War of the Worlds   宇宙戦争  (2005年7月)

ニュージャージーに住むレイ (トム・クルーズ) の元を前妻がロビー (ジャスティン・チャトウィン) とレイチェル (ダコタ・ファニング) の二人の子供を連れて訪れる。今日は久し振りにレイが子供たちと一緒に過ごす日だったのだ。とはいえいまだに生活が不安定なレイと子供たちの関係はぎくしゃくしたままだった。一方、外の天候が次第に悪化してくると見る間に雷が地面に落ち、そこから異様な生き物が立ち上がり、周りの人間を殺戮し始める。レイはロビーとレイチェルを連れてボストンの前妻の元へと向かう‥‥


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「マイノリティ・リポート」以来2回目となるスティーヴン・スピルバーグとトム・クルーズの顔合わせは、H. G. ウエルズのクラシックSFの映像化。「マイノリティ・リポート」の続編というわけでもないのに、またわざわざ目立つ主演にクルーズを起用したということは、かなりスピルバーグとクルーズの相性はよかったんだろう。実際、クルーズは現場ではプロフェッショナルに徹して同業者に受けがいいようだ。


とはいえ今回、クルーズは映画そのものよりも、公開時近辺の奇矯な振る舞いで注目された。ちょうど新しいガール・フレンドのケイティ・ホームズとの婚約の発表もあり、たぶんそれはわざわざ映画公開に併せたスタントという印象もなきにしもあらずだが、いずれにしてもクルーズはかなり舞い上がっていた。だいたい、スターは新作公開時には必ずトーク・ショウに出演して作品の宣伝に余念がないものだが、クルーズは、そのゲスト出演したほとんどのトーク・ショウでかなりハイパーなリアクションを見せ、視聴者の失笑を買った。


なかでも日中のトーク・ショウとしては全米第1位の視聴率を誇る「オプラ」に出演した時には、いきなりカウチの上で飛び上がりだした。ホストのオプラ・ウィンフリーは、唖然というよりもほとんど脅えていたらしい。うちの女房が見ていた芸能ニューズでは、いきなりクルーズが、自分の幸せを皆に分け与えてあげたい、自分は世界中のみんなを幸せにできる、みたいなことを言っていて、番組ホストも結構言葉を濁していたが、トム、やぱいんじゃないの、ちょっと宗教入ってない? みたいな雰囲気だったそうだ。


さらにはクルーズは、最も人気のあるモーニング・ショウの「トゥデイ」でホストのマット・ロウアー相手に、鬱に陥った人が薬を使用するのはよくないと、なぜだがいきなり別の方向に話がそれ始めた。ロウアーが、しかしそれがないと生活に支障をきたす人もいるのでは? と異議を挟むと、ロウアーに対して、あんたは何もわかっていない、みたいなことを言い出して、ロウアー本人だけでなく、かなりの数の視聴者からも反感を買った。ほんとに、クルーズ、いったいどうしちゃったのか。恋愛ボケというにはあまりにも常軌を逸している。


というわけで、少なくともアメリカでは「宇宙戦争」は、作品そのものよりも、イッちゃってるクルーズということが最大の呼び物になっていた嫌いがある。「宇宙戦争」見た? という話をしていたはずなのに、うん、見た見た、それにしても最近のクルーズってやっぱりおかしいよね、という話にすぐなってしまうため、知人からちょっと前情報を得ようかなと思っていても、結局耳に入ってくるのはクルーズの奇矯な言動のことばかりだ。


その上、クルーズの近い将来の奥さんになるホームズが出演している「バットマン・ビギンズ」と、元奥さんのニコール・キッドマンが主演している「奥さまは魔女 (Bewitched)」がこれまた同時期に公開、さて、新旧ミセス・クルーズの軍配はどっちに? なんて三面記事的な話題も提供、これだけの話題を一時に提供できるクルーズってやっぱりすごいと、世の人々を感心させたりもした。いずれにしても「宇宙戦争」を見ようとは思っていたんだが、これって意識してのプロモーションの一部だとしたらかなりすごい。クルーズ以外、考えてもできるやつはいないだろう。


さて、おかげで内容以外のところで何かと世間を騒がせてくれた「宇宙戦争」であるが、見てみると、さすがスピルバーグ、見せ方のツボは心得ているという感じで、一気に見せる演出は余人が簡単に真似できるものではない。今回は大型宇宙怪物の登場ということで、スピルバーグ作品では「ジョーズ」、「ジュラシック・パーク」系の、パニック・ホラー的な要素を絡ませたスペクタクル巨篇である。つまり今回は、自分より身体もでかく、力も強い敵が襲ってきたらどうなるかということを見せるわけだが、こういう、非力な存在がいかにして逃げ回るかというシチュエイションをさらりとユーモアを絡ませながら描かせると、スピルバーグよりうまい演出家って、世界中を見渡してもまったく思い浮かばない。


