Tropic Thunder


トロピック・サンダー/史上最低の作戦  (2008年8月)

ハリウッドは戦場から生還したタイバック (ニック・ノルティ) の体験を映画化を企画する。主演は落ち目の映画スター、タグ・スピードマン (ベン・スティラー)、共演にカーク・ラザルス (ロバート・ダウニーJr.)、ジェフ・ポートノイ (ジャック・ブラック)、アルパ・チノ (ブランドン・ジャクソン) らが起用され、演出にはダミアン・コックバーン (スティーヴ・クーガン) が決定する。撮影が始まるが出演者のエゴや監督の無能さのせいで思ったように進まず、苛立ったタイバックはコックバーンをたきつけて出演者だけを山奥に引き連れて、ほとんどアドリブで真に迫った戦闘シーンを撮ることを提案する。その話に乗るコックバーンだったが、撮影に赴いた直後に彼一人だけ本物の地雷を踏んで爆死してしまう。しかし森の中に隠して残されたカメラはまだ生きており、スピードマンたちは演出家なしで脚本にのっとって撮影を進めることにするが‥‥


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本編上映前、今後公開予定映画の予告編で既に作品が始まっていてまず驚かされる。最初にベン・スティラーが主演のまったく面白くなさそうなSFヒーローものの予告編が登場した時は、要するに彼はコメディ俳優だからコメディ仕立てでこういう作品も撮っていたのだなと単純に思っていたのだが、ジャック・ブラック主演のこれまた論外的お下劣コメディ映画の予告編でこれってマジかと思い、ブランドン・ジャクソンに唖然とし、ロバート・ダウニーJr.が出てきてトビー・マクガイアと二人で僧院で禁断の愛の世界を描いた作品の予告編で、さすがに違う、これはギャグだ、既に「トロピック・サンダー」は始まっている、これはそのマクラだと気がついた。


「トロピック・サンダー」映画内映画という入れ子構造で、作品内の同名映画に出演するのは、それぞれが一応名は知られてはいるが、今では落ち目のスターという設定だ。そのため皆腹に一物持っており、この映画で昔の栄光をもう一度と考えていた。その彼らの主演する映画の予告編が、本編上映前に本当の別の映画の予告編の間に挟まりながら上映されたフェイクの予告編なのだ。途中までは騙された。


ついでに言うと、その本物の予告編の中に「トロピック・サンダー」に出ているスティーヴ・クーガンが主演のコメディ「ハムレット2」がある。これまた映画の中で「ハムレット」を製作するという「トロピック・サンダー」的入れ子構造作品で、こんなのがあるため、予告編からどこまでが本当でどこからが虚構か判然としない。「ハムレット2」予告編があるのは単に偶然だと思うが、しかしこれじゃ誰だってこんぐらがる。さらについでに言うと、私の見たクーガンの前作「トリストラム・シャンディ」も劇中劇構成の作品であった。なんでまたこんなに入り組んでしまうんだろう。


そして「トロピック・サンダー」の撮影が始まるが、スピードマンは要となる泣きの演技がうまくできず、撮影が滞ってしまう。その相手となるラザルスは、役になり切ろうと薬を飲んで白人から黒人へと肌の色を変えて挑んでいるが、それが本当にはいったい誰に、なんの益になるのかは実は誰もよくわかっていなかった。その上実は演出のコックバーンは無能もいいとこで、撮影が進まないのに苛立って手振り足振り憤慨した挙げ句、そのサインを見たパイロ・テクニシャンはカメラが回ってもいないのにすべてのセットを爆破してしまう。


その夜、自身の体験談の相談役として撮影に参加していたタイバックはコックバーンを誘い出し、すべてを演出家と俳優だけの、身体を張ったアドリブによる自発的な撮影を行うことを提案する。話に乗るコックバーンだったが、よりにもよってそのコックバーンが撮影に入る直前に本物の地雷を踏んで爆死してしまう。しかし森の中に据え付けられたカメラや火薬類はまだ生きており、スピードマンらは監督なしで脚本に則って撮影を進めることにする。しかし案の定一行はすぐに対立、結局スピードマンは孤立し、最終的にアヘン工場の一味によって捕われの身となってしまう。ラザルスらはスピードマン奪回作戦を練るが‥‥という展開。


