The Tourist


ツーリスト  (2010年12月)

アメリカ人数学教師のフランク (ジョニー・デップ) は、ヴェニスに旅行に向かう列車の中で謎の美女エリース (アンジェリーナ・ジョリー) に出会う。エリースに魅入られたフランクはたぶん何か考えがあるエリースに誘われるままに、ふらふらと彼女の泊まるホテルに同行し、隣りの部屋に寝る羽目になる。実はエリースの恋人はギャングから大金を騙しとって行方をくらませた男で、エリースはギャング、および英国警察の両方から監視されていた。実直そうなフランクは、その隠れ蓑として最適だったのだ。しかし、本気でエリースに惚れたフランクは予想もつかない行動に出て、エリースのみならず、警察、ギャングも撹乱する‥‥


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先週見た「ザ・ネクスト・スリー・デイズ (The Next Three Days)」と異なり、今回は最初からこれがリメイクと知っていて見に行った。半年くらい前から散々宣伝やら話を聞かされていたし、事前の露出度はかなりのものだった。なんせアンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップだ。マスコミのみならず注目されないわけがない。ちなみにオリジナルはジェローム・サル演出、ソフィー・マルソー主演の2005年仏映画「アントニー・ジマー (Anthony Zimmer)」だ。


アントニー・ジマーというのは表には出てこない影の主人公の名で、彼は裏の世界で警察機構やギャングを手玉にとって大金を着服していた。そのジマーの恋人がマルソー演じるキアラで、彼女にしかジマーは接触してこないため、ギャング、警察、その他もろもろの追っ手が彼女を張っている。ジマーはその追跡を撹乱するため、キアラに適当に旅行客を選んで一緒に行動して隠れ蓑として利用せよと指示する。もちろん今回ジョリーが演じるエリースがキアラで、デップが演じるのは、そのエリースが選んでいいように利用するツーリストのフランクだ (ちなみにオリジナルではフランソワだ。似たような名にしている。)


今回のリメイクでは、影の主人公の名である「アントニー・ジマー」というオリジナル・タイトルが、外部から見た場合の不特定多数の名称にも用いられる、「ツーリスト」に変わった。特定の個人から、名も知れぬその他大勢の一人に格下げされたという印象を受けるネイミングだ。一方でそのツーリストは、オリジナルではジマーがキアラに指令を出して選び出した、囮的存在に過ぎない。その男が今回の作品タイトルになったわけで、つまり今回のリメイクでは、実はサブ・キャラが出世したという見方もできる。タイトルにもなっている男がまったく表に出てこないオリジナルのフランス映画と、最初第三者でありながら作品タイトルに昇格した男。彼我のものの受け止め方の違い、というかセンスの違いが感じられる。


むろんこのことは、今回ツーリストを演じるのが世界的スターのデップということも関係がある。彼が出ているのにタイトルが「ジマー」のままだったら、ほとんどの観客はデップがジマーなのだとカン違いしてしまうだろう。だから今回、「ツーリスト」という作品名になったのだ。


また、アメリカ人ツーリストは、基本的に世界、特にヨーロッパでは格下に見られる傾向がある。金にものを言わせる成り上がり者というわけだ。その辺の含みも持たせたネイミングに違いない。ヨーロッパのような古い国や都市から見れば、たかだか建国200年ちょいの国なんて、歴史なんてないに等しい。だからアメリカ人の、特に冴えなさそうな数学教師なんて肩書きのツーリストであるフランクが、しかも一人で旅行しているというのは、うさん臭いことこの上ない。まったく関係ないが、ついでに言うと「ネクスト・スリー・デイズ」で主人公を演じるラッセル・クロウの職業は大学の英語教師だった。教師という職は旬か?


「ジ・アメリカン (The American)」では、ジョージ・クルーニー演じるツーリストは、あのアメリカ人と認識される。あのツーリストと呼ばれていることとほとんど一緒だ。もちろんたぶん日本人がその場にいれば、あの日本人と呼ばれることになるだろうが、その場合、アメリカ人、日本人という呼称に込められるニュアンスは多少異なる。アメリカ人という言葉に込められた、金を持っている国に対する羨望と、歴史の浅い国に対する優越という相対する感情を強く喚起するという点で、やはりアメリカという国は唯一無二だ。


「ツーリスト」は前評判、宣伝の大きさにもかかわらず、今では失敗作だったという評価が既に定着している。つい先日「ゴールデン・グローブ・アウォーズ (Golden Globe Awards)」を見ていたら、セレモニーが始まったその冒頭で、ホストのリッキー・ジャヴェイスが「ツーリスト」をコケにしていて、「誰も見てないのになぜノミネートされているんだ。もちろんジョニーとアンジェリーナが (セレモニー母体の) ハリウッド・フォーリン・プレスと仲がいいからなんてことはない。彼らは賄賂も受け取るだけだ」なんて危ういジョークを飛ばしていた。ちゃんとその後にNBCのカメラはかすかに笑みを浮かべるデップを映していた。ジャヴェイスが来年もGGのホストを頼まれるかは非常に怪しい。


「ツーリスト」が観客をつかまえることに失敗したのは、多くをそのペース配分に拠っていると思う。別に話が面白くないわけじゃない。オリジナルがカルト化してリメイクがハリウッドで作られるわけだから、面白くないわけはないだろう。しかしそのリメイクは、大物スターを起用していかにも彼らの顔見世興行的な印象を与える作品になってしまった。一昔前の、いかにも大物スターを起用したハリウッドのスパイ・ケイパーものという雰囲気が濃厚の作品になった。主演をグレゴリー・ペックとグレイス・ケリーに置き換えても違和感なくそのまま作品に収まりそうだ。なんてったってヴェニスという背景自体が、ここ数百年くらいほとんど変化のない街なのだ。


正直言って、それでも構わないとは思う。というか、最初からそういう路線を狙っていたんだろう。しかし現代のファンは、それだけでは満足しない。デップとジョリーのファンだけが劇場に足を運ぶわけではないのだ。一般的な映画ファンにとっては、時にスロウとすら感じるペース配分やアクションは、特に楽しめるものではない。いくらなんでも英国や地元の諜報機関や警察が、ここまで無能なわけもないだろう。


この作品、演出をしているのは、「善き人のためのソナタ (The Lives of Others)」のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクだ。思わず、ああ、と唸ってしまう。そうか、ドラマ畑の人間によるアクションだからこうなったわけか。つまり、やはり狙っていたのはアクションものではなく、デップとジョリーの感情の機微の方にこそ焦点を当てた、実は大人のラヴ・コメなのだ。オリジナルがフランス映画なのも当然という気がするが、それをドイツ人演出家がハリウッドでリメイクする。正直言ってなかなか面白い企画だったとは思う。


失敗作の烙印が捺されてしまっているとはいえ、特にけなす気にもなれず、別に私がそこそこ楽しんだと思えるのは、やはりオリジナルの話をまったく知らず、一から見れたこともある。かみ合っているのかかみ合ってないのかまったくわからないシリアス演技のジョリーと飄々としたデップは、たぶんこの二人はもう二度と共演しようと思わないだろうなと思うと、この作品が非常に貴重なものに思えてくる。他にもこれだけごろごろと名の売れたスターや俳優が出演していながら、「アントニー・ジマー」と「ツーリスト」のラインを越えて連想が広がっていかない。ほとんど自己完結してしまっているのだ。到底実現しそうもない企画が実現してしまった、エア・ポケットのような作品が「ツーリスト」なのだ。








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