ところで「宇宙戦争」では、クルーズ一家はニュージャージーに住んでおり、わざわざマンハッタンの摩天楼を迂回してボストンを目指すという設定になっている。ニュージャージーに住んでいてニュー・イングランド地方を目指すなら、通常、ジョージ・ワシントン・ブリッジを経由してマンハッタンをかすめ、95号線を一路東進するというのが、その辺に住んでいる者なら誰もが思い浮かべるルートだろう。


このルートをとった場合、当然のことながらマンハッタンの摩天楼が視界に入ることになり、つまり、宇宙怪物がマンハッタンで高層ビルを破壊するという、それこそが人が見たいはずのスペクタクル・シーンがあったはずだ。ところが、それなのにクルーズ一家はわざわざ都心部を避け、最初北上して大きく迂回、それからわざわざ川を渡るフェリーに乗って東に向かう。もちろん、実際問題としてその考え方は納得できないわけではない。本当にそういう状況に置かれたら、阿鼻叫喚の事態になっているだろうマンハッタンを避けるのは誰もが考えると思う。第一、橋なんて真っ先に破壊されている可能性の方が高いし。


とはいえ、一観客として人が見たいのは、やはり怪物がマンハッタンで暴れまわっている図なのだ。いったい、ゴジラが東京で国会議事堂をバックに暴れまわらなければ、ゴジラの魅力が半減してしまうのは誰もが知っている通りであり、同様にキング・コングには、どうしてもエンパイア・ステイト・ビルが必要だ。それなのにスピルバーグは今回、わざわざそういう文明の象徴を破壊するというひたすら魅力的な図を避け、牧歌的とも言えるゆるい丘陵地帯が続き、民家もほとんど見えない田舎や、平均的な郊外で怪物を暴れ回らせている。


これって、コスト・パフォーマンスから考えてもほとんど無意味じゃなかろうか。もし地球征服を考えている宇宙人がいたら、やはり人口の密集している都市部を最初に抑えようとするんじゃないか。それに当然マンハッタンでも怪物が暴れまわっているなら、やはりそこをまず最初に描くべきではないか。クルーズの住んでいるところから頭をめぐらしさえすれば、たぶんマンハッタンはすぐそこにあるように見えるのに。


とはいえ、クルーズの家から見える橋は、実はクイーンズにあるホワイトストーン・ブリッジかスロッグス・ネック・ブリッジのように見えたため (「オーロラの彼方へ (Frequency)」に出てきた橋と瓜二つだ!)、私は最初、クルーズはクイーンズに住んでいるものだとばかり思っていた。最初のシーンでクルーズがいたところは間違いなくブルックリンだし、家の背景となる橋がクイーンズだとしたら、そこからボストンに向かうとしたら、まず橋を渡らなければなるまい。ところがその橋が怪物に壊されたおかげで、クルーズたちはロング・アイランドを東進して突端からフェリーでコネティカットに渡ろうとしているのかと思ったのだが、しかし、それにしては川幅が狭すぎる。こんな簡単には向こう岸には着かんぞ、と展開がまったく腑に落ちず、消化不良を起こしていた。


ああ、でも、もしかしたらあの橋は合成なのかもしれない。しかし、こういうところで悩む観客もいるんだから、やはりその辺は合成で逃げずにすっきりとまとめてもらいたい。私は映画を見たり小説を読んだりする時は、登場人物の動きに併せて頭の中で地図を思い浮かべながら楽しむ。こういう動きのダイナミズムが好きなのだ。特に東京やニューヨークという知っているところだとなおさらだ。ああ、ここだ、あそこだ、ここからそこへ行くためにはどこをどう通って‥‥なんてルートを考えながら反芻するのはひたすら楽しい。だから声を大にして言いたいが、合成を使ったり、どうせ誰も知らないからと思って実際上の地理を無視した展開はやめてもらいたい。


脱線したが、今回、スピルバーグがわざわざマンハッタンの破壊を端折った第一の理由は、それはスピルバーグ自身が既に「A.I.」でやってしまっているということが挙げられるだろう。既に一度エンパイア・ステイト・ビルや自由の女神を海中に没させている時、わざわざまた似たような事をやる気になれなかったのかもしれない。一方、ニュー・イングランドの丘陵地帯に出没する怪物どもは、それはそれで新鮮だったのは確かだ。文句は言っても CGと実写の合成をこれだけ見事に無理なくトータルに提供でき、CGでもそれなりに実写のようなリアリティを加味することができるのもスピルバーグならではである。


一つ気になることは、エンタテインメントとしてよくできており、楽しめるこの作品に、わざわざ今の緊迫した世界情勢はこの映画に描かれている状況と近似している云々、なんて屁理屈をこねて作品を正当化しようとしたり、説教しようなんて思わないでもらいたい。そういうことをやられると、私は逆に思い切り引いてしまうのだ。観客の半分はたぶん、そういう世界からの逃避として映画を見に来ていると思うのに。それともう一つ、「ミスティック・リバー」に引き続き、ティム・ロビンスは哀れだった。私は近々のうちに彼の映画界へのリヴェンジが展開されるに違いないと睨んでいるのだが、もしかしたら過去に自分の思想をアカデミー賞とかで発露して業界を憤慨させたツケを今払わされているのかもしれない。 







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