Watchmen


ウォッチメン  (2009年3月)

かつて悪人退治に活躍したスーパーヒーロー・グループも時代と共にお役御免となり、今では解散してお互い独自の生活を送っていた。しかしある日、その中の一人コメディアン (ジェフリー・ディーン・モーガン) が何者かに襲われ、ビルから投げ落とされて墜死する。何事にも懐疑的なロールシャッハ (ジャッキー・アール・ヘイリー) は、かつてほどの力はないとはいえコメディアンほどの者が簡単に殺されるわけはないと、単独、事件の解明に乗り出す。ナイト・オウル (パトリック・ウィルソン) やオジマンディアス (マシュウ・グード)、Dr. マンハッタン (ビリー・クラダップ) やシルク・スペクター (マリン・アッカーマン) 等、かつての仲間が再会するが‥‥


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信じられないようなミスをしてしまった。私たち夫婦はだいたい週末に映画を見ているが、土曜は私用があり、話題の「ウォッチメン」は日曜の昼に見ることにして劇場に出かけた。チケット売り場で3時の回? と訊かれ、その時間に合わせてきてんだからそれしかないだろと思いつつもイエスと答え、チケットを2枚買った。


そして腕時計を見たらまだ2時で、愕然とする。1時間時間を間違えて家を出てきてしまった。なんだ、どの回にも合わないから何時の回を見るつもりなのか訊いたのか。いずれにしても既にチケットも買ってしまった後なので、しょうがないから同じ敷地内にあるモールで買い物したりしながら時間を潰す。


1時間後に劇場に戻ってマルチプレックスの中の一つに入ると‥‥まだ余裕があるはずなのに既に映画が始まっている。しかもなんか、ストーリーは既にかなり進んでいるという感じで、始まったばかりという感じはまるでしない。そこで我々は初めて、これって、もしかして夏時間になっている? という可能性に思い至った。そういえば近年、日照時間を有効に使うために、1時間時間が繰り上がる夏時間が始まるのが例年より数週間ほど早くなっているのだった。


そこで慌てて階下に降り、係りの者に今の時間を訊いたら4時という。信じらんない。本当に夏時間だ。時間を完全に間違えた。要するに家を出る時までは自動的に修正されて夏時間で時を刻んでいるマックの時計で動いていたのでよかったのだが、チケット売り場で確認されたせいで間違った時間を刻んでいる自分の腕時計を見て、1時間早かったと早合点してしまったのだ。ちくしょー、あんたがオレに確認さえしなければ、何も訊かずにチケットを売ってくれていたら、こちらも間違えたということを気づかないまま問題なく映画を見れたはずなのに、と責任転嫁して憤ってみたものの、後の祭りである。


完全に自分のミスで買ったチケットを払い戻しできないかと交渉する気にもなれず、泣く泣く家に帰ったのであった。土曜の夜は録画してあったABCの「ロスト」をまとめて見ていたので、絶対番組内で夏時間に言及したはずの夜のニューズをこの日に限って見ていなかったため、世間からとり残されたのだ。しかし映画が始まる谷間の時間のマルチプレックスってどこにも係官が立ってなくて、ノー・チェックで中まで入れたぞ。こんなゆるいセキュリティでいいのだろうか。いずれにしてもそれで結局出直して、また改めてチケットを買って見ることになった。ここまでして面白くなかったら怒るぞ。


さて「ウォッチメン」だが、デイヴ・ギボンズ作の80年代発表の同名グラフィック・ノヴェルを映像化したものだ。とはいっても私は全然知らなかったのだが、ファンの間では映像化不可能と言われていた -- 逆に言えば映像化が待望されていた現代のクラシックらしい。それを「300」のザック・スナイダーがついに映像化した。


かつてスーパーヒーローとして活躍していたウォッチメンの面々 -- シルク・スペクター (マリン・アッカーマン)、Dr. マンハッタン (ビリー・クラダップ)、オジマンディアス (マシュー・グード)、ロールシャッハ (ジャッキー・アール・ヘイリー)、コメディアン (ジェフリー・ディーン・モーガン)、ナイト・オウル (パトリック・ウィルソン) -- らは、今ではその任を解かれ、個別に市井の人々として生活していた。


その一人であったコメディアンが、ある日何者かに襲われ、死亡する。時が経ったとはいえ、かつて圧倒的な力を持っていたウォッチメンの一人を殺すことなど簡単にできることではない。ウォッチメンの中でも最も皮肉屋だったロールシャッハは、裏で何か重大なことが起こりつつあると直感、かつての仲間たちに連絡をとり、調査を開始する。そして浮かび上がってきた事実とは‥‥


なによりもまず、スーパーヒーローが時代や時の趨勢によって引退したり歳をとって昔を懐かしむようになるなどという設定が、斬新というか呆気にとられてしまう。特にアメリカ製のスーパーヒーローは、バットマンのように生身の人間が扮していることが多々あるため、あり得ない事態ではないのだが、しかしこう来たか。近年、特にスーパーヒーローは自身の存在意義について悩むことが多いのだが、まさか酒を酌み交わしながら昔は楽しかったななどと談笑するようになるとは。


だいたい、スーパーヒーローというものは一代限りの唯一無二の存在だとばかり思っていたのに、ここでは今のスーパーヒーローが歳老いたら、その名を次の者に譲って引退して隠遁生活に入るのだ。名を譲る、名を継ぐというのは、やんごとない地位にいる人たちの世界以外では、すぐに連想するのは、日本だと芸人か相撲取りの世界だ。お前は歌舞伎役者か噺家かと言いたくなる。たとえば現ナイト・オウルやシルク・スペクターは2代目で、特にナイト・オウルなんか、寒い冬の日に初代ナイト・オウルと現ナイト・オウルが昔の話をしながら談笑してたりする。それがスーパーヒーローのあり方か。


