The Secret in Their Eyes (El Secreto de Sus Ojos)


瞳の奥の秘密  (2010年5月)

1999年。アルゼンチンで定年退職した元法廷官吏のベンヤミン (リカルド・ダリン) は,自分の経験を小説にしようと思い立ってペンをとるが、どうしても行き詰まる。長い間彼の心を占めてきたのは、25年前に妻リリアナを惨殺された一人の男モラレス (パブロ・ラゴ) のことだった。ベンヤミンは過去の職場と女性上司アイリーン (ソレダー・ビヤミル) の元を訪れ,記憶を追認する。ベンヤミンとアイリーンは、モラレスの妻を殺した真犯人ゴメス (ハビエル・ゴンディーノ) を追いつめて逮捕するが、しかし政治的な駆け引きでゴメスは釈放される。今度は彼らがゴメスの標的になる番だった‥‥


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やっと「瞳の奥の秘密」を見てきた。この映画、今年のアカデミー賞の外国語映画賞を受賞したアルゼンチン映画で、ドイツのミハエル・ハネケの「白いリボン (The White Ribbon)」を見た後で、この作品を抑えて受賞した「瞳‥‥」が気になり、その後フランス映画のジャック・オーディアールの「アン・プロフェット (A Prophet)」を見て、圧倒的な迫力を持つこの作品も凌いで受賞した「瞳」に、さらに興味が沸いてきた。それ以外のノミネート作品でも、イスラエルの「アジャミ (Ajami)」の評価も高く、今年はかなり激戦だった外国語映画賞の栄冠を勝ち得た「瞳」は、絶対に面白いに違いないと期待が膨らんだ。


とはいえ、それでも部門としてはマイナーな外国語映画賞である。見たいとは思ってもうちの近くに来ない。字幕映画が冷遇されるアメリカだからそれも仕方ないとはいえ、マンハッタンだけではなくニュージャージーにも来てくれないものか。「白いリボン」も「プロフェット」もやったんだ、と待った甲斐あり、ようやっと機会が巡ってきた。これ以上待ったらニュージャージーどころか、マンハッタンでの上映もそろそろ終わるんじゃないか、待つべきか休みにでもマンハッタンまで行ってでも見るべきかと、はらはらしながら待っていたのだ。近場の劇場で見れることを確認した時は、ほとんどギャンブルに勝ったような心境だった。


映画は、引退した法廷官吏のベンヤミンが、過去を回想して、彼が担当した印象的な事件を題材に小説を書こうと四苦八苦するところから始まる。長い官吏生活を通して、25年前に起こったその事件は、いまだに折りにふれベンヤミンの心に甦り、悩ませるのだった。


その事件とは、新婚の夫婦のアパートに賊が押し入り、妻を惨殺したというもので、深く妻を愛していた夫モラレスは、犯人を捕まえようと、微力を知りながら一人で駅で張り込むのを自分でも止められない。彼の姿に心を動かされたベンヤミンは、上司のアイリーンも巻き込んで、ついに真犯人を捕らえる。しかし政治的な駆け引きのために犯人ゴメスは釈放される。ベンヤミンは激怒し、そして失望する。そしてゴメスの報復の手がベンヤミンたちにも迫っていた‥‥


話は引退した現在のベンヤミンが過去を回想するという出だしから始まる。そのため、当然だが最初に登場するベンヤミンは中年から初老といった感じだ。しかし話が展開して25年前当時に遡ると、その時既にくたびれかけているのだが、それでも当然ベンヤミンは若い。ここでは結構歳のいった役者が若作りをしているのではなく、まだ若い役者が老け役もしている。


そして老け役のメイキャップをしたベンヤミンを見ている時にはまったく気がつかなかったのだが、それこそ現実には今の役者の歳のベンヤミンが出てくると、あれ、こいつ、どこかで見たことがあるという気がしてきた。しかし、アルゼンチン映画なんてほとんど見たことがないし、いったいどこで? ペイTVのHBOラテンではアルゼンチン産のTVシリーズ「エピタフィオス (Epitafios)」を放送しているが、アルゼンチン産のTVで思い出すのはこれくらいだな、これに出ていたんだろうか。


