The Taking of Pelham 123


サブウェイ123 激突  (2009年6月)

ニューヨークのサブウェイが乗っ取られる。犯人一味の首領ライダー (ジョン・トラヴォルタ) はサブウェイ管理室から指示を出すウォルター・ガーバー (デンゼル・ワシントン) に応対の窓口となることを要請する。ネゴシエイターのカモネッティ (ジョン・タトゥーロ) が到着、ガーバーと共同でライダーとの連絡に当たる。ライダーは1時間以内に1,000万ドルを用意すること、遅れた場合は一人ずつ人質の乗客を殺すと脅迫する。ニューヨーク市長 (ジェイムズ・ガンドルフィーニ) は金を用意することに同意するが、しかしタイム・リミットは刻一刻と迫りつつあった‥‥


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「サブウェイ123」は、クラシックのクライム・ドラマ「サブウェイ・パニック」のリメイクだ。両方とも原題は「The Taking of Pelham 123」なのだが、邦題の方は今回の方がどちらかというとオリジナル・タイトルに近い。


過去、犯罪ドラマは数多く製作され、クラシックとして後世に名を残す作品も多い。実は「サブウェイ・パニック」はそういう映画で私が見ていない作品のうちの一本だ。いつか機会があればと思っているうちに見ないまま今日まで来てしまい、リメイクの方を先に見ることになってしまった。


実はこのように、オリジナルの名声だけは聞き及んでいて見たいとは思っていても見ないままずるずると来てしまい、リメイクの方を先に見るはめになってしまった作品というのが結構ある。最近ではこないだの「消されたヘッドライン (State of Play)」もそうだし、昨年の「地球が静止する日 (The Day The Earth Stood Still)」もそうだ。他にも「デス・レース (Death Race)」「アイ・アム・レジェンド (I Am Legend)」「3時10分、決断のとき (3:10 to Yuma)」等、ここ1、2年でも結構ある。


オリジナルのTVシリーズを見ていない「インクレディブル・ハルク (The Incredible Hulk)」とか「マイアミ・バイス (Miami Vice)」とかもあったりして、わりとオリジナルを知らない作品というのは結構あるんだなと思う。なかにはリメイクとは知らなくて、見た後で調べて初めてこれがリメイクだったのかと知った作品もある。


それでも、その中でも特に「サブウェイ123」がこの手のリメイクの中でも印象的なのは、 「影なき狙撃者 (The Manchurian Candidate)」 のリメイク「クライシス・オブ・アメリカ」でも主演したデンゼル・ワシントンが、ここでもまた同様のサスペンス・スリラー作品に主演で登場していることにある。そりゃあ長い間役者やってたら何度かリメイクに出ることだってあるだろうし、そもそもシェイクスピアとかの古典ものは基本的にすべてがリメイクと言えるから、むしろリメイクに出たことのない役者という方が少ないだろうが、しかし比較的最近 (といっても2、30年くらいは経つわけだが) の作品、しかもサスペンス・スリラーのリメイクに近々のうちに二度も出ている役者というのは、ワシントンくらいのものではないか。


そしてその両方が特に気にかかるのは、私の場合、両者ともオリジナルの名声だけは聞き及んでいるのに、それを見ていないという点で非常に引っかかるのだった。言い換えると、作品の名前はよく売れて名声は確立しているのに、わりと見てない者がいるというクラシック作品のリメイク2本にワシントンが出ている。むろん私が両方とも見ていないのはたまたまそうなっただけだが、同じ境遇の者は結構大勢いると思う。わりと両者とも、タイトルはよく聞いていても現在ではそんなに見る機会のない、隠れたクラシックという印象が濃厚なのだ。ワシントンはそういう作品の水先案内人みたいな感じがする。そのうち彼が出るリメイクだから面白そうなんて話になるんじゃないか。


その「サブウェイ123」では、まずワシントンがここ数年でかなり体格が変わっていることに驚いた。特に黒人には、腰に肉がついたせいで逆にケツの肉が引っ張られて、歳とってからヒップアップするというアジア人の目から見ると信じられない体格の変化を見る者がいるが、ワシントンがまさにそれだ。ついこないだの「インサイド・マン (The Inside Man)」から肉がついたのにさらに足が長くなったように見えるのはなぜだ。いや、驚いた。


ここでワシントンが演じるのは、ニューヨークのサブウェイ網の指揮を執っているディスパッチャーだ。実はワシントンは本当はもっと上の方の役職で、導入を進めている新型車両を決めるのに大きな発言力のある地位にいた。その車両の製造納入でカナダのメイカーと日本のメイカーが争っていたが、ワシントンは日本側からの賄賂を受けとった疑惑が濃厚だった。それで一時的に降格して前線で指揮を執っているという設定だ。その時に事件が起きる。


ニューヨークのペルハム行きのサブウェイがハイジャックされ、たまたまディスパッチャーの椅子に座っていたワシントン = ガーバーが対応に当たる。ネゴシエイターのカモネッティが出馬してくるが、 犯行一味の首領ライダーはガーバーに自分との連絡係としてそこにいるよう要請する。ライダーの意図はサブウェイの身代金だけか、どうやって脱出を計画しているのか、誰がどこでポカをするか、ライダー/ガーバー/カモネッティの丁々発止のやり取りが続く。ライダーに扮するのがジョン・トラヴォルタ、カモネッティに扮するのがジョン・タトゥーロだ。


