The Social Network


ザ・ソーシャル・ネットワーク  (2010年10月)

2003年秋、ハーヴァードの学生だったマーク・ズッカーバーグ (ジェシ・アイゼンバーグ) はガール・フレンドのエリカから手ひどく振られる。腹に据えかねたマークは、学内のインターネット網を使ってあることないこと彼女の悪口を言いふらすと共に、学内の女の子をランキング付けして順位を決めるという傍若無人の企画を実施する。このいたずらは当たり、短時間で圧倒的な数のアクセスが殺到する。マークはこのアイディアを敷衍して、さらに大きなネットワーク網を構築できると考える。同様のアイディアを持っている者に、学内屈指の有力者である双子のウィンクルヴォス兄弟 (アーミー・ハマー) がいた。ウィンクルヴォスはマークと会い、彼らはこの企画を実行に移す‥‥


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あんまり大声で言えることではないが、私は特にテクノロジー・サヴィの人間ではない。そのテクノロジーが必要だと思えば勉強もするし製品化されたものを購入したりもするが、必要ないと思うと時間のムダとしか感じないので、ほとんど手を出さない。


特にこちらの都合に関係なくかかってくる電話という媒体は、暴力だと思っているので、携帯やスマートフォン、iPhoneとも無縁の生活を送っている。外回りの仕事をしているわけでもなく、平時は家かオフィスでe-メイル主体でそこに固定電話があり、女房だけ携帯を持っていれば、それで普段の生活に支障がないからだ。近年人々がテキスト主体になっているのは、ところ構わず電話をかけられることが迷惑という意志の現れだろう。が、さすが最近ではそうも言ってられなくなってきたので、いよいよiPhoneかと思案中だ。


いずれにしてもそのため、SNS、いわゆるフェイスブックやツイッターをほとんど利用したことがない。マイスペースなんて一度も利用しないうちに今ではほとんど名前すら聞かなくなってしまった。マイスペースに費やした時間はほとんどの者にとって単なる時間のムダに終わってしまったわけで、それはそれで私は時間を浪費せずに済んだわけだからよかったとも言える。


フェイスブックだけはiTunesでフリー・ダウンロードを利用する時にどうしても必要なので登録だけはしているが、だからといってiTunes利用時以外にどうやって使うのかは今もってわからない。人々はどうやって友達を増やしているのだろう。ツイッターも然りだ。だいたい、人がぶつぶつつぶやくのを聞きたいなんて趣味は私にはない。うざいから向こうで一人でつぶやいといてくれと思うだけだ。世の中にはこんなに暇人が多かったのかとしか思えない。


というわけで、春頃から頻繁に目をしていた「ザ・ソーシャル・ネットワーク」のポスターについても、Facebookの文字を見た瞬間から、これは私に関係のない話と、ほとんど記憶の片隅に追いやられた。見る可能性はないと思っていた。むろんそれは演出がデイヴィッド・フィンチャーと知る前の話だ。その上、脚本が短命に終わったNBCの「ステュディオ60・オン・ザ・サンセット・ストリップ (Studio 60 on the Sunset Strip)」以来、久しぶりに名を聞くアーロン・ソーキンとなれば、話はまったく違ってくる。


さらに公開直前になると、作品を誉める評が巷に溢れかえった。今年誉められている作品としては、「ザ・キッズ・アー・オール・ライト (The Kids Are All Right)」が真っ先に挙げられるが、それに勝るとも劣らないくらい誉められている。それでも本当にフェイスブック縁起に興味があるかというと実はそれほどでもないが、その映像化は本気で気になるという、事実より脚色の方が気になるのだった。


映画と公開を前後して、主人公である現実のマーク・ズッカーバーグが、ニュージャージー州ニューワークの学校システムに1億ドルを寄付するという発表があった。さすが史上最年少で億万長者となった人物のやることは規模が違う。一方でこれは映画に描かれていることが自分にとってネガティヴであることを確信しているズッカーバーグによるスタントという見方が強く、実際ズッカーバーグ自身は映画を見てないし見るつもりもないという。彼以外の他の現実の登場人物の話によると、映画はところどころに取捨選択や強調はあるが、基本的に事実だという。そういうことを言われると、ほとんど悪人として描かれているズッカーバーグは、なおさら見れないだろう。


実際ズッカーバーグは、作品の冒頭からまったくいけ好かないやろうとして描かれている。いきなりガール・フレンドに振られるのだが、それに頭に来たズッカーバーグは、自分を振った彼女を悪意に満ちた目で採点するサイトを立ち上げる。さらに悪のりして学校中の女生徒の容姿を勝ち抜きで優劣を決めるようにすると、そのサイトに人々のアクセスが殺到する。フェイスブックの大元のアイディアは、人権無視の自己満足企画だった。


とはいっても、正直言って学内の女の子で誰が一番可愛いかナンバー・ワンを決めるという遊びは、男の子なら誰でも一度はやってみたことがあるのではないか。かくいう私も中学の頃、友人と一緒に学校の可愛い女の子を手当たり次第リストアップし、勝ち抜きのトーナメント形式にして一番可愛い子を決めるという、人権無視言語道断の遊びをしたことがある。


