Thirteen Days

13デイズ  (2001年1月)

「トラフィック」同様、年末にオスカー戦線に間に合わすために駆け込み公開された「13デイズ」を見てきた。この映画、当初12月中旬に公開が予定されていたが、他のスタジオの自信作との競争を少しでも避けるため、予定を変えて12月最終週に一部地域でのみ公開、本公開は年が明けてからとなった。おかげで本当は同時公開のはずだった日本公開が先になってしまい、アメリカ人からではなく、日本から来た旅行者からアメリカ映画の評判を最初に聞くという滅多にない経験をした。


「13デイズ」は冷戦時代、米ソ核戦争突入寸前まで行ったいわゆるキューバ・クライシスを再構成するポリティカル・スリラーである。キューバでソ連の核秘密基地が作られつつあるのを察知したアメリカは、ソ連と接触、その真意を探ると共に、万一の場合に備えて緊急態勢を敷く。一瞬即発の非常事態が続き、タカ派はソ連を叩くいい機会だと、ここぞとばかりに先手必勝をけしかける。しかし、もし本当に核戦争に突入した場合、アメリカだけでなく、世界が受けるダメージは計り知れない。ジョン・F・ケネディ大統領と弟の司法長官ロバート・ケネディ、そして大統領特別補佐官のケニー・オドネルを中心に、ソ連の出方を横目に喧々囂々の会議が連日連夜続けられる。果たして核戦争突入は避けられないのか‥‥


きびきびとしたテンポのよい展開で緊張感を持続させるよくできたスリラーなのだが、実は私はどうもこの映画に完全にはのめり込めなかった。その理由は二つある。一つは、果たして核戦争が起こるのかどうかというドキュドラマとしてのこの映画のクライマックスの結果を、既に知っているということ。元々ドキュドラマは観客が結果を知っており、その上で結末に至るまでの経過を楽しむものであるわけだが、今回はそれとはちと趣きが違う。例えば、大局的に言えばすべての戦争映画はドキュドラマの一種であり、最終的にどちら側が勝つかがクライマックスとなるはずだが、観客は皆その結果は承知しているし、端的に言ってどちらが勝つかなんて気にしてない。わかりきっているからだ。それよりも焦点はそこに至るまでの経過、ドラマにある。


ならば「13デイズ」だって同様に楽しめるはずだが、そうではない。というのも、「13デイズ」の場合、映画がもたらす興奮もスリルもサスペンスも、すべてクライマックスの核戦争が起こるや否やを決める大統領の究極の選択にかかっているからだ。ここが他のドキュドラマとは大きく異なる。我々は核戦争が起こらなかったことを知っており、結果として、この作品が醸し出すサスペンスの何割かは最初から相殺されているのだ。このことは、同様に核戦争が起こるかどうかがテーマとなっているシドニー・ルメットの「未知への飛行」と比較してみれば一目瞭然である。フィクションとして先が読めない「未知への飛行」が産み出すサスペンスは、「13デイズ」の何倍も強烈だ。


しかしもちろん、一つの作品として見た場合、役者の演技や演出等、他に見るべき点は多い。しかしそこでも、この映画にはもう一つの欠陥があるのだ。何あろうこの映画の主人公であるケヴィン・コスナーその人である。大統領特別補佐官オドネルという役割のコスナーは、出番も多く、JFKのような上流階級ではなく、基本的に我々と同じ一般人であるという設定によって観客により身近に感じさせる効果を得ている。もちろん、彼を主人公に据えることで、最初からそれを狙っているわけだ。


しかし、しかしである。いくら大統領の側近とはいえ、彼は最終的な決定権は持っていない。その彼がなぜ主人公なんだ? オドネルは 4人 (5人だったっけ?) の子を持ち、教会の懺悔の席に連なり、電話の相手に神を信じるかと訊く信心深い男である。その彼が、大統領と同じ土俵に立ち、アメリカの明日を決定する重要な事件の歴史的目撃者となり、参与者となる。そこに一般観客は自己同一化して同様の緊張感を味わうという構図だ。しかし、だからといってそれがオドネルが主人公となる大義名分になるかというと、私はまったくそんなことはないと思う。それに私はどこかでコスナーがインタヴュウで今回は主役じゃなく脇に回っているんだと自分で言っていたのを読んだが、いったいこの役のどこが脇なんだ? 最初から最後までほとんど出ずっぱりじゃないか。


この構成は映画より小説の方が生きただろうなと思う。オドネルの日常生活は、小説として書き込むことによって俄然説得力を増しただろうと思うが、映画ではコスナーが画面に映れば映るほど違和感が増す。私が見たいのはあんたが何を迷っているかではなく、今この時、大統領がどう苦悩しているかということなのだ。結局、最終的な決定を下すのは大統領なのであり、やはり映画では大統領が主役となるべきであった。いくら大統領補佐官が悩んだところで大局は変わらない。


しかし、こうやってコスナーを貶しているけれども、実は私は役者としてのコスナーがそれほど嫌いというわけではない。今回だって、無茶言って主役ににじり出さえしなければ、結構いい味出したに違いない。もったいない。あの仕切りたがり目立ちたがりの癖さえなくせば、いつだっていい線いけるのに。そうそう、私は私の知る限り私以外は誰も見た者のいない世紀の失敗作「ポストマン」だって、ちゃんと金を払って劇場で見ているのだ。ここで少しくらいコスナーに苦情を言うくらいの権利はあるだろう。


結局、この映画は政治スリラーとしてよりも、政治を題材としたパワー・ゲームとしての方が見映えがする。自分の出番を鵜の目鷹の目で狙う腹に一物を持った者たちと、大統領との打々発止の戦いが最も面白いのだ。その点、JFKに扮するブルース・グリーンウッドと、その弟、ロバート・ケネディに扮したスティーヴン・カルプの演技は特筆ものだ。マクナマラ国防長官に扮したディラン・ベイカーもいい。これがあの「ハピネス」の変態おじさんか。その他の面々も皆よかった。高射砲の攻撃を受けながらもキューバの秘密基地の空撮に成功した後、オドネルに頼まれていたために、弾丸の貫通した主翼を見ても鳩が当たったんだと言って譲らないパイロット(クリストファー・ローフォード)なんか、しびれちゃいました。こういう一つ一つのエピソードはとてもいいんだけどねえ。


私の意見が一般的アメリカ人とそれほど違っていなかったというのは、この映画の拡大公開の初週の興行成績が5位に甘んじたということからも裏付けられると思う。この週、興行成績トップは私が全然気にもとめていなかったヒップ・ホップ・ダンス映画の「セイヴ・ザ・ラスト・ダンス (Save the Last Dance)」で、2位の公開して一と月になるトム・ハンクス主演の「キャスト・アウェイ」、公開3週目のメル・ギブソン主演の「ウーメン・オブ・ラブ」、同じくニコラス・ケイジ主演の「ファミリー・マン」にも及ばなかった。たとえ「13デイズ」の眼目がキューバ・クライシスの結果でなく、そこに及ぶまでの経過のドラマにあるとはいえ、人々は結果を知っている話にあまり惹かれなかったということの証左だろう。







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