Trouble with the Curve


人生の特等席  (2012年9月)

クリント・イーストウッドが、自身が演出した「グラン・トリノ (Gran Torino)」以来4年ぶり、他人が演出する作品としては、1993年のウォルフガング・ペーターゼン演出の「ザ・シークレット・サービス (In the Line of Fire)」以来、19年ぶりに役者としてだけ登場するのが、「人生の特等席」だ。


そんなにもう人の作品に出てないんだっけと思っていたが、本当にそのようだ。本人はどちらかというと役者としてよりも演出の方に注力したいみたいだが、今回の演出がイーストウッドが主宰のマルパソ・カンパニーの同僚で、近年のイーストウッド演出作品のほとんどの製作を担当しているロバート・ロレンツであるため、依頼を断れなかったか、あるいは最初から自分が演じることを念頭に製作に関係したんだろう。


いずれにしても近年のイーストウッドが役者として登場する時は、だいたいが意固地な頑固親父というキャラクターだ。これだけ役柄が狭くて役者として通用するのかというくらい似たようなキャラクターばかり演じているが、考えればそれ以前にイーストウッドが演じていたのは、スパゲッティ・ウエスタンのガンマンばかり、あるいはマグナムを構えた刑事ばかり、という時期がかなりあった。現在がその延長線上にあるとも言えるが、長い時間をかけて徐々にキャラクターが進化もしくは深化してきたと言えないこともなく、演出家としてだけでなく、俳優としてもやはりイーストウッドは我々の予想や期待を軽々と凌駕する唯一無二の存在だったのかと納得する。


イーストウッドのこの腰の軽さは特筆もので、これだけのキャリアがあるハリウッドの人間が、たとえ妻が製作出演していようとも、TV、しかも映画人からはあまねく白眼視されるだろう密着型のリアリティ・ショウ「ミセス・イーストウッド・アンド・カンパニー (Mrs. Eastwood and Company)」に、いとも気軽にやあやあなんて形で現れないだろう。


最近ではさらに驚かされたのが、大統領選における共和党大会に現れ、ミット・ロムニーの応援演説をしたことだ。まず第一に、イーストウッドが民主党のバラク・オバマではなく、共和党候補を応援することなんて、まるで思ってもみなかった。イーストウッドがかつてカリフォルニアのカーメルで市長を勤めた時も、共和党として職務に就いていたのだろうか。イーストウッドと共和党、これだけ似合わない組み合わせもないと思う。


この共和党大会では、イーストウッドは壇上に上がり、傍らに椅子を置いて、あたかもそこにオバマ大統領が座っているかのように、空っぽの椅子に向かって語りかけ政策をなじるという、呆気にとられる演出でスピーチを行った。これがアメリカの、デイヴィッド・レターマンやジェイ・レノに代表される特に深夜のトーク・ショウのホストを喜ばせたことは言うまでもない。ありとあらゆる所でギャグ・ネタとして利用されていた。


つい最近も、ハリケーン・サンディの影響で CBSの「レイト・ショウ (Late Show)」やNBCの「レイト・ナイト (Late Night)」等、ニューヨーク収録のトーク・ショウが観客なしのステュディオで収録せざるを得なくなった。「レイト・ナイト」ホストのジミー・ファロンは、その誰も座っていない空席とイーストウッドを絡めてジョークを飛ばしていた。イーストウッドって、よくも悪くも話題を提供する。まったくあんたって人は‥‥


さて、「人生の特等席」でイーストウッドが演じるのは、引退の時期が見え隠れするメイジャー・リーグのスカウトマンという役どころだ。これって、実は水島新司の描く野球マンガ、確か「野球狂の詩」に、ほとんど同様の設定の作品があったような気がする。


ベイスボールを題材とするという点では昨年の「マネーボール (Moneyball)」を思い出す。面白いのは「マネーボール」では、勝てないチームのオーナーが旧態依然のチーム運営に活を入れるべく、コンピュータを導入してチーム革新を図る。しかし「人生の特等席」では、「マネーボール」で嫌われ、破棄されたその旧態依然の多くの人間が登場し、彼らこそがベイスボールというスポーツを支えていることを立証するのだ。


一方、主人公は「マネーボール」がチームのオーナー、今回がスカウトマンと、ベイスボールが題材とはいっても、主人公は現役のベイスボール・プレイヤーではない。考えたらベイスボール映画としてクラシックの「フィールド・オブ・ドリームス (Field of Dreams)」は、実はベイスボールというスポーツ自体はほとんど描かれない。要するにベイスボールは単にスポーツとしてよりも人生のメタファーとして描かれることが多いからだろう。


別にベイスボールだけに限らずスポーツは人生のメタファーとして描かれることが多いが、例えばオリヴァー・ストーンのアメリカン・フットボール映画「エニイ・ギブン・サンデー (Any Given Sunday)」あたりと較べると、ベイスボール映画と他のスポーツ映画との違いは明らかだ。「ナチュラル (The Natural)」だって、クライマックス以外はほとんどベイスボール自体は描かれない。現在予告編がかかっているベイスボール映画「42」が実はベイスボールを描いてるわけではないのは、本編を見るまでもない。ベイスボールというスポーツは、やはり特殊なのだ。


そういう、ベイスボール映画「人生の特等席」にイーストウッドが登場し、衰えて引退を仄めかされているスカウトマン、ガスを演じる。既に目はよく見えないが、現役を退くつもりはない。耳はまだまだよく聞こえる。現在球団が追っているスラッガーをガスが認めないのは、バットを持ち直す時のグリップの癖の音で、彼がカーヴ・ボールを打てないのを見切っているからだ。原題の「トラブル・ウィズ・ザ・カーヴ」はここから来ている。


マンガの「美味しんぼ」で、天ぷら職人が天ぷらを揚げる最適温度を視覚や温度計によるのではなく音で判断するというエピソードがあったのを覚えているが、ここでも職人が目ではなく、音で判断する。物事に精通するとむしろ目には見えないモノが重要になるらしい。


そのガスの一人娘ミッキーは、アトランタで若くして弁護士事務所の共同経営者に抜擢されそうになるほど有能だが、実はガスとの仲は特にいいわけではない。その理由は、実はミッキーが今ではよく覚えていない幼い頃の経験に端を発していた‥‥ というもので、やはりベイスボール映画の「人生の特等席」は、ここでもベイスボールを描くのではなく、ある父娘の関係の比喩、もしくは二人が関係をやり直すための手段としてベイスボールが登場する。


それにしても「人生の特等席」って、いったいなんなんだ。特等席云々というセリフが映画のどこかにあったのかは覚えてないが、いずれにしても近年のイーストウッドにとって最も似つかわしくない場所が、そういう一線ではない「特等席」だろう。あるいは、イーストウッド本人は、そういう特等席とかそういうことにも拘泥せず、淡々と自分の欲する道を進んでいくだけなのかもしれない。特等席だろうが二等席だろうが関係ないのだ。









< previous                                      HOME

ガス (クリント・イーストウッド) は既に全盛期を過ぎたメイジャー・リーグのスカウトマンだ。体力視力が衰え、球団からは引退を仄めかされているが、現役に固執している。娘のミッキー (エイミー・アダムス) は弁護士事務所で共同経営者に抜擢されるかどうかの重要な時期にいたが、ガスの健康状態を憂慮した旧友のピート (ジョン・グッドマン) からの連絡で父の元を訪れる。実はガスとミッキーの関係は良好とは言えず、ガスは頑なにミッキーのアドヴァイスを拒むのだった‥‥


___________________________________________________________

 
inserted by FC2 system