The Wolverine


ウルヴァリン: SAMURAI  (2013年8月)

「X-メン (X-Men)」シリーズは、2006年に「X-Men: ファイナル ディシジョン(X-Men: The Last Stand)」を見た時に、その2流の終わり方に失望して、ひとまず私の中では終わった。同様に、「X-メン」スピンオフである2009年の「ウルヴァリン: X-Men Zero (X-Men Origins: Wolverine)」にも、異形の者であるウルヴァリンがハンサムな世捨て人になってしまうハリウッド・ヴァージョンにしっくりするものを感じず、パスしていた。 

 

しかし、「X-メン」のそもそもの発端を描く一昨年の「X-Men: ファースト・ジェネレーション (X-Men: First Class)」は、登場人物も製作陣も心機一転したことでまたもや興味が復活、「ファイナル・ディシジョン」を見た時は本気で頭に来てもう見ない宣言を出していたのにもかかわらず、前言撤回して劇場に足を運んだ。 

 

そして今回の「ウルヴァリン: Samurai」は、なんでも日本が舞台なのだそうだ。X-メンが、ウルヴァリンが日本か、先頃見た「パシフィック・リム (Pacific Rim)」でも、カイジューが出現するため日本は重要なファクターだったが、今回は作品のほぼ全編が日本を舞台にしているという。これは食わず嫌いでパスしている場合じゃないと、ここでもこれまで「ウルヴァリン」、趣味じゃないなあと言っていた前言を撤回することにする。 

 

作品の冒頭、第二次大戦末期にウルヴァリンが長崎で原爆に遭遇するという描写を見て、いきなり肝を潰す。実は正直に言うと、ウルヴァリンが不死で歳をとらないという設定であることに、今回初めて気がついた。そういう描写はこれまでの「X-メン」にあったっけ? 思い出せない。確かに驚異的な運動能力や回復力を持っていたという印象はあるが、怪我をした部分がみるみるうちに治癒していくなんて描写があった記憶がない。単に忘れているだけか? 少なくとも「ウルヴァリン Zero」にはそういう描写があったのだろうと想像する。 

 

いずれにしても現在と変わらないままのウルヴァリンが、1945年の長崎にいる。彼は日本軍に捕らえられて地下壕のような場所に入れられていたが、そこで原爆に遭遇、日本軍の矢志田を助けたことから、何十年後の現在、今際の際にいる矢志田が、最期の礼がしたいとウルヴァリンを召喚したのだ。それからすぐ矢志田は死去し、葬式の場に狼藉者が現れ、ウルヴァリンは拉致されようとしていたマリコを助ける。 

 

だいたい、矢志田という名字はいったいどこから来たのか。吉田経由という気がするが、何がどうなって矢志田になったのか。ググってみたら「ウルヴァリン」関係の矢志田ばっかりだったから100%の確信はないが、そもそも日本に矢志田という名字はないだろう。それとも少しだがあったりするのだろうか。 

 

矢志田の葬儀のシーンでは背景に東京タワーが散見されることからして、これは増上寺だろう。その後たぶん田町近辺をマリコを連れたウルヴァリンが逃げ回るのだが、ちゃんと東京で街頭ロケをしていることに感心する。これはちゃんと許可を得てから撮影しているのか。そもそも東京のお役所にそういう許可を出す部署なんてのがあるのだろうか。観光客誘致のためにそういう部署ができて、今後もハリウッド映画の東京ロケが見れるなら、それは喜ばしいことだ。 

  

それに田町をウルヴァリンとマリコが徘徊し、それをビルの屋上から、ウィル・ユン・リー扮するニンジャまがいのハラダが追うなんて時代錯誤も甚だしい絵を堂々と撮られると、それはそれでエキサイティングなのだった。現代の東京のビルの上にカタコトの日本語をしゃべるニンジャが出現して矢を放つなんて、許されていいのか。 

 

