The Debt


ペイド・バック (ザ・デット)  (2011年9月)

1966年東ベルリン。ユダヤ系のレイチェル (ジェシカ・チャステイン)、ステファン (マートン・ソーカス)、デイヴィッド (サム・ワーシントン) は、ナチ戦犯で多くのユダヤ人の命を奪ったフォーゲル (ジェスパー・クリステンセン) に西側で裁判を受けさせるために、身柄を拘束して西ベルリンに移送するという計画に従事していたが、結局それはフォーゲルを射殺するという結果で終わっていた。時は変わって1997年。今では政府高官となったステファン (トム・ウィルキンソン) と、その妻レイチェル (ヘレン・ミレン) の娘はジャーナリストで、レイチェルの過去の経験を元にした本が出版されようとしていた。そこへ何十年も音沙汰のなかったデイヴィッド (キアラン・ハインズ) が接触してくるが、彼はほとんど自殺のような形で死亡する。実は彼らには触れられたくない過去があり、それが公けになるのは好ましくなかった。デイヴィッドの死はそのことと関係があったのか‥‥


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なかなか面白そうなサスペンス・スリラーと思って劇場に足を運んだら、観客の平均年齢は50-60代の白人という感じで、我々夫婦が最も若そうだ。スリラーというよりも、ナチ戦犯、戦後処理、ユダヤ人虐殺、ヘレン・ミレンといった辺りのキー・ワードで人が見に来ているようだった。要するに私たち夫婦もそういう単語に反応するような年齢になったということか。


このような、特にユダヤ人虐殺が関係する大戦題材ものは、今でもほぼ定期的に作品が世に出る。近年では「愛を読むひと (The Reader)」が真っ先に思い浮かぶが、それ以外にも「ヒトラーの贋札 (The Counterfeiters)」「ブラックブック (Black Book)」等があった。多少古くなるが「戦場のピアニスト (The Pianist)」なんてのもあった。「X-Men: ファースト・ジェネレーション (X-Men First Class)」だってユダヤ人虐殺が話に絡む。果たしてクエンティン・タランティーノの「イングロリアス・バスターズ (Inglourious Basterds)」をこの範疇に含めてもいいのかどうか。等々、結構ナチ-ユダヤはいまだに色褪せないテーマだ。


特に「デット」の場合、戦後しばらくたってから戦争犯罪人の罪を暴くという点で、「愛を読む人」と類似点が大きい。そして戦争犯罪ものではないが、ユダヤ人、モサドが執拗に敵を追いかけるという点で、「ミュンヘン (Munich)」を思い出しもした。


一方、「デット」は単体で見てもなかなかよくできたサスペンス・ミステリーだ。もちろんナチによるユダヤ人迫害の歴史を知っていると理解が深まるのは確かだが、私の世代ですら既に戦後生まれなのに、現在20-30代だと、大戦なんて未知の過去だろう。「デット」において、今の主人公たちが登場するのが、「現在」ではなく「1997年」に設定されているのは、登場人物の年齢に合わせなければならなかったためであり、過去を追想するための「現在」も過去に設定せざるを得なくなった時代になったということだ。


今年、9/11は10年の節目であり、ニューヨークではマスコミも人々も何かと忙しない雰囲気だが、もう10年でもあり、こうやって物事は風化していく、あるいは忘れ去られていくのだろう。時に物事は忘れた方がいいという時もあるから、そのことが悪いことだとは特には思わないが。


「愛を読む人」では裁判が行われるのは1966年で、「デット」で主人公たちが戦争犯罪人を拉致して西側に連れ去り、裁判を受けさせようとする年と一緒だ。「愛を読む人」を見た時も、20年前の犯罪を裁く、何事にも徹底する肉食民族の執念とも言える精神の強靭さを感じたものだが、いずれにしても場所は西ベルリンであり、主人公たちは西側にいる。しかしこの時の「デット」の舞台は冷戦時の東ベルリンであり、東西ベルリンの間には壁がある (この壁を知らない世代も既に多いと思うと、本当に自分が年とった気になる。)


そのため、主人公たちは目的の人物に裁判を受けさせようと思うと、なんとかして壁の向こう側からこちら側に連れてこなければならない。既に冷戦の世界はある意味それはそれで安定しており、戦後20年経って、敗戦国だったとはいえ今では別のシステムで動いている国からそこの規律を無視して男を拉致する。事の善悪より、やはり肉食、という印象の方が強い。


また、自分で自分を裁いたという印象のある「愛を読む人」に較べ、「デット」では辛酸を舐めさせられ、本当に殲滅されかけたユダヤ人がナチ残党を拉致する。親兄弟子供たちを殺されたら、20年くらいじゃ恨みは消えないというのはあるだろう。確かに当時、壁の向こうでのうのうと生きている憎むべき相手がいると考えたら、多少の法を破ってでも相手に裁きを受けさせたい、制裁を加えたいというのは強かったと思う。


その戦争犯罪人、フォーゲル拉致作戦に参加したのは、まだ若いデイヴィッド、ステファン、レイチェルの3人で、しかし作戦は結局不首尾に終わり、レイチェルがフォーゲルを射殺する形で終わったことが冒頭で明らかになる。しかしレイチェルは勇敢な行動をとった勇気ある女性として、今ではジャーナリストとなっている娘の書く本の題材にもなり、表彰される対象でもあった。しかし実は、彼らには、公表していないある事実があった。そのツケ (デット) は、いつかどこかで払わなければならなかった‥‥


1966年のレイチェル、デイヴィッド、ステファンを演じるのが、ジェシカ・チャステイン、サム・ワーシントン、マートン・ソーカスで、1997年のレイチェル、デイヴィッド、ステファンを、ヘレン・ミレン、キアラン・ハインズ、トム・ウィルキンソンが演じている。作品のビリング、ポスター等では主演がミレンみたいな紹介のされ方をしているが、ミレンは後半いいところを持っていくとはいえ、実は登場時間は若い頃のレイチェルを演じるチャステインの方が長い。


チャステインはアメリカで公開中の「ザ・ヘルプ (The Help)」にも出演中だ。現在「ヘルプ」は興行成績第1位、「デット」は第2位で、奇しくも成績最上位の2作品に出演している。ついでに言うと、先月公開していた「ツリー・オブ・ライフ (The Tree of Life)」にも出ており、今年初頭最も活躍した女優がナタリー・ポートマン、春から夏がローズ・バーンとしたら、夏から秋にかけて最も露出度が高いのがチャステインだろう。


デイヴィッドの若い頃はワーシントン、歳とってからをハインズ、ステファンをソーカスとウィルキンソンが演じているが、実は私は最初、このキャスティングは逆だと思っていた。つまり、ワーシントンとウィルキンソン、ソーカスとハインズが同一キャラを演じていると思っていた。単純に顔の形がそちらの方がしっくりくると思っていたわけだが、真面目キャラ、一癖あるキャラという見方をすると、確かにワーシントン-ハインズ、ソーカス-ウィルキンソンの方が合っているかもしれない。


また、忘れてはならないのがフォーゲルを演じるジェスパー・クリステンセンで、最初出てきた時は、一瞬「潜水服は蝶の夢を見る (The Diving Bell and the Butterfly)」のマチュー・アマルリックかと思った。よく見ると、アマルリックというよりも一時の凄みがあった頃のマイケル・ケインの方に似ている。いずれにしても、戦後なおユダヤ人を差別して憚らないフォーゲルに扮したクリステンセンの怪演なくしては、映画は成功しなかったと言える。演出は「恋におちたシェイクスピア (Shakespeare in Love)」のジョン・マッデン。








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