ティーンエイジャーの時、浅瀬に飛び込んだせいで頭を強打し、以来首から下が麻痺したまま30年間も寝たきりの生活を送ってきたラモーン (ハビエル・バルデム) は、法廷に尊厳死を求めるが拒否され続けてきた。そういう彼の元に弁護士のフリア (ベレン・ルエダ) が力になれるかもしれないと訪れる。実はフリアも徐々に身体が動かなくなる原因不明の難病に冒されていた。一方、ラモーンの話を聞いた近くに住むラジオDJのローザ (ローラ・デュエニャス) も頻繁にラモーンの元を訪れるようになるが、しかし彼女は死を求めるのはよくないと考えていた‥‥


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最近、重い、というか、見応えのある作品が続くが、この時期は実力派によるアカデミー賞狙いの作品が続くため、これはいかんともしがたい。「海を飛ぶ夢」は、また、ここんとこちょっと続いていた事実を基にしたドキュドラマの掉尾を飾る作品でもある。いずれにしても笑えないコメディや中途半端なラヴコメが続くよりは、少なくとも訴えかけてくるものがあるこの手の作品の方が見る方にも力が入る。


「海を飛ぶ夢」は、尊厳死、安楽死をテーマにした映画である。青春の真っ只中にいる男性が、ある日、ちょっとした判断ミスにより浅瀬に飛び込んで頭を強打してしまう。ほっとけばそのまま死亡するはずだったろうが、その寸前で助け出された男ラモーンは、しかし、結果として四肢が麻痺してしまい、一生状態が改善する見込みはなかった。人生に絶望したラモーンは、しかし、四肢が動かないため、自殺することすらかなわない。そのため、法廷に尊厳死を求める訴えを起こすが、カソリック国のスペインでは、その訴えは到底認められるものではなかった。


監督は「アザーズ」、「オープン・ユア・アイズ」のアレハンドロ・アメナーバルで、確かに同様に「海を飛ぶ夢」も怖い映画だ。一方、「アザーズ」はホラーの衣装をまとった家族愛を描く映画であったわけで、まさしく「海を飛ぶ夢」もそうだ。アメナーバルにとっては恐怖と愛情は紙一重の感情というか、裏表の感情であるらしい。私の考えとしては、恐怖はヒッチコックが示したように笑いとの方がより近しい関係を持っていると思うが、アメナーバルが言わんとしていることもわかるような気がする。


主人公のラモーンを演じるのはハビエル・バルデムで、前作の「ダンス・オブ・テロリスト (The Dancer Upstairs)」(「コラテラル」は一応置いといて) では、慣れない英語を使わざるを得なかったせいで演技自体がぼやけてしまったのに較べ、今回は四肢が動かず、最初から最後まで微妙な顔の表情とセリフ回しのみで勝負しないといけないという設定が、逆に俳優としてのうまさを強調している。ラモーンにはややブラックな味わいのユーモアがそこはかとなく漂っているが、四肢が麻痺するという状況に陥った人間だからこそ、そういう半分逃避、半分攻めの姿勢が必要になるんだろう。そういう気持ちがちゃんと伝わってくる。


また、ラモーンは想像の中では立ち上がり、空を飛ぶことだってできる。そういう時のラモーンの表情は幼いいたずらっ子のそれであって、それまで四六時中ベッドに縛りつけられているのを目にしているだけに、これからちょっと内緒であんまり誉められないことをやるんだ、というような、ちょっとはにかんだ、それでいてわくわくする気持ちを抑えきれないという表情が実に魅力的である。


ラモーンが主人公ではあるのだが、映画の中ではもう一人、こちらは事故で手足が麻痺したわけではないが、原因不明の病気により時折発作が起き、徐々に手足が動かなくなるというこちらも恐ろしい運命にもてあそばれる女性フリアもいる。結局彼女は手足が動かなくなるだけでなく、頭の方まで冒され、最後には痴呆のような状態になってしまう。そうなって日々の恐怖からたぶん解放されるのは逆に恩寵かとも思うが、しかし、ラモーンのように手足が麻痺したまま30年間ベッドに縛りつけられるのと、今のところ片足の故障だけで済んでいるが、明日にも発作が起こって両足が動かなくなり、そしていつか全身が麻痺するのではと毎日恐怖に怯えながら暮らすのとではどちらがまだましなんだろうと考えるのは、はっきり言ってとても怖い。こんな究極の選択を考えさせないでくれと思ってしまう。


一方、フリオと対極でラモーンと近しくなるもう一人の女性ローザの場合、ちょっと押しつけがましく、一人よがりの性格で、当然男運も悪い。自分は幸せだと断言すればするほど実は不幸であることを露呈してしまうこういう女性って、確かにいると思わせる。一応この映画に出てくる主要な女性はこの二人であり、フリオに対してはラモーンは淡い恋心を抱き、ラモーンの世話をしに来ているように見えて実はラモーンに頼っているローザに対しては、たぶんラモーンは兄のような感情を持っているように見える。さらにいつも忙しくラモーンの世話をすることに追われ、最も貧乏くじを引いているように見える義姉マニュエラと、尊厳死協会のようなところから来ているジーンまで含めると4人の女性がおり、それぞれラモーンにとって重要な位置を占めている。


一方でこの作品に登場する男性は皆、行動力が伴わなかったり、ラモーンの苦悩がわかっていなかったりする。それはたとえ家族といえども例外ではなく、ラモーンの兄のホゼはオレの家に住む者に自殺することなど認めないと宣言し、まあ、確かにラモーンの世話のために始終家にいる職に変わらざるを得なかったというのはあるだろうが、しかし実際のラモーンの世話はほとんどマニュエラがしているのだ。ホゼとマニュエラの息子ハビは単純にラモーンの気持ちがわかっていないし、ラモーンの父ホアキンは既に家庭内での発言権がほとんどない。TVでラモーンとその家族を批判する著名な神父も、結局はマニュエラにきついことを言われて引き下がるしかない。結局、最期の日にラモーンが電話をかける相手はジーンであり、ラモーンの死を見とる相手はローザなのだ。こういう時って、なんで男は不甲斐ないのかと嘆息してしまうのだった。






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The Sea Inside (Mar adentro)   海を飛ぶ夢  (2005年2月)

 
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