放送局: サンダンス
プレミア放送日: 3/29/2002 (Fri) 20:00-22:00
製作: C-ハンドレッド・フィルム・コーポレイション
製作: ラス・チャーニー、クリストファー・マンチ
共同製作: ジム・マッケイ、マイケル・スタイプ
監督/脚本: クリストファー・マンチ
原作: アリス・エリオット・ダーク
撮影: ロブ・スウィーニー
編集: アネット・デイヴィ、ドディ・ドーン
出演: ジャクリーン・ビセット (フランシス)、マーサ・プリンプトン (レベッカ)、ニック・ストール (モーガン)、エイミー・マディガン (マギー)、シーモア・カッセル (ボブ)、フランキー・ファソン (ジミー)、カーメン・ザパタ (アナ)、ペギー・ゴームリー (ベティ)
物語: 中年女性のフランシスはガンに冒され、余命幾ばくもなかった。若い頃は「スリーピー・タイム・ギャル」というニックネームで呼ばれた売れっ子のラジオのDJであり、多くの男性と浮き名を流したこともあった。今、人生の最期の時を迎えるに当たり、フランシスは過去につきあっていたボブのところや、思い出の地を、一人で、あるいは息子のモーガンと共に訪れる。そんな彼女の心残りは、かつて養子に出したまだ幼い娘のことだった。そしてフランシスの知らないところで、やり手のキャリア・ウーマンとして成長したその娘、レベッカも、自分の本当の生みの親を探そうと試みていた‥‥長したその娘、レベッカも、自分の本当の生みの親を探そうと試みていた‥‥
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こないだショウタイムで「ザ・ビリーヴァー」を見たと思ったら、またまた劇場用映画で配給網に乗れなかったインディ作品が、劇場公開よりも先にTVで放送された。今度はそのショウタイムの姉妹チャンネルであるインディ映画専門のサンダンス・チャンネルでのプレミア放送となった「スリーピー・タイム・ギャル」は、実はこれまた「ビリーヴァー」同様、昨年のサンダンス映画祭の正式コンペティション部門に出品された作品である。
昨年のサンダンスのコンペティション部門は結構レヴェルが高く、ここから配給網に乗って劇場公開された作品には、「メメント」、「イン・ザ・ベッドルーム」、「ディープ・エンド」、「L.I.E.」、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」と、昨年のインディ映画を代表する作品がずらりと並ぶ。「メメント」が昨年上半期の話題をほぼ独占したことは記憶に新しいし、アカデミー賞の作品賞にもノミネートされた「イン・ザ・ベッドルーム」も、充分話題になった。
それらに較べると、審査員賞を受賞しても公開の目途が立たなかった「ビリーヴァー」は、名誉は獲得したけれども実がとれなかった。やっと最近になって公開の見込みとなったが、旬を逸してしまったという感はいかんともし難い。そして、観客や批評家の受けはよかったけれども賞はとれず、さらに公開もされなかったこの「スリーピー・タイム・ギャル」は、最もわりを食った作品のうちの一つである。
「スリーピー・タイム・ギャル」は、ガンに冒されて死期が間近となった中年女性の姿を描く。主演は近年、アメリカのネットワーク製作のミニシリーズの常連となっているジャクリーン・ビセット。99年にCBSが放送した「ヴァージン・ブレイド (Joan of Arc)」ではジャンヌ・ダルクの母イザベルを演じ、一昨年にこれまたCBSが放送した「ジーザス (Jesus)」ではイエス・キリストの母マリアを演じ、さらにNBCの「イン・ザ・ビギニング (In the Beginning)」では、なんと聖書の世界にまで遡ってアブラハムの妻サラを演じるなど、ついに人類の始祖になってしまったという恐ろしいキャリアを築いている。
とまれ、最近のこういうアメリカのミニシリーズに立て続けに出るようになるまでは、ビセットと聞いて人が思い出す作品と言えば、やはり「ディープ」だろう。あれは確かに色気があった。「ブリット」や「おかしなおかしな大冒険」、「火山のもとで」なんて、昔見てそれなりに感激したり楽しんだりした映画にも結構出ている。しかし、私が最も強力にビセットを覚えているのは、トリュフォーの「アメリカの夜」と、キューカーの「ベストフレンズ」である。特に「ベストフレンズ」は隠れた傑作だと思う。綺麗過ぎて人々がその演技力に気づかないため、わりと損しているタイプの女優がビセットだ。
