作のジョイス・キャロル・オーツは、日本ではそれほど知られていないように見受けられる。というか、日本で出ている数少ない翻訳のほとんどが早川が版元という手前、ミステリ作家と早とちりされがちな印象があるが、その実態は、ミステリ色の濃い作品を書くこともある、純文学系の作家である。アメリカでは、書くものの内容だけでなく、人気、尊敬度のどれをとってもアン・タイラーといい勝負をしているという感触がある。私が初めてキャロル・オーツの名前を知ったのは、アメリカに留学した最初の年のESL (外国人用の英語の補修だ) のリーダーとして使用されたテキストに、彼女のエッセイが載っていたのを読んだのが最初だった。以来頻繁に彼女の名をあちらこちらで見かけるようになった。様々なベスト集的なアンソロジーに収録される短編やエッセイの数が圧倒的に多いのも彼女の作品の特徴の一つで、要するに、それだけレヴェルの高い作品を次から次へと発表している作家なのだ。


「ウィ・ワー・ザ・マルヴェイニース」は、そのキャロル・オーツが96年に発表した小説である。しかし、全米に知られるようになったのは、昨年、アメリカの女性のオピニオン・リーダーとして知られる、昼のトーク・ショウ「オフラ (Oprah)」のホストである黒人女性、オフラ・ウィンフリーが主宰する良書選定機関「オフラ・ブック・クラブ」の選定図書として選ばれてからだろう (因みに「オフラ・ブック・クラブ」は現在ではその活動を中止している)。ウィンフリーのアメリカ女性に対する影響力は絶大なものがあり、「オフラ・ブック・クラブ」に選ばれると、本の売れ行きが激増する。これに選ばれただけで、それまでは誰も聞いたことがなかったような作品が、翌週からニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに載るようになるのだ。そして「マルヴェイニース」もその例外ではなかった。それまでは一部の文学ファンだけしか読んでいなかった「マルヴェイニース」が、本好きなら誰でも知っている一般的な名詞と化したのは、まさしくオフラのおかげに他ならない。


「ウィ・ワー・ザ・マルヴェイニース」は、幸せに暮らしていた一家の一人娘がプロム・ナイト (卒業式のパーティが行われる、中高生にとって一年に一度の最も重要な日だ) にレイプされ、相手が町の名士の一人息子だったことから泣き寝入りを強いられ、それをきっかけに一家が崩壊していく様を描く物語である。大まかなストーリーを聞いただけで、原作がオーツでレイプされる女の子がブランチャードということを知っていなければ、絶対見ない類いの番組である。しかしあらすじを聞いただけではお涙頂戴のその他の二束三文の作品と同様の番組に見えはしても、オーツとブランチャードなら何か必ず見どころがあるだろう。監督のピーター・ワーナーは聞いたことはないが、その際そういうことは言っていられない。実は一家の長に扮するボー・ブリッジスも私はそれほど好きじゃないが、ええいこの際構うまい。とにかく私はブランチャードが見たいのだ。


番組は冒頭、そのブランチャード演じるメアリアンの双子の兄弟パトリックが、弟のジャッドに命じてライフルを手に入れさせるところから始まる。既にこの時点では崩壊していたマルヴェイニース家の、すべての元凶であったラント家の一人息子を殺すためだ。原作は読んでいないから本当にこういうシーンから始まるのかはわからないが、いきなり緊張感を持たせるこの導入部分は、アメリカでもよく短編がミステリ系のアンソロジーに入っているオーツらしいと思わせる。私が読んだオーツの作品でも、徐々に謎が解明されていくというような、いわゆるミステリの形式を用いていたのがいくつかあった。


しかし、番組としては、はっきり言って多分相当に端折っているんだろう、どう考えてもそれから話が展開しそうなところが、幾つも尻切れトンボで終わってしまっているところが惜しい。人里離れたコミューンに送られたメアリアンが、そこの代表者との間に親密な関係を持ちそうになるところとかは、二人の関係の描き込みが中途半端だし、その後獣医との間にロマンスを育むところも、今度はいきなり二人の間が急激に展開しすぎる。


その他にも、一家の長マイケルの悩みはあまりにも自分勝手すぎる。愛していた娘がレイプされ、その反動で今度は娘の顔を見るのも嫌になるというのは、あり得ないことではないかもしれないが、その辺りのマイケルの言動に説得力がないので、ただ単に、おまえは親として失格、くらいの印象しか持てない。それに追従してマイケルに反論できない母のコリンもそれは同じ。そういうことを結局見ているだけしかできない息子たちも不甲斐ないとしか言い様がないが、しかし、これらはきっと原作を読めば納得のいくように書かれているということはほぼ間違いないだろう。2時間ですべてをまとめなければならないTV映画の難しさである。


しかし、こういう欠点はあるにしても、メアリアンを演じるブランチャードのおかげで、ついつい最後までしっかりと見てしまう。別にブランチャードは最初から最後まで出ずっぱりというわけではないが、彼女が出てくるとその次どうなるかを見たいとどうしても思ってしまう。特に家を勘当同然に追い出されてから辛い目に会うブランチャードの演技は出色。泣きたいけれどもそれを我慢し、それでもどうしても涙がこぼれてしまう、という演技をさせると、現在ブランチャードにかなう女優はいるまい。別に泣き顔が印象的というだけなら、そういう女優は掃いて捨てるほどいる。ちょっと古くなるが、「ゴースト」のデミ・ムーアの泣き顔は、やはり印象に残るという点では一、二を争うし、ジュリア・ロバーツやメグ・ライアン等ラヴ・コメ系の女優は、泣き顔が絵にならないと話にならない。


そういう、泣き顔が印象的な女優はいくらもいるが、しかし、ブランチャードの場合、彼女が泣くことによって見ている者まで哀しい気持ちにさせることができるという点で、余人の追随を許さない。例えば、ムーアやロバーツが泣くと、結構こっちも胸キュンとなったりする。しかし、それは物語に乗せられたせいであって、第三者として物語にはまり込んだ結果に過ぎない。視点はあくまでも彼女らを見ている自分の方にある。つまり、ああ、ムーア、可哀想だなあと思って胸キュンとなるのである。


しかしブランチャードが泣くと、ほとんどブランチャードの気持ちと同化して切なくなるのだ。なんか、自分が本当にそういう境遇に置かれたような気持ちになってしまうのである。見ている者をこういう気持ちにさせてくれる女優というのは、若手では現在ブランチャード以外まったく思いつかない。ブランチャードは決して美人タイプの女優というわけではなく、現在人気のあるリース・ウィザースプーンやジュリア・スタイルズ、カースティン・ダンスト等の、いわゆる普通系、日常系の部類に入る女優だと思うが、実力では頭一つ抜きんでていると思う。役に恵まれさえすれば、今後10年以内にアカデミー賞の主演女優賞を手にすることは賭けてもいいと断言できる。







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ウイ・ワー・ザ・マルヴェイニース   ★★★

 
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