The Salesman


セールスマン  (2017年2月)

イランのアスガー・ファルハディの新作は「別離 (A Separation)」に引き続いてアカデミー賞外国語映画賞を受賞したが、イスラム圏の幾つかの国々の入国を禁止しようとするドナルド・トランプに振り回されることを毛嫌いしたファルハディは、セレモニー出席を辞退、代理の者が賞を受けとった。確かにハレの場であるはずのオスカーに呼ばれても入国できるかどうかわからないとしたら、出席する気もなくなるだろう。 

 

一方イランというと、アッバス・キアロスタミとその弟子のジャファル・パナヒが思い浮かぶが、確かパナヒは危険思想家みたいな理由で、こっちはこっちでイラン国内で映画撮影を禁止されている。イランだってあまり寛容な国とは言いかねる。 

 

さて、映画の主人公エマドはセールスマンではなく学校の教師だが、タイトルが「セールスマン」となっているのは、エマドは俳優でもあり、次の公演の演目がアーサー・ミラーの「あるセールスマンの死」だからだ。妻でやはり俳優のラナと共に舞台に立っており、舞台の初日を目前に控えていた。 

 

ある日彼らのアパートが揺れて傾き出し、住人は全員避難を強制させられる。窓の外では隣りで新しいビルを建築中でショベル・カーが土を掘り返しており、そのせいでこちらのビルの基礎が揺らいでしまったらしい。 

 

この話の発端の設定からしてもう、アメリカとも日本とも違う。隣りが工事中のアパート・ビルなんてこの世に腐るほどあるだろうに、それくらいでこちらの土台まで 揺らいでしまうなんて、そこまで欠陥住宅なんて‥‥聞いたことがないと書こうとして、いや、そんなことはないな、日本でも近年、土台の揺らぐ欠陥マンションの話がざらにあったと思い出した。逆に、意外にわりと説得力があるとすら言える。 

 

とはいえ、だからといってビルの住人が右往左往しながらもわりと素直に退去指示に従っているのも、なんかおかしい。さすがにこれがアメリカや日本だったら、ビルの管理会社や施工会社を住民が訴えるの訴えないのという会話をせずに黙って避難するとは思えないし、管理会社が事態を手をこまねいて見ているだけというのも信じ難い。ほとんどの住人は今晩どこで寝るかもわかっちゃいないのだ。少なくとも先進国だったら、赤十字かなんかが助けの手を差し伸べると思う。それなのにお隣りは工事を続けているのだ。なんでこういう行為がまかり通っているのか、わけがわからない。 

 

とまれねぐらのなくなったエマドとラナは、劇団仲間のババクの口利きでアパートを借りる。これがまたとんでもない代物で、前の住人の私物がまだほとんどそのまま手付かずで残っている。それをかき分け、空いているところに突っ込み、どうしても片付けられないのは外に出して生活を始めるのだ。かなりアバウトである。 

 

ある夜、帰宅したエマドは、玄関のドアが開きっぱなしでラナがいず、バスルームが血塗れなのを発見する。ラナは、シャワーを浴びようとしてた時にインタフォンが鳴ったので確認せずに解錠してしまい、みすみす自ら暴漢を中に導き入れ、暴行を受ける結果になってしまったのだ。実はこの部屋の前の住人はどうやら商売女のようで、いつも違う男をとっかえひっかえして部屋に引き入れては揉め事を起こしていたらしい。 

 

そういうやばそうな人物の部屋を勝手に人に貸すというのも呆れるが、さらにこれはありかと思ったのが暴行を受けた後のラナを含めた人々の反応で、大怪我してんのだ。頭を何針も縫っている。それなのに誰も警察に連絡しようとしない。救急車で病院に運ばれているのに、警察には連絡が入っておらず、警官が事情聴取に来るわけでもない。ラナが病院に運ばれたのは悲鳴と物音を聞いた隣人が救急車を呼んだからであって、それはどうやら警察とセットになっているわけではないらしい。そしてラナもエマドも隣人も、警察沙汰にはしたくないようなのだ。あんなに大怪我してんのに。 

 

これは要するに体裁や面目と関係があるようで、警察沙汰になるのは恥というものの考え方が定着しているように見受けられる。だから誰も警察に連絡しない。隣人も警察には知らさないでいいんじゃないかとアドヴァイスする。しかしエマドは、泣き寝入りは嫌だ。それでどうするかというと、自分で犯人探しを始めるのだ。 

 

ここでなんで警察を呼ばないんだと頑強に主張してしまうとそもそもの話が始まらないのだが、しかし、命に関わる大事でも警察を呼ばないかと思ってしまう。それほど恥の概念が強いのかそれほど警察が信用されてないのか、たぶん両方なのだと思うが、そういうところではなんらかの被害者になると、かなり立場が弱そうだ。しかし真面目に生活していても犯罪の被害者になる可能性はあり、その上さらにどこかの国の大統領から国民全員テロリスト扱いされて入国拒否されたりしたら、それこそ誰がお前の国なんかに行くかと言いたくもなるだろう。 

 

そういう、その土地に固有のものの考え方、常識が、話を意外にし、面白くもしている。「別離」でもイスラム教の教えに忠実な登場人物が、何をするにもコーランの教えに則ってなくてはならず、おかげでバカミス的展開を見せていた。「セールスマン」も、ラナを襲った犯人が誰かを突き止めようとするミステリ仕立てであり、エマドが真犯人を確信する際のセリフのやり取り、質問の応酬、推理と機転は、よくできた推理劇を見ているかのようだ。ファルハディの作品は、癖になる。 

 










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テヘランで夫婦で小劇団で俳優業をしているエマド (シャハブ・ホセイニ) とラナ (タラネ・アリシュスティ) は、新しい演し物のアーサー・ミラーの「あるセールスマンの死」の練習に余念がなかった。自宅の隣りでは新しいビルを建設中で、その振動で自宅ビルが傾き、一時避難を余儀なくされてしまう。助け船を出したのが劇団仲間のババク (ババク・カリミ) で、今、貸しているアパートの住人が引っ越す予定だから、そこを貸してもいいという。エマドとラナは渡りに船とその申し出を受ける。ある夜、ラナがアパートに一人でいる時にインタコムが鳴り、エマドの帰りを待っていたラナは誰何せずにドアの鍵を外す。暫くして帰ってきたエマドは、ラナが暴漢に襲われ、大怪我をして病院に運ばれたことを知らされる‥‥


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