とにかく一応はそれなりの筋があるようで、よく考えるとほとんど展開に必然性はなく、説得力を欠く。視覚的に最もインパクトのある黒人となってしまったダウニーJr.も、役と同一化するためなんてそれなりにもっともなへ理屈をこねているが、しかしよく考えると作品内でもアルパ・チーノに指摘されるように、そりゃヘンだ。わざわざ白人が靴墨塗って黒人の役をやる理由なんて、どんなに演技力があろうと承服し難い。第一、アルパ・チーノという名はなんだ。しかもチーノは黒人なのだ。さらに最近、アル・パチーノが再びロバート・デニーロと共演する「ライチャス・キル (Righteous Kill)」がばんばん宣伝されるようになっているので、これまたこんぐらがる。ついでに言うと、名前にブラックを持つジャック・ブラックが黒人になるのがどちらかという正当なのではないか、等々、思考は空回りを始めてしまう。


さらにヴェトナム人はヴェトナム人で、今度はすべてアヘン栽培に関係しているような描き方などわざと画一的にとらえている他、戦場で両腕を失いながらも生還するが実はそれは嘘八百で体験記をまったく捏造していたタイバックなんか、実際の戦争体験のあるヴェテランが見たら本気で怒りそうだ。などなど、積極的に自らポリティカリィ・インコレクトな路線を目指そうとしている。


触れたらヤバそうな領域に積極的に踏み込んで挑発する心意気は買うが、しかしそれらの狙いはというと実はよくわからない。ただ単純に政治的に正しくはないと思われているから逆に意地でもそれをやってみたという感じで、確かにそれこそが反骨の第一歩であるかも知れず、それはそれで得難い態度であるのは認める。やっちゃいけないと言われていることをやるのはギャグ作家とホラー作家には欠かせない資質なのだ。その点ではスティラーは王道を行っていると言える。


実際のところ、今年、「アイアンマン」が大当たりで旬の人となり、「インクレディブル・ハルク」にもカメオ出演してスーパーヒーロー振りをアピールしたダウニーJr.が行き詰まった俳優となった挙げ句に取り乱して黒人となるという展開は、おかしくないわけではない、というか積極的におかしい。爆笑というわけではないが、下向いてむふふという感じの笑いは充分提供してくれる。


あと、カメオというにはほとんど使い捨てという印象のマシュウ・マコノヒーの使い方にもほほうと思わされもしたが、なによりも驚かされるのは、はげ頭中年太りで金を儲けるためには何事をも辞さないスタジオのトップを演じる、トム・クルーズの怪演だ。クルーズはこういうカメオ的な出演をこれまでにも何度もしており、最も印象的だったのは「マグノリア」だと思うが、ここでは見かけからしてさらにそのグレードをアップさせている。


そういう色々な角度からの見方や鑑賞ができる作品なのであるが、本当のことを言うと、この映画が本当にやりたかったことは、ただ山ん中で盛大に金を浪費して爆弾爆発させドンパチやりたかっただけなのではという印象が、実は最も強い。ただ、それを単純には撮れないのが今という時勢なのであり、どうしても何か重層的な意味を被せたくなるスティラーの癖なのであり、どうしても返す刀でハリウッドをオチャラかしたくなるのだ。


実はスティラーがこれまでに製作してきた作品は、それがどんなにおゲレツ系でも、政治的な裏読みをしようと思うといくらでもできそうな作品ばかりだ。その辺がたぶん実際にはかなりのインテリと思えるスティラー作品の特色で、それは「トロピック・サンダー」も例外ではない。にもかかわらず、どうしてもそういうインテリくささと八方破れのバカ騒ぎをしてみたいという欲求が絡み合ってでき上がったのが「トロピック・サンダー」だ‥‥なんて深読みすることなんかせずに、単純に山中での戦闘ドンパチを楽しむのを、たぶん作り手も欲しているんじゃないかと思うが、つい癖で作品でゆるいパートに入ると、なんとはなしに考え事をしながら見てしまうのだった。笑わされもするが、見た後に最も強く印象に残っているのは、スティラー、ここまでやるか、偉いなあと感心することだったりする。







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