The Widow of Saint-Pierre (La Veuve de Saint-Pierre)

サン・ピエールの生命 (いのち)  (2001年4月)

実はあまり大声では言えないのだが、私はこれまでパトリス・ルコント作品を見たことがない。「仕立て屋の恋」も「髪結いの亭主」も、昨年話題になった「橋の上の娘」も見ていない。なぜだかたまたまいつも見るチャンスを逸していたのだ。それで、これ以上見逃し続けるわけにもいかないかなと思って、別に題材に惹かれたわけでもないのだが、劇場に足を運んだ。


時は1849年、仏領サン・ピエール島で酔った勢いで殺人を犯し、ギロチン刑に処されることになったニールと、刑に処されるまで面倒を見ることになった駐留軍の隊長、それにマダム・ラと呼ばれる隊長の妻を中心に描くヒューマン・ドラマである。因みに原題の「サン・ピエールの未亡人」の「未亡人」というのは、当時のギロチンを指すスラングである由。ニールに扮するのが、「アリゾナ・ドリーム」、「アンダーグラウンド」で知られる映画監督のエミール・クストリッツァ。マダム・ラに扮するのがジュリエット・ビノシュ。駐留軍隊長に扮するのがダニエル・オートゥイユであるが、私は彼が高く評価された「八日目」や「橋の上の娘」を見てないため、今回初めて目にする。


結構評はよかったはずなんだが、正直言って私はあまり感心しなかった。出だしから中盤まではかったるいし、なんといってもまったく愛他主義に徹して、ほとんど白痴的にニールを保護しようとするマダム・ラの人物造形が嘘臭くてついていけない。その妻を絶対的に信頼してすべてを任せきりにする隊長も、おまえ、そんなんだからそんな辺境に飛ばされるんだよと思ってしまう。


そこまで自分のことは構わず他人に奉仕できる人間というのは、実際に白痴に近いほど無垢な人間である必要があると思うが、ビノシュは残念ながらそうは見えない。わりと頭がよさそうである。ついでに言うと、髪を上げて額を見せるあの髪形も似合っているとは思えない。ビノシュは結構好きな役者なんだが、今回は今一つだった。こういう役ができそうなのは、「奇跡の海」のエミリー・ワトソンしか思い浮かばない。また、マダム・ラが白痴的献身家であるということが納得さえできるなら、それを知りながらも愛してしまった隊長の悲哀というものも納得できると思うのだが。そこが納得できないため、こんな女に振り回される隊長までばかみたいに見える。


だいたい、自分の妻がそういう純粋な女ということがわかっているならば、その女を守るために自分が色々画策して、敵を作らないようにしたり物事をスムースに運んだりすることに神経を配るのが、大人の男の仕事だろう。そういうこともしないでただ私は妻を信じていますだけじゃ、やっぱりばかだと思われてもしょうがない。みすみす自ら悲劇を招いているようなものである。この妻にしてこの夫ありだ。この物語がピュアな恋愛ストーリーというふうには、どうしても私には見えない。


まあ、こういう風に思ってしまう偏屈な人間がいることを多分予期していたから、わざわざこの物語は事実を基にしているということを大きく告知しているのだと思うが、事実であろうとなかろうと、そこをうまく演出するのがプロの技術というものだろう。ニールに扮するクストリッツァも、別に悪くはないが、しかしこの役はどう見ても、本来ならジェラール・ドパルデューがやるはずの役である。わざわざ役者としては未知数のクストリッツァを冒険してまで起用する意味があったのか。まあ、失敗はしてないからいいけど。ドパルデューはもうこの役をやるには歳をとりすぎていたのだろうか。


また、内容にも増して不愉快だったのが、カメラの使い方である。小さなサン・ピエール島が舞台であるため、画面には何度も水平線が現れる。水平線というのは、真横に一直線という、あの潔さがいいんじゃないか。それをカメラを傾けて撮る人間のセンスというものはまったく信用できない。海が荒れているという心象表現だったのかもしれないが、ほとんど凪いでたぞ。普通に人間を撮っている時も結構カメラが傾く。おかげで私は傾きを補正しようと、スクリーンを見ながら段々頭が傾いてきてしまった。


ここぞというドラマティックな瞬間に使う急激なズーム・アップも、私にはまったく好感が持てない。ヨーロッパの監督はズームに鈍感というか、ズームを多用したがる癖のある監督が多いが、私はなぜカメラを前進移動させない? と思ってしまう。ズームの多用は、私にはただただ安易な手抜き仕事にしか見えない。ラース・フォン・トリアー並みに確信犯として使用するなら、それならそれでつきあい方もあるが、忘れた頃にいきなりぐーんとズーム・アップされると、話の効果を高めるというより、ただ呆気にとられてしまう。なんだ、これ。


少なくともルコントの使いたかった急激なクロース・アップは、カメラを移動するだけでは間に合わないものだったというのはわかる。あれをやるには移動撮影でなく、カメラでズーム・アップするしかなかっただろう。しかしそれでも、効果のほどは疑問だ。あの手のズーム・アップって、金があまりかかってないインディ映画でやってこそ効果が出るものであって、こういうそれなりの予算を組んだ正攻法の演出で見せる作品でやられると、逆に貧乏臭い。


まあ、そんなわけで、私のルコント初体験はぎすぎすしたものに終わってしまった。これだけ文句を連ねてしまうと、私がこれまでルコントを見ないで来たのは、見ないでもよかったという運命的なものだったのかと思ってしまう。次またルコント作品を見るかというと、よほど見たい題材でもない限り見ない方に賭けるね。







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