ウルヴァリンとマリコが手に手をとって一瞬逃げ込むのがパチンコ屋というのもかなりお約束で、「ワイルド・スピードX3 Tokyo Drift (The Fast and the Furious: Tokyo Drift)」でも当然出てきてた。銭湯までは出てこないのは、少しは遠慮しているのか。一方でラヴ・ホテルが出てくるなど、パチンコ屋とラヴ・ホテルは、外国人から見ると摩訶不思議な日本のワンダーランドの象徴なのだった。田町から一瞬後には、山手線に乗ったようにも見えないのに上野にいるのはご愛嬌だが、ハリウッド映画の東京ロケというと新宿のガード下と渋谷のスクランブル交差点と相場の決まっている中で、その他の場所が見れてわりと満足だ。今後ハリウッド映画の日本ロケには、遠からず必ずラーメン屋のシーンが挿入されるようになるのは賭けてもいい。 

 

その後舞台は長崎に戻り、最後はちょっと場所が特定不可能な山の中になるが、結局ウルヴァリンことヒュー・ジャックマンは、「リアル・スティール (Real Steel)」よろしくまたまた人間型ロボットと戦うことになる。今回の相手は「リアル・スティール」のような遠隔操縦ではなく、小型「パシフィック・リム (Pacific Rim)」的人間乗り込み操縦型のロボットで、こんなの相手に生身 (とは言い難いが) のウルヴァリンが戦わなければならない。遠隔操縦だろうが生身だろうがロボットと戦ってタメ張るなんて、人間でジャックマンに勝てる相手はいそうもない。 

 

かなり楽しませてもらった「Samurai」だが、一つ弱点を挙げると、ウルヴァリンが不死であることの哀しみがうまく伝わってこないことにある。冒頭の冬山での情景や、ジーンが現れるところなんかにそこはかとなく背負っているものの重みとやらが描かれていたが、しかし人間世界と関わって生きている以上、不死はどうしたって恩寵ではなく呪いでしかない。不死であることは、どうしてもスーパーヒーローというよりはドラキュラの方に針は傾く。しかし矢志田の奸計で怪我をしても以前のような回復力がなくなったウルヴァリンは、どうやら自分の身体が以前のような不死のパワーを失いつつあることを残念がっているようにすら見える。不死であることの哀しみから人里離れた場所に一人で住んでいたのではないのか。 

 

映画を見て家に帰って来てから復習すると、「ウルヴァリン Zero」は19世紀から始まり、その時はウルヴァリンは確かに子供だった。成長がほとんど止まったのは成人してからのようで、以来南北戦争からヴェトナム戦争まで、アメリ カが関係したほとんどすべての戦争に従軍した。だからウルヴァリンが第二次大戦に従軍しているのは不思議でもなく、長崎にいたことに驚いたとはいえ、辻褄は合っている。なんせ不死身だから、軍人向きの体質だとは言える。 

 

一方、ウルヴァリンが日本にいたことがあり、日本人の恋人もいたという設定も既に最初からあったのは知っている。しかし時間軸的に言って、マリコがその恋人だとするのは無理だと思っていたのだが、あにはからんや、調べてみるとオリジナルのマーヴェル・コミックでは、マリコがウルヴァリンの婚約者だったということになっている。この辺の時間軸は曖昧で、多少無理があると思うのだが、それでもそういうオリジナルの展開を、力技とはいえ導入してある程度は納得させていることを誉めるべきなのかもしれない。 

 

しかもこの日本編はかなりのミュータントのサブ・キャラを生み出しており、やろうと思えば日本だけでまた続編も作れそうだ。映画では最後にユキオが押しかけボディガードとしてウルヴァリンにくっついて世界の果てにでも一緒に行きそうな終わり方をしていた。不老不死の男に刀を携えた女性ボディガードというのは悪くない、このコンビで続編を製作しても面白いものができそうだ。 

 










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第二次大戦末期、長崎で日本軍によって囚われの身となっていたローガン/ウルヴァリン (ヒュー・ジャックマン) は、そこで原爆に遭遇、日本軍の矢志田を助けた後、姿を消す。時は変わって現在、人と関わらずにカナダの森の中で暮らしていたローガンに、ユキオ (福島リラ) が接触してくる。日本で実業家として成功していた矢志田 (ハル・ヤマノウチ) が今際の際におり、死ぬ前に是非ローガンにかつて命を助けてもらった礼がしたいのだという。渋々招待に応じたローガンは、東京で矢志田の息子シンゲン (真田広之)、その娘のマリコ (Tao) と会う。マリコは政略結婚で政治家との婚礼が近々予定されているだけでなく、彼女を付け狙う一味もあった。ローガンは意図せずその謀略に巻き込まれていく‥‥


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