The Two Escobars  ザ・ツー・エスコバルス

放送局: ESPN

プレミア放送日: 6/22/2010 (Tue) 21:00-22:00

製作: ESPNフィルムス

製作総指揮: キース・クリンクスケールズ、ジョン・ダール、ジョーン・リンチ、ジョン・ウォルシュ

監督: ジェフ・ジンボリスト、マイケル・ジンボリスト

音楽: マイケル・フラニック


内容: 1990年代初頭のコロンビア・サッカー界躍進の原動力となり、その後数奇な運命を辿ったパブロ・エスコバルとアンドレス・エスコバルの二人の軌跡を追うドキュメンタリー。


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スペインの初優勝で幕を閉じた今回の南アフリカで開催されたサッカー、ワールド・カップ、なんだか既に遠い過去のことを話しているような気がする。 まあ、それでも今回も充分楽しませてもらった。やはり母国が活躍するとTV観戦する方も身が入るし、アメリカも毎試合で話題になるプレイや審判のミス・ ジャッジが続出、ドラマを盛り上げて話題には事欠かなかった。


前回のドイツのワールド・カップで、既にアメリカでもサッカーは根づいたという確信を得ていたのだが、今回、改めてそのことが立証された。なんせ毎日、すべての新聞媒体で一面トップはワールド・カップなのだ。 NYタイムズだろうがポストだろうが無料紙のメトロ、am、すべてそうだ。おまけにトーク・ショウでも一番ネタの多くがワールド・カップだ。


特に一時ラウンドでアメリカと対戦した英国のゴール・キーパーが、イージー・ボールを後ろにそらして得点をゆるすという歴史的凡ミスで試合が引き分けに終わってから、報道が過熱したという印象があった。その次のスロヴェニア戦でのオフサイドの判定ミスでの引き分け、後がないアルジェリア戦では、試合終了直前のロス・タイムの崖っぷちからゴールを決めて勝つなど、なんか、誰かが演出したみたいな筋書きで2次ラウンド進出を果たした。もちろん米国民も熱狂し た。


日本もアメリカもベスト16で姿を消したが、しかし日本でもアメリカでも今回の活躍がサッカー人気の拡大に果たした影響は計り知れない。経済効果なら何兆円/ドルなんて算盤を弾いているアナリストがいるのは間違いないだろう。まあ、なんにしてもよかったよかった。


さて、「ザ・ツー・エスコバルス」である。ESPNの「サーティ・フォー・サーティ (30 for 30)」の一環として放送されたスポーツ・ドキュメンタリーで、サッカー・テーマのこの番組がこの時期に放送されたのは、当然ワールド・カップを横目で睨 んでのことだろう。前述のように、アメリカでは今サッカーが旬だ。


とはいえ、事前に私が番組について知っていたことは、 サッカー・テーマのドキュメンタリーということ以外、まるでなかった。エスコバル、誰、それ、ってな具合である。というか、エスコバルというのが人の名前であることも知らなかった。南米にはエスコバルスというクラブ・チームがいくつもあって、その長年にわたる因縁の対決でもとらえた番組かと、勝手に思っていた。


そしたらそうではなく、エスコバルスとは、パブロ・エスコバルとアンドレス・エスコバルという、コロンビアのサッカー界の歴史を変えた二人のエスコバルのことだった。パブロはサッカー・プレイヤーではなく、彼らをサポートした麻薬王で、ありあまる金をふんだんに使ってチームをサポート、チームはめきめきと強くなった。しかし、汚い金でチームを強くして、それでワールド・カップ快進撃ってか。いくらなんでもそれはモラ ルの問題としてやばくないか。


そしてもう一人のエスコバル、アンドレス・エスコバルはプレイヤーの方であり、90年代初 頭、コロンビアのナショナル・チームの守備の要として活躍した。しかしアンドレスの名を一躍世界中に知らしめたのは、アメリカで開催された1994年のワールド・カップにおいて、一次リーグで開催国アメリカ相手に、アンドレスがまさかの自殺点を入れて敗退したという事件によってだ。


そういえば! そうだ、あった、あった、覚えているぞ。確かに自殺点を入れて負けたというシーンがあった。そうかあれがコロンビア、あれがアンドレスだったか。スポーツ においては、時として劇的に勝った者やチームよりも、劇的に負けた者やチームの方がより強く記憶に残る場合がある。サッカーで自殺点を入れて負けるなんてのはその最たる例の一つだろう。それがワールド・カップという大舞台ならなおさらだ。そうか、あれがアンドレスだったのか。