実は映画を見て家に帰ってから、面白かったがさてオリジナルはいったいどうだったんだろうと思っていたら、映画を見たその夜に、ちゃんと「サブウェイ・パニック」をTVでやっていた。当然どこかでやっている可能性は非常に高いとは思っていたが、案の定だった。因みに今回のタトゥーロが演じるネゴシエイターという役柄はオリジナルにはない。その時はネゴシエイターという職業すらなかっただろうからそれも当然だ。今、同様の事態が勃発したらネゴシエイターが出て来るのはもちろんだから、この変更は必然だろう。


それ以外では今回は基本的にオリジナルの枠組みをそっくり頂きながら、現代的な意匠を色々ととり入れている。まず、のっとられるサブウェイそのものが昔ほど汚くない、というか結構綺麗で、なるほど、ニューヨークのサブウェイは綺麗になったんだなと思う。かれこれ20年近く前、私がニューヨークに来た時に既にその頃のサブウェイからは落書きは消えていたが、こうやって見ると今のサブウェイはほんとに綺麗になった。


そのサブウェイに指令を出すコントロール・ルームの昔のロウ・テクぶりにも驚く。コンピュータ制御じゃなかったのか。ほとんどが手動で動かしているように見える。その時のセット・デザイナーの腕がそんなものでしかなかったというわけでもなさそうだ。


そういう時代の変遷を含め、35年前と現在で最も異なるのはスピード感だ。とにかく演出にスピード重視のトニー・スコットを持ってきたことで、そのことが強調された。特にそのスピード感が生きるのは、身代金を時間に間に合わせるようとブルックリンからマンハッタンまで現金輸送車や白バイが疾走するシーンだ。金を運ぶ車に邪魔が入らずに飛ばせるように、先導のバイクが交差する道路の真ん中で止まって車の通行を一時的に遮断し、後ろから来る輸送車が止まらずにそのまま交差点を走り抜けられるようにする。その辺の、オレは任務に徹しているという感じのバイクがとてもかっこいい。白バイ警官って、だいたいいつも必ずヘルメットをしている上にレイバンみたいなサングラスをかけているから顔が見えず、匿名になる。そのこともなんか、職務に忠実な公僕、みたいな印象を強調して、いかにもプロフェッショナルみたいな感じになる。


因みに今回の予告編でもキモになっていたパトカーの横転シーンは、オリジナルにもあった。そちらでは単純に横転するだけだが、今回はわざわざ国連前の高架になっているところを車を走らせ、派手に下に落としていた。とにかくすべてにおいて派手になっているというか、ヴァージョン・アップを図っている。


ただし今回同じ日にオリジナルとリメイクを見較べた感想を言うと、私はとぼけた味を醸しながらなおかつスリルとサスペンスを醸成したオリジナルの方が好みだ。ロバート・ショウの意外な死に方も味があってよかったが、やはりウォルター・マッソーをディスパッチャーに持ってきたことによる全体の印象というものは唯一無二という感じがする。たぶん同年代で似たような味が出せたと思えるのは、ジャック・レモン以外考えつかない。


オリジナルと今回でストーリー展開で最も異なるのはエンディングだが、これはトラヴォルタとワシントンという2大スターをどうしても最後に対決させたかったことから来る要請だろう。トラヴォルタは悪役でありながら、完全に嫌われ役ではなく、筋を通す潔さみたいなものを持たせる配慮がされている。私が思い出したのは「3時10分、決断のとき」で、悪役でありながら見る者に爽快感を与えたラッセル・クロウだ。今回もそれに近いものを狙っていると言える。あるいは先頃のトラヴォルタの息子の死亡事件が、トラヴォルタを完全に悪役視することを無意識に避けさせているのかもしれない。


ところで元々の英語タイトルだが、私は最初このタイトルが意味することが何のことやらさっぱりわからなかった。日本にいた時は「サブウェイ・パニック」という邦題しか知らなかったし、「ザ・テイキング・オブ・ペルハム・ワン・トゥ・スリー」なんて聞いても、原作を知らない限りまずわかる者の方が少ないだろう。「ワン・トゥ・スリー」なんて、単に調子をとるためのかけ声のようなものかくらいにしか思っていなかった。「テイキング・オブ・ペルハム」なんて、ペルハムって人間が人質の中にいたのかくらいしか想像できなかった。


実はニューヨークのサブウェイでマンハッタンの東側を走ってブロンクスの方に上っていくラインは、ペルハムあたりが終点で、俗にペルハム・ラインと呼ばれることもあるということを知っているには、原作を呼んでいるか、ローカルの知識が必要だ。つまり、「テイキング・オブ・ペルハム」とは、ペルハム・ラインを走るサブウェイをのっとることだ。それでも、私はさらに1, 2. 3というのは、数字とアルファベットがライン名のニューヨークのサブウェイ・ラインを意味しているものだとばかり思っていた。しかしそうすると、そのラインはマンハッタンの西側を走り、ペルハム・ラインではないことに、映画を見ている途中で気がついた。結局やはりアメリカに来てからもずっとカン違いしたままだった。1, 2, 3というのは、単に車両番号のことだったのだ。でもそれって、あまりにも安易なネイミングじゃないかあ。


また、クエンティン・タランティーノが「レザボア・ドッグス」で、仲間内でお互いを色で呼び合うアイディアを「サブウェイ・パニック」から借用していたのだということも初めて知った。「サブウェイ・パニック」はかなり後世に影響を与えたこの手の話のクラシックのようだ。実際、あの洒落っ気のある終わり方は印象に残った。実はああいう終わり方、同時代の「刑事コロンボ」の、ああいう感じで真犯人がわかってその瞬間に幕、みたいな終わり方に共通するものがある。洒落っ気がある時代だったのだな。








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