あるいは映画というと何かあったっけ? と思って、はて、アルゼンチン映画、と考えたとたん、こいつ、「ナイン・クイーンズ (Nine Queens)」の主人公を演じていた彼だ、とびびんと来た。名前なんてまったく覚えていないが、間違いない、彼だ。少なくともここ10年で私が見たアルゼンチン映画は「ナイン・クイーンズ」とこの「瞳」の2本だけしかないが、その両方で主演しているとは。お前、あんな冴えない顔してアルゼンチン映画界のエースか。


むろんそれは「クイーンズ」でも「瞳」でも、主人公が冴えない中年男という役柄から来る要請のためでもあるだろうが、しかしアメリカで話題になった別監督の手による2本のアルゼンチン映画の両方に主演しているというのは、かなりのものではないだろうか。実はその「クイーンズ」を監督したファビアン・ビエリンスキーは、既に死去しているという話を何年か前に聞いた。そうか、その「クイーンズ」に出ていたあんたは、ちゃんとずっと仕事をしていたんだな、としばし感興に耽る。


とまあ個人的な感興はこれくらいにして作品の話だが、さて、まず何を書こうかと思って、とにかく中盤のクライマックス、真犯人を追うベンヤミンたちが、ほとんど運頼みでサッカー・ファンの犯人を見つけるために、試合のある日にスタジアムに張り込み、そして発見、追跡、逮捕する件りのスーパーロングの1シーン1ショットについて触れないわけには行かない。


スタジアムを見下ろす空撮から始まるこのショット、そのままカメラが観客席に寄っていく。例えば近年では「臨死 (The Invisible)」の冒頭で似たようなことをやっていたし、1シーン1ショットといえばブライアン・デ・パルマの「ブラック・ダリア (The Black Dahlia)」を思い出す。しかし「瞳」はさらにこれを強力に推し進めるのだ。


厳密に言うと、実はスタジアム内にカメラが下りていく時、一瞬カメラが切り換わったような気もしないではなく、さらにあまりに物理的に不可能としか思えないことをやっているため、まずどこかでCGの手を借りているのは間違いなかろうと思う。あまりにスムース過ぎるのだ。そのため、逆に1シーン1ショットの緊張感がいささか減殺されている嫌いがあるのは否めない。


それに、この観客も本当に全員スタジアムにいるのか。カメラがスタジアム上空をなぞる時に、選手がシュートを放ってゴール・ポストに跳ね返されるといういかにもというシーンが撮れるのはなぜだ。あまりにもできすぎの展開は、話に貢献するというより、むしろ興を削ぐような気がする。


それでも、このシーンが興奮ものなのは否定しようがない。いったいどういう奇跡的な確率だから犯人に遭遇することができたのか、しかし犯人を見つけたベンヤミンたちがスタジアムの中で犯人を追跡し、捕らえるまでの1シーン1ショットは、やはり一見の価値があると断言してしまっていいだろう。


というエキサイティングなクライム・ミステリーなのだが、実は「瞳」は、クライム・ミステリーの体裁を借りた愛の映画でもある。その理由は映画を最後まで見れば誰の目にも明らかだろう。思わずこういう展開だったのかと唖然とし、そして人が人を愛するということがどういうことかを,誰もが考えずにいられない。愛のためなら今つき合っている人とか、妻や夫、子供たちを捨てても、なんて考え方には私は実はまったく賛同できないのだが、それでも誰もが心揺さぶられるに違いない。


ハネケの「白いリボン」にヴェテランの円熟の境地を見、オーディアールの「プロフェット」に意志と運命の相克を感じ、そして「瞳」が見せたのは、愛とその余韻だった。昨年の日本の「おくりびと (Departures)」の受賞を見てもわかるように、外国語映画賞はちょっとセンチメンタリズムに弱い。それを考えると、余韻を残す「瞳」が、「リボン」と「プロフェット」を抑えて受賞したのもわかる。とはいえ、むろんこの3作品の質の順位を決めることに意味はないし、決められるものでもない。見る者のテイスト次第だろう。それでも期待通り,いやそれ以上の作品を見れて、私は満足だ。








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