そのため、実際に中年になり (それでも充分美しいが)、死期が迫る女性なんて役を演じるようになって、へえ、ビセットってわりといいじゃないかと改めて思わせてくれる。それでも、ここ数年のミニシリーズはいったいなんだったんだと思わないわけではないが、「スリーピー・タイム・ギャル」で帳消しということにしておこう。また、ビセットのみならず、出演しているすべての俳優が繊細な演技を披露している。いきなり体重が30パウンドくらい増減しているようなのに、さも当然というように画面に映るシーモア・カッセルもいい味出してるし、その妻ベティを演じるペギー・ゴームリーもよい。フランシスの娘レベッカを演じるマーサ・プリンプトンや、腹の出た中年の黒人男でありながら女たらしという役を過不足なく演じることのできるフランキー・ファソンも、無理なく役に溶け込んでいる。
しかし、ビセット以外で最も印象的なのは、やはり息子のモーガンを演じたニック・ストールであろう。モーガンは作品の中ではっきりと言及されているわけではないが、明らかにゲイである。駆け出しのカメラマンであるモーガンは、時に母のお供をして旅行につきあったりしており、母の最期の時を見とることにもなる。母のことを心配してもいるが、母が祖母と言い合いになったりする時は別に口を挟むわけでもなく、状況を見極めるべく口を閉ざしたまま第三者的立場に徹している。実は彼の存在そのものが物語に必須かというと、養子に出してしまった娘ほど物語に絡んできているとは到底思えないが、それでも、そういう、少年から青年への過渡期にいる多感なゲイの男の子という感じが非常によかった。ストールは「イン・ザ・ベッドルーム」にも出ていたが、わりと最初の方で殺されてしまった「ベッドルーム」よりは、出番の多寡という点では大同小異でも、こちらの方が格段に印象に残る。製作の決まった「ターミネーター3」で、成長したジョン・コナーを演じるそうだ。
この作品、見てる時、なんかこの感触、どこかで経験あるなあと思っていたら、原作者のアリス・エリオット・ダークの名前を見て思い出した。彼女が書いた他の短編を元にしたTV映画の「フォーエヴァー・ライフ (In the Gloaming)」にそっくりなのだ。「フォーエヴァー・ライフ」も家族の一員 (この場合は一人息子) が死を間近に迎える様を淡々と描いた佳品だった。今回死ぬのは二人の息子を育て上げたシングル・マザーということになっているのだが、いやあ、印象がすごくよく似ている。エリオット・ダークは実際に家族の死というものを体験して非常に影響を受けたとか、そういう経験があるのだろうか。家族の死という、やりようによってはものすごくドラマティックに描けそうな作品なのに、両作品とも見終わった後に一番しっくりとする形容詞を考えようとすると、どうしても「淡々と」になってしまう。「スリーピー・タイム・ギャル」では死ぬ間際のフランシスが苦しむ様も見せるのだが、それでも大仰になったり過度にお涙頂戴になったりはしない。そういったある種の諦観が実に印象的だ。これはやはり原作もそういう風に書かれているからだろう。
「スリーピー・タイム・ギャル」は作品としてはわりと不親切で、映画も半ばを過ぎないと人物関係がはっきりしない。これは多分、原作をわりと忠実に映像化しているからではないかと思う。登場人物を饒舌にすることなく、文字で提供されている人間関係等を視覚情報だけで間に合わせようとするからわかりにくいのだろう。ただしそれが欠点となっているのかというと、別にそういうこともない。それはそれで別に構わないと思う。ただし、モーガンと電話で話すだけの、フランシスのもう一人の息子ってのは、いったい何の意味があるのかと思ってしまった。あそこで意味があるのは、そのもう一人の息子ではなく、そこで繊細な表情を見せるモーガンのアップにある。つまりはそれを見せたかったということか。
作品の内容という点から見れば、「スリーピー・タイム・ギャル」は「ビリーヴァー」に輪をかけて大衆受けしそうもない映画なのだが、実は「スリーピー・タイム・ギャル」もサンダンス・チャンネルでTVプレミアを終えた現在になって、劇場公開の道が開けそうになっている。綺麗な映像だったから (撮影監督のロブ・スウィーニーの名は覚えていて損なし) スクリーンで見た方がもっとよかったのは間違いないが、しかし、最近TV放送の方が先に来て、その後劇場公開という作品が立て続けにある。様々なメディアの登場で映画作品のライフ・サイクルが変わってきたからというよりも、単純に、いい作品ならTVで放送された後でも大きなスクリーンで見たいと思う一般観客が多いからじゃないかという気がする。いずれにしても、作り手のためには喜ばしいことだ。監督のクリストファー・マンチの作品を見るのは初めてで、聞いたこともないからまた初監督作でヴェテランみたいな演出力を見せるやつかと思っていたが、以前に2作ほど撮っている。よくアメリカの俳優の層は厚いと感じる時があるが、作り手の側も層は厚いようだ。