むろんそういうスーパーヒーローの存在の仕方がなかなか承服し難いというのは作り手もわかっているから、作品の背景は1980年代のこの世界というより、パラレル・ワールドのようなものとなっている。そこでは大統領は3選目を果たした (と言っていたような気がする) リチャード・ニクソンであり、ソヴィエトとの核戦争の可能性が非常に高まり、一瞬即発の状態になっていたという世界なのだ。


まるで意識したわけではないだろうに、「ウォッチメン」が「フロスト/ニクソン」とまったく同じ時期に公開されているというのが、皮肉が利いている。「フロスト/ニクソン」を見ると、彼が大統領を辞めざるを得なかったのは当然という気がするが、そのニクソンが3選目でまだ指揮をとっているという世界がいびつであるのは当然だ。そういう世界であるからこそ、スーパーヒーローが引退したり現役に復活したりというようなありえない事態が許される。そこではこちらの世界の常識は通用しない。それでも、ニクソンがまだ大統領に留まっているというそれだけで、ソ連との核戦争が避けられないものとなっていたりする事態が納得できるというのは、ある意味やはりニクソンって唯一無二の存在だったんだなと思わずにはいられない。昨年までのジョージ・W・ブッシュに近い存在と言えるか。


ウォッチメンはそのように全員かなり人間くさい存在だが、その中でも最も人間味のあったのがコメディアンだ。人間味があるというよりも悪人と紙一重という存在で、女性をレイプしたりほとんど誰かれ構わず撃ったりする。なんでこんなやつがスーパーヒーローなのかよくわからない。ロールシャッハだって、相手が悪人だとはいえ、やられたらやり返さずにはいられないし、超人化したDr. マンハッタンだって、善悪を超越したというよりも、彼の行動原理は、むしろこれまでのスーパーヒーローものにおいて世界征服を企む悪人の論理とほとんど一緒だ。


そのDr. マンハッタンの恋人シルク・スペクターとナイト・オウルなんか、一夜の過ちという感じでできてしまうし、さらには仲間同士で諍い起こして仲違いしてしまうし、Dr. マンハッタンは自分のしたことの責任とらずに私は火星に行くなんて言っちゃうし、なんなんだいったいお前らは。私が見ているのはパロディかソープ・オペラか。


作品は基本的にウォッチメンの一人であり、最も世界を斜に構えて見ているロールシャッハの視点で語られる。そのロールシャッハを演じているのが「リトル・チルドレン」のジャッキー・アール・ヘイリーというのがまた皮肉が利いている。あの小児愛好の変態おじさんがスーパーヒーローなのだ。それでも彼は、スーパーヒーローがマスクをしているというよりは覆面レスラーあるいは透明人間という感じで、ほぼ顔全部を覆い隠さないと行動できない。ロールシャッハという名が意味するように、見る人によって印象の変わる顔のない男、あるいはスーパーヒーローの素性を隠すための覆面のはずなのだが、それよりも他人の目が気になって顔を隠さないと人前に出られない自意識過剰という印象の方が強い。その自分の顔がないという事実、覆面によって、よけい目立ってしまうという二律背反自己分裂男がロールシャッハなのだ。


一人でちまちまと行動し、マスクをはがされると激昂し、やられた相手には復讐しないと気が済まない。どう見ても「リトル・チルドレン」の変態おじさんの陰画 (陽画か) にしか見えないのだが、まったく同じ性質が、置かれた時代と場所によってスーパーヒーローにも変態おじさんにもなる。そしてまた、裏主人公的ナイト・オウルに扮するパトリック・ウィルソンも「リトル・チルドレン」に出ている。彼もまた、「リトル・チルドレン」では結局浮気して勝手に生活乱しまくる負け犬組の男でしかなかった。


ついでに言うとスーパーヒーローとはいえほぼ悪役のコメディアンに扮する ジェフリー・ディーン・モーガンは、現在ABCの「グレイズ・アナトミー」で、既に死亡しているものの現世への未練捨て切れずにいまだに恋人だったイジーの元へ夜な夜な現れるというキャラクターで出演中だ。なんかなあ、やっぱみんな一筋縄では行かない。


どう見ても「ウォッチメン」はスーパーヒーローものとは言えない。だいたい、スーパーヒーローは徒党を組まず、一人で行動してこそのスーパーヒーローなのだ。一人だと悪人を根絶やしにすることができず、他のスーパーヒーローと一時的に連合することでやっと悪人をなんとかしたと思ったら政府からお払い箱にされるスーパーヒーローって、いったいそりゃなんだ。そして最後は仲間割れかよ。


結局、現代はスーパーヒーローが生きにくい時代であり、その存在意義は限りなく曖昧で、その難題を解消するためにわざわざパラレル・ワールドを設定してみても、やはりスーパーヒーローが生きにくい世界というのは変わりないのだった。既に我々はスーパーヒーローの存在理由に疑義を差し挟んでしまっているので、そのことはパラレル・ワールドだろうとどこであろうと、もう変えられないということなのだろう。もはやスーパーヒーローはパロディの世界でしか生きられないのかもしれない。


しかし、昨年「ダークナイト」でバットマンが提出したスーパーヒーローの存在意義の答えがパロディにしかないとしたら、それはちょっとあんまりだという気がする。我々が少年時代に喝采を送ったスーパーヒーローの末路がこれなのだろうか。次の「バットマン」や「スーパーマン」は果たしてこの問題にどういう答えを用意しているのだろう。一応「スパイダーマン」は3部作が完結していてよかったなと思うのであった。それにしても、ああそれにしても「バットマン」の今後はどうなるのか。








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