War for the Planet of the Apes


猿の惑星: 聖戦記 (グレート・ウォー)  (2017年7月)

「聖戦記 (グレート・ウォー)」はなぜ人間が滅び、地球がサルの惑星化するまでを描く、「猿の惑星」シリーズの完結編だ。近年のスーパーヒーローものは三部作が多いとはいえ、なにも「猿の惑星」まで三部作である必要はないんじゃないかとも思えるが、だいたい一作毎に2年から3年の製作日数がかかる映画製作において、これ以上シリーズを増やして10年以上の長きにわたって製作するメリットはあまりないんだろう。


前回「新世紀 (ライジング)」について書いた時、「猿の惑星」は最初がホラー、2作目がアクション色が強いという、「エイリアン (Alien)」シリーズに似ていると書いた。「エイリアン」は三部作というわけではないが、今年公開された第5話の「コヴェナント (Covenant)」は、オリジナルの「エイリアン」に繋がっていく、そもそもの発端を明らかにしようとする話だった。一方今回の「聖戦記 (グレート・ウォー)」は、かつてチャールトン・ヘストンが人間の主人公を演じたオリジナルの「猿の惑星」に繋がる話として製作されており、その点でも「エイリアン」に近いと言える。


実際、思い返してみると今回の「猿の惑星」シリーズは、確か最初から、オリジナルの「猿の惑星」に繋がる話として製作されていた。とはいえ前回の「新世紀 (ライジング)」を見るに話はどんどん拡散しており、そういう展開になる話であるということを忘れていた。


そのため今回、最後のシーンになって初めて、あ、そうか、こうやってヘストンが到着した未来の猿の惑星社会へと繋がっていくのかと合点がいった。途中、口の利けない少女が出て来た時は、まだまだ話は膨らんでいきそうだなと思ったが、そうではなく、オリジナルの「猿の惑星」に繋がるエピソードとして、逆に収斂する方向に向かっていたのだ。


それにしても、前回も思ったのだが、シリーズの邦題のつけ方はうまくない。別にシリーズ第1作を「創世記 (ジェネシス)」とか2作目を「新世紀 (ライジング)」とかつけるのは構わないが、第1作の原題が「Rise of the Planet of the Apes」である時に、第2作の「Dawn of the Planet of the Apes」の邦題に「新世紀 (ライジング)」と第1作のオリジナル・タイトルの一部を持ってくるのは、いかにもまずいだろう。日本人は誰もが皆オリジナル・タイトルは気にしないとでも思っているのだろうか。確認のために日本の20世紀FOXのオフィシャルのサイトに行ってみたら、「創世記」、「新世界」、「聖戦記」と、間違えたのか改題したのか、タイトルが変わっており、ますます混乱に拍車をかけていた。


ついでに言うと原題では、「Rise of…」、「Dawn of…」と続き、ここへ来て最終第3話のタイトルは「War for the Planet of the Apes」だ。これまでは「猿の惑星の蜂起」、「猿の惑星の夜明け」だったものが、今回は「猿の惑星のための戦争」、あるいは「猿の惑星への戦争」と、微妙にタイトルのつけ方が変わっている。どうせ邦題をいじるなら、その辺の微妙な機微を汲んだ邦題にこそしてもらいたかった。


「猿の惑星」シリーズはあくまでもサルのシーザーを主人公とする物語であり、人間は関係ない。シーザーの育ての親と言える人間のウィルも、「創世記 (ジェネシス)」では人間側の主人公であったものが、「新世紀 (ライジング)」では一瞬回想シーンに登場するに留まり、ほぼ姿を消す。


「新世紀 (ライジング)」では、人間側の新しい主人公としてマルコム、エリー、ドレイファスという面々が登場するが、それも「聖戦記 (グレート・ウォー)」では綺麗さっぱりいなくなり、思い出されることすらない。ウィルだってマルコムだってそれぞれの話の終わりで死んだわけではないのにだ。むろん人間社会には致死力の強い伝染病が存在するが、ウィルはともかくマルコムやエリーたちはたぶん病気に対して耐性が強いか免疫を持っているから今でも生きているはずで、彼らが病気で死んでしまったとは考え難い。やはりサルの視点から見た物語なのだ。


そして今回の人間側の主人公になるのは、大佐と呼ばれる人物で、ウディ・ハラーソンが演じている。厭世的な人物のようだがカリスマがあり、ほぼ崇拝されている。彼を見てマーロン・ブランドが「地獄の黙示録 (Apocalypse Now)」で演じたカーツ大佐を思い出す者は多いと思う。


しかし映画の最後で思い出すのは、衰えつつある自分を自覚しながら来たるべき世界のためになんとか道を拓こうとしたウルヴァリンを描く、「LOGAN/ローガン (Logan)」だ。「エイリアン」ではなく、ウルヴァリンと、彼が守ろうとするミュータントだ。要するに、やはり人間ではない、新人類だ。果たして100年後の地球上に君臨しているのは、サルか人類かオオカミかミュータントかエイリアンか。それを自分の目で見れる可能性がないのを残念に思う。


 








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人間界から隠れるようにして森の中に住むシーザーを筆頭とするサルたちだったが、そこにも執拗に人間は追ってくる。怯えながらの生活に嫌気を差して、人間側に寝返るサルたちもいた。外の世界の偵察に出ていたシーザーの息子ブルー・アイズがやっと帰ってきて、本格的に安住の地を目指して旅に出ようとしていた矢先、隠れ洞窟を人間が襲い、シーザーの妻コーネリアとブルー・アイズは殺される。かつては人間たちと共存の道を模索していたシーザーだったが、今はかつて敵対したコバ同様、人間に対する復讐心しかなかった。シーザーは、彼を慕い、どうしても行動を一緒にすると主張するモーリスやロケットたちを従え、人間たちの軍隊を率いる大佐 (ウディ・ハラーソン) に復讐すべく彼らの跡を追う。しかしどうやら人間界でも何かが起きているらしく、仲間割れの兆候があった。さらにシーザーらは、喋ることができず、人里離れて暮らす人間の女の子と遭遇する‥‥


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