自分のことを棚に上げて、まったく鼻持ちならないやつだったのだが、いずれにしても途中で飽きた。というか、そうやって段々勝ち抜きで上位に上がってくる女の子が、どうしても納得行かない。他の友人も多かれ少なかれなんでこういう結果になるのかわからないという感じで、結局この手の試みに意味はないということに途中でほとんどの者が気づく。美的感覚は人それぞれなのだ。勝手に可愛い子ナンバー・ワンを決めようなんて考えちゃいかんなと反省したりする。


しかしそこで反省したりせずに、その道を突き進んで嫌な人間を極めたやつが、史上最年少の億万長者として成功する。要するに、反省なぞするやつは小物なのだ。嫌われるなら徹底的に嫌われるくらいじゃないと成功しない。やっぱり私は金持ちには到底成れる器ではないんだなと思い知った。人に嫌われるくらいなら先に自分の方から嫌ったんだと態度に示して、感情に勝ち負けを持ち込んで、誰も聞いてないのに自分が勝ったと宣言できるくらいじゃないと金は手に入らない。


ズッカーバーグに扮するのが「ゾンビランド (Zombieland)」のジェシ・アイゼンバーグ。こないだNBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ (Saturday Night Live)」を見ていたら、レギュラーのアンディ・サンバーグがズッカーバーグの役をやって、友達がいないというギャグを飛ばしていた。「ゾンビランド」を見た時に、アイゼンバーグを見てサンバーグそっくりと思っていたので、アイゼンバーグがズッカーバーグを演じれるなら、サンバーグがズッカーバーグを演じてもなんの不思議もない。xxxバーグという名を見てもわかる通り、実際に彼らは3人ともユダヤ系だ。天パーやその他の印象等、確かに共通するものはある。


ズッカーバーグと一緒にフェイスブックを立ち上げた発足人の一人であるエドゥアルド・サヴェリンに扮するのはアンドリュウ・ガーフィールドで、「大いなる陰謀 (Lions for Lambs)」でも頭のいい多感な青年を演じていた。彼がアカデミー賞で助演男優賞をとる確率は、アイゼンバーグが主演男優賞をとる確率よりも高いと思う。


ズッカーバーグ同様の立志伝中の人物で、音楽業界のあり方を変えたナップスター創立者のショーン・パーカーに、ポップ界のスーパースター、ジャスティン・ティンバーレイクが扮している。また、同じくハーヴァードのエリート、ウィンクルヴォス兄弟の二役を、CWの「ゴシップ・ガール (Gossip Girl)」出身のアーミー・ハマーが演じている。出演シーンのほとんどで同じ画面上に二役で出てくるため、交互にそれぞれを演じ、後で顔だけCGですげ替えたそうだ。いかにも「ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (The Curious Case of Benjamin Button)」を撮ったフィンチャーらしい発想だ。


今、マイクロソフトが売り出しているスマートフォンのコマーシャルは「ペールギュント」をBGMに使っているが、そのさわりの音楽が鳴り出した瞬間、やはり「ソーシャル・ネットワーク」のボート・レースのシーンで使われている「ペール・ギュント」が瞬時に頭の中で甦った。実はこのシーンは特に話に貢献するというのではなく、はっきり言って唐突に近い感じで使われる。だからこそよけい印象に残るというのもあるが、それでもフィンチャーの音楽の使い方のセンスというのがよく出ている。「ゾディアック (Zodiac)」の冒頭のサンタナと一緒で、頭に残るのだ。


フィンチャーは最近、「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女 (The Girl with the Dragon Tattoo)」のハリウッド版リメイクの監督としても発表があった。フィンチャーが「ゾディアック」も撮っていることを考えれば、その発表も頷ける。そのリメイクで主演のリスベットを演じるのは、「ソーシャル・ネットワーク」でズッカーバーグが惚れて、そして振られる女性エリカを演じたルーニー・マラだ。


私はいまだにフェイスブックの使い方すら知らないわけだが、おかげでその弊害もある。その最たるものが、SNSサイトを真似た詐欺やウィルスにひっかかりやすいということだ。どれが純正のフェイスブックかも知らないから無理もないが、その手のSNSサイトの振りして送られてきたメイルに引っかかった。ちゃんと知り合いの名を用いて私の名前当てにメイルが来ていたので、ほとんどなにも気にすることなくメイルを開けただけでなく、リンクまでクリックしてしまった。


これは違う、なんかヤバいと気づいたのは、それからしばらくしてからだ。とんだ間抜けだ。その日のうちにメイル・アドレスを登録してある何人もの知人から、あんたから来た招待メイル、これ、何? というメイルをもらった。むろん私の知らないところで勝手に送られたメイルだ。その後処理に時間をとられ、非常に苛立たしい思いをした。これもそれもフェイスブックみたいなSNSサイトがあるから、と八つ当たりしたのは言うまでもない。たとえ時代遅れとかマンモスとか絶滅種とか言われようとも、金輪際フェイスブックなんかで友達を増やしたりしないぞと心に誓った。と言いつつ、フェイスブックを使ってiTunesでフリーの曲をダウンロードしてたりもする。時々拾い物の曲があったりするのだ。








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