これだけでも充分悲劇なのだが、弱小国家で、違法ドラッグの流通の巣窟でアメリカが目の仇にしており、世界から悪者視されていたコロンビアにおいては、ワー ルド・カップで活躍するプレイヤーとは、国民的ヒーローに他ならなかった。そのヒーローが自殺点を入れて負ける。国は悲しみに沈んだ。そしてある者は、激昂した。そして負けて国に帰ったアンドレスは、その2週間後、撃たれて殺される。自殺点の代償は、自らの死だった。


この時のワールド・カップが、私がアメリカに来て初めてのワールド・カップ、しかも地元開催で試合を生で見た最初で最後のワールド・カップということもあり、 断片的ながら幾つものシーンが脳裏に刻み込まれている。アンドレスの自殺点もそのうちの一つであり、最も印象的なシーンの一つだった。しかし、のんきにサッカーを観戦していた私と異なり、コロンビアのプレイヤーは命をかけてサッカーをしていた。実は私もこの大会の時、ニュージャージーで準々決勝のドイツ -ブルガリア戦を見た後、帰りのバスで遭難しかけてこれは大丈夫かと不安になったことを思い出す。しかし、むろん本気で命がかかっていたわけではない。 ちょっとレヴェルが違う。


コロンビア・チームは、パブロという後ろ盾がおり、彼が自分のチームを持つ熱烈なサッカー・ ファンだったからこそ急激に強くなった。金と時間を惜しみなく注げば、やはり強くなる。しかし、ドラッグで稼いだ金で強くなりましたなんて、到底大っぴらには言えない。しかし中米コロンビアではプレイヤーもそういったモラル意識は希薄とは言わないまでも、特に大きな問題とは自覚していなかったようで、結構堂々とパブロの家に出入りしていたらしい。そういう点が、さすがに世界に対してこれはまずいんではないかと問題になり始める。


そしてアメリカが介入する。コロンビア経由のドラッグの蔓延に手を焼いたアメリカは、コロンビアに対して強力な圧力をかける。ドラッグ・ディーラーを逮捕しろ。引き渡せ。そしてアメリカ国内や水際で、徹底的にドラッグ撲滅作戦を繰り広げる。親米派のコロンビア議会は、ドラッグ取り締まりに力を入れ始める。


だいたい、悪の権力者というものは、どの時代でもその傘下にいる者には寛大だったりする。「ゴッド・ファーザー」を見れば一目瞭然だが、ファミリーの一員になれば、むしろ快適な生活を約束される。そのため、パブロも同様にかなりの支持者がいた。彼が国会議員になれたのは、当然麻薬で稼いだ金を散布することによって、一部の民衆からは絶対的な支持を得ていたからだ。しかしむろん事は昔のように簡単には運ばない。国はドラッグ絡みの内戦化の様相を呈し始める。


結局パブロは政府軍部隊によって追いつめられた上、射殺される。1993年末だった。パブロの死と機を一にするようにして、チームの力も低下し始める。そし て1994年夏のワールド・カップを迎える。優勝候補の一角とすら見られていたコロンビアは、しかし初戦の対ルーマニア戦を1-3で落とす。次が運命の対アメリカ戦だ。前評判ではコロンビア有利。実際コロンビアはアメリカに対して攻めて攻めまくるが、どうしてもあと一歩のところで点がとれない。


得てしてこういう時にカウンター・アタックで敵にワン・チャンスで一点取られたりするんだという嫌な予感が、チームのプレイヤーの頭をかすめ始める。そして前半34分、ついにその拮抗が崩れる。最悪の形で。案の定めったにないチャンスをものにしようとカウンター・アタックで走るアメリカ。そのアメリカが左サイドから中央に出したパスをカットしようとアンドレスが出した足に当たったボールは、見事にキーパーの逆をついて自ゴールに吸い込まれる。その瞬間、コロンビアでは時が止まったに違いない。


この時、自国でTV観戦していたアンドレスの姉のまだ幼い娘は、母に向かって、アンドレスは殺されるの? と訊いたそうだ。母は否定する。しかしその10日後、その懸念は現実のものとなる。深夜、地元のバーで酒を飲んでいたエスコバルは、パブロと敵対関係にあったギャングによって10発以上も弾丸を打ち込まれ、死亡する。


パブロとアンドレスという、強力なサポーターとチームの要を失ったコロンビア・サッカー・チームは、その後、坂道を転げ落ちるようにみるみるうちに衰退する。急激に、歪に強くなったコロンビアは、いったんその勢いが衰え始めると、衰退する加速度も大きかった。ほとんど内戦状態のコロンビア・チームがその後、世界の晴れ舞台で活躍することはもうなかった。そしてたぶん、これからも当分はないだろう。








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