Unbreakable

アンブレイカブル  (2000年11月)

昨年のサプライズ・ヒットの筆頭「シックス・センス」を脚本/監督したM. ナイト・シャマランがまたもやブルース・ウィリスと組み、新たな超常サスペンスに挑む。なんてったって夏頃から業界内ではこの作品の噂話がかまびすしく、ラフ・カットを見た者が、こどごとく傑作だとか前作を上回るとか言っていたので、ま、関係者の言うことだから話半分で聞いておくとしても、やはり結構期待していた。


話は数十年前、あるデパートメント・ストアで産気づいた黒人女性が、その場で赤ん坊を出産する場面から始まる。男の子 (イライジャ) は無事生まれてくるのだが、しかし、極度に骨がもろく、怪我がしやすい体質で、生まれ落ちた瞬間には既に足を骨折していた。時は変わって現在、ペンシルヴァニアに住むデイヴィッド (ウィリス) は、職探しに行ったニューヨークからの帰途についていた。しかしデイヴィッドの乗った列車は脱線転覆し、デイヴィッド以外の乗客131人がすべて死亡する。ところがデイヴィッドはかすり傷一つ負っていなかったのだ。


一方、今はコミック・ディーラーとなり、事業家として成功したイライジャ (サミュエル・L・ジャクソン) は、相変わらず身体的には苦しめられていた。しかし、そういう風に生まれついた自分とバランスをとるためにも、この世には一方で風邪一つひかず、絶対に怪我などしない生まれついての超人がいるはずだと確信、ずっとその人物を探し求めていた。列車事故を契機にイライジャはデイヴィッドと接触、そして事態は意外な方向に発展していく‥‥


いやあ、こうしてあら筋を書いているだけで面白そうだ。実際面白かった。問題は、二人が会った後の展開にある。ここでこの展開に入り込めるかどうかがこの作品を評価するポイントとなるだろう。益々のめり込むか、それともあり得ない、下らないと一笑に付すか。本当のことを言うと私も話自体はほとんどあり得ない、荒唐無稽と言っても差し支えない部類に入ると感じた。でも、世のすべてのSFはそういうもんだし、「シックス・センス」だって話に信憑性があるかといえば、そんなことはない。では今回、「アンブレイカブル」を結構貶すやつが多いのはなぜか。


結論から言うと、やはり最後のクライマックスと、見た後に残る印象、ということになるだろうか。「シックス・センス」は、本当っぽいか嘘っぽいかはともかく、見た後でいい感じの余韻が残る作品であった。ところが「アンブレイカブル」にはそういう人生を前向きに感じさせるような要素がない。クライマックスの意外性自体は、こっちだって強烈、というかこっちの方がもっとあっと言わせるかも知れない。しかし最後にあっと言わせ、そこで断ち切るように終わる終わり方は、なるほど、意見は分かれるだろうなと思わせる。


私のすぐ後ろに座っていた男は、見終わった後、最低の映画だと呟いて出て行った。そういう風に感じる人間がいるのもわからないではないのだ。でも、その男だって、結局、映画自体は最後まで見ていった。面白くなければ途中退場を平気でするアメリカ人は多いが、それでも私が見た回では誰も途中で出ていった者はなく、少なくとも上映中は皆話に引きずり込まれていたと思う。それがああいう風に終わったことで、裏切られたと感じた者が多いのではないか。


シャマランは話自体の作り方、見せ方は、「シックス・センス」の時よりもこなれてきたと思う。スロウでだれるという批評家もいたが、私はまったくそんなことはないと思った。次どうなるか見当もつかない展開は意外性に満ち、話に引きずり込まれた。思ったのだが、「アンブレイカブル」は東野圭吾の「秘密」に似ている。どちらも素面で考えるとまったくあり得ない話なのだが、見ている(読んでいる)時は、圧倒的に面白く、次どうなるんだと我を忘れる。しかも中途半端な、突き放したような終わり方がこれまたそっくりである。


「秘密」も、あれはあれで一つのクライマックスになっており、作者がここまで、これで終わりとした考えもわからないではない。しかしあれは結局何一つ問題を解決していなかったではないか。「アンブレイカブル」も同様だ。むしろ本当の課題は映画が終わった後に始まるだろうと予感される。結局、シャマランにとっての「アンブレイカブル」はあそこで終わりであったわけで、作者がそれで満足しているのを何言ってもしょうがないだろう。あとは自分で想像して楽しむだけだね。ま、それでいいじゃないか。とにかく見ている時は充分楽しんだわけだし。


ブルース・ウィリスはまったく「シックス・センス」と同じ人間に見える。ま、シャマランはそれが気に入って再度起用しているわけだから、別に言うことはありません。そのウィリスと「ダイ・ハード3」で共演し、コメディ・タッチの演技をしていたサミュエル・L・ジャクソンがここでもウィリスとの共演になった。あのコメディ・コンビがここでは超シリアス・コンビになったわけだが、やはり役柄の広さという点ではウィリスよりもジャクソンの方に分がある。結局のところジャクソンはいざとなればデイヴィッドの役もやろうと思えばやれただろうが、イライジャ役のウィリスなんて想像すらできない。


他の役者陣‥‥デイヴィットの妻オードリーに扮するロビン・ライト・ペンと、彼らの息子ジョゼフに扮するスペンサー・トリート・クリークは、わりといい演技をしているのだが、結局作品がデイヴィッドとイライジャの二人を中心に回っているので、うまい演技をしている割りには見返りが少ない。ライト・ペンはたったこれだけの出演に起用するにはもったいなく、トリート・クリークも、間抜けヅラしてる分、私は逆に天才子役ともてはやされているハリー・ジョエル・オズメントよりも彼の方が気に入ったのだが。


ところで、この種の作品ではご法度の、クライマックスのネタばらしがネット上で横行しているらしい。困ったもんだが、コメントを求められたシャマランが、私は痛くも痒くもないが、観客が自分で自分の楽しみをスポイルしているだけ、と答えていた。なるほど、そういう考えだからああいう映画ができるわけね。インドの叡知とでも申しましょうか。でも、いずれにしてもシャマランは一流のストーリー・テラーであることに変わりはない。ディズニーは確か「シックス・センス」が予想外の成功を収めた後、シャマランとは5年間くらいの契約をしたはず。来年も彼の新作は間違いなく見れるだろう。次も結構待ち遠しいぞ。






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