Veronica Guerin


ヴェロニカ・ゲリン  (2003年10月)

ジャーナリストのヴェロニカ (ケイト・ブランシェット) はダブリンのドラッグ・ディーリングを追って大物を特定するスクープに迫っていた。一味の片棒を担ぐジョン (シアラン・ハインズ) から情報をもらい、大物のジョン・ギリガンがドラッグ・ディーラーのボスであることをすっぱ抜く準備を進めていたが、真実に近づきすぎたヴェロニカの身に危険が迫っていた‥‥


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アイルランドでドラッグ・ディーリング組織に身を挺して勝負を挑んだヴェロニカ・ゲリンのドキュドラマ。タイトル・ロールのゲリンに扮するのがケイト・ブランシェットで、ブランシェットって、「エリザベス」、「シャーロット・グレイ」、それにこの「ヴェロニカ・ゲリン」と、主人公名がタイトルになっている作品で、そのタイトル・ロールを演じる場合が多い。それだけ実力を買われている証拠だろう。その上ポスターも、彼女のアップが飾っているという場合が多い。「ギフト」だってそうだった。実際、それだって主人公の名をとって「アニー・ウィルソン」というタイトルになってもまったくおかしくはない内容だった。


ポスターで思い出したが、現在公開中の「シルヴィア (Sylvia)」ではタイトル・ロールをグウィネス・パルトロウが演じており、やはり彼女のアップがポスターになっている。ついでに言うとアンジェリーナ・ジョリー主演の「すべては愛のために (Beyond Borders)」(この邦題しか知らなかったら絶対見に行かないタイトルだ) でもジョリーのアップのポスターになっており、最近、女性を主人公とした作品が多く、その主人公のどアップがポスターになっているという場合が多い。よくはわからないが秋なんだなあという気がする。


結局、「ヴェロニカ・ゲリン」は、ブランシェットだけを見に行く映画である。最初から最後まで彼女が出ずっぱり、上映時間の90%以上で彼女がスクリーンに映っており、ブランシェットの表情の変化だけを楽しむためにあるような作品で、その点で、語弊を怖れずに言うならば、ダブリンのドラッグ事情なんて別にどうでもいい、ブランシェットが見れればいいんだと思ってしまう。ブランシェットは、やはり「ロード・オブ・ザ・リングス」みたいにちょい役で出るんじゃなくて、主演ばりばりで行ってもらいたい。


実際の話、映画を見てブランシェット以外に記憶に残っているシーンなんてほとんどない。その中でも最も印象的だったのは、ドラッグ・ディーリング組織に完全と挑んで結局は撃たれて殺されるブランシェットの、撃たれた後の顔だろうか。死んだ後も演技しているという感じの役者根性が死んでいる表情にも現れており、この危なさ加減がたまらない。


実話の映画化であり、現実にヴェロニカ・ゲリンという人物は存在したわけだが、多分現実は、映画に描かれているような美談、というか、本人がこれほど偶像化されるほどできた人物であったかは疑問だと思う。映画の中でも、作品の途中で脅しとして足を撃たれたゲリンに対し、同じジャーナリズム仲間が、注目されるためにわざとやったんだというようなことを噂するシーンがあるが、実際、ああいう、他人の感情を無視して取材を続けるようなゲリンは、仲間うちでも敵は多かったんじゃないかという気がする。


勝手にギリガンの家に取材に乗り込んでしたたか殴られるシーンなんて、私は半分くらいギリガンの肩を持ってしまった。実話を基にしているとはいえ、ギリガンに単一のモデルはいないそうで、ということは、ギリガンはブランシェットを殴るためだけに造型されたと言える。やっぱり監督のジョー・シューマッカーは、いかにブランシェットが殴られるかという点の演出に心を砕いていたんだろう。いや、シューマッカーだけでなくブランシェット自身が、殴られる必要性を感じていたに違いない。実際、殴られて脅えるブランシェットを見るのは、この映画の醍醐味である。やはり彼女は殴られてこそ映える。殴られて歪んだ顔だけでなく、足を引きずったり脅えたり、自分のセールス・ポイントを心得ているなあという感じがする。要するに、プロなんだろう。


この映画、大層な問題意識を持って製作されているわりには、上映時間は1時間半しかない。ドラッグ・ディーリング組織の実態等をもうちょっと描き込んでゲリンとの対立を深めることができれば、社会派の大作になったという気もしないではないが、そうせず、ゲリンだけに焦点を絞っているのは、やはり作り手の意識がそこにないからか。最後、ゲリンの死をきっかけに町がドラッグ撲滅運動に立ち上がったという件りはいかにも唐突で、それまでの町の人々の態度ががらりと変わる。というか、それまで町の人々はほとんど描かれてなぞいなかったのだ。やっぱりこの映画が本気でドラッグ撲滅を意識していたとは、到底私には思えない。


実際、町の人々だけでなく、ゲリン以外の人物の描き方はほとんど中途半端かおざなりで、ギリガンも暴力的という以外、大して描き込まれておらず、描き方によってはすごくキャラが立ったであろうと思われるゲリンに協力するジョンも、結局中途半端なキャラクターのまま終わってしまう。ゲリンの夫も、いったい何をしている人だったのか、今一つよくわからなかった。登場する時はわりといつも家のどこかを修繕していたり、あるいはどこかの建築現場のようなところにいたりするから、大工のような気もするが、そうすると、あんな立派な家に住めるものだろうか。ゲリンの本が売れているのだろうか。見ていると、夫の方は完全のゲリンの裏方に徹して、彼女をサポートするのが本職みたいな印象を受けたが。


結局この映画はヴェロニカ・ゲリン=ケイト・ブランシェット一人のための作品だったのであり、実はストーリーとして気がかりな点があっても、それが作品の魅力を低めているわけではない。見る者にそう思わせてくれるブランシェットは、やはり他とは一線を画する稀有の女優だ。実際の話、ブランシェットがここまで徹底的に殴られてくれるなら、普通ならまず絶対に見に行かない恋愛ものやコメディでも見に行こうという気にさせてくれる。アシュリー・ジャッドやシャーリーズ・セロンも殴られて映える系の女優だが、殴られても凛としている彼女らに較べ、徹底して脅えてくれるブランシェットは、なにやらこちらの危ない気持ちまで疼かせてくれる。


ところで、現在人気沸騰のコリン・ファレルが、まったくちょい役で、頭悪そうなサッカー・ファンとして一瞬だけ顔を見せる。最近出演作が矢継ぎ早に公開されているファレルは、よく深夜トーク・ショウでも作品宣伝のために出演しており、目にする機会が多い。そういう時はアメリカ英語ではなく、地のアイリッシュ訛りでホストと受け答えしてたりするのだが、いかにもフーリガン的な姿形をしていると、まったくはまっており、思わず笑ってしまう。でもあの姿って、ファンを減らすんじゃないだろうか。







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