The Raven


推理作家ポー 最期の5日間 (ザ・レイヴン)  (2012年5月)

19世紀ボルティモア。母娘が残虐に殺されるという事件が起きる。窓に鍵の掛かった密室の中で、目撃者がないというこの事件は、当時エドガー・アラン・ポー (ジョン・キューザック) が書いて評判になった「モルグ街の殺人」と酷似していた。フィールズ警部 (ルーク・エヴァンス) はポーを召喚するが、その間にも次の殺人が起きる。フィールズ警部は犯人がポーに心酔する人物として、ポーに協力を求める。しかし彼らの努力もむなしく、さらに新たな殺人が起きる。一方、ポーは町の実力者ハミルトン (ブレンダン・グリーソン) の娘エミリー (アリス・イヴ) と恋仲で求婚していたが、ハミルトンは頑として承諾しなかった。そのエミリーに、犯人の魔の手が伸びようとしていた‥‥


___________________________________________________________

私がミステリ好きになったのは、最大の理由は子供の時に読んだコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」にあるが、それからやや長じて読んだエドガー・アラン・ポーの諸作も理由の大きな一つであることは間違いない。「ホームズ」の「銀星号事件」で、夜中に番犬が鳴かなかったため何もおかしなことは起きなかったはずだという人々に対し、それがおかしいのだと指摘して見せたホームズ、そしてポーの「盗まれた手紙」で、目の前に常にさらされていながら誰も気づかなかった手紙を見破ったデュパンは、私にミステリに目覚めさせた。ついでに言うと、これにチェスタトンの「犬のお告げ」を加えた3本が、私の少年時代を決定した短編ミステリ黄金の3本だ。


私はポーの人となりは創元のポーの文庫の全集のあとがきで初めて知ったのだが、かなり驚いたのを覚えている。まず、頭でっかちのヘンにとげとげしい本人の姿がそうだった。なんてったって萩尾望都の「ポーの一族」のエドガーとアランの絵の印象が強かったものだから、勝手にポーの虚像みたいなのを頭の中に作り上げていて、かなりイメージ違った。勝手にイメージ作り上げたこちらの方に非はあるとはいえ、「ポーの一族」とポー本人とはまったく別物だ。萩尾望都にもその責任の一端はあるかと思う。


ポーは、金がなくて常に人に金の無心ばかりし、批評の才能があってもやたらと売名行為に走ったり、13歳の従妹と結婚し、アルコールに溺れ、妻が死去した後は女性関係も問題があったなど、正直言って、実際には知り合いにはなりたくないタイプの人間だった。だいたい誰でも友人知人や親戚関係に一人はこういうタイプがいたりするが、信じられないほど自己中で、必ず振り回される。どうやらポーはその手のタイプだったらしい。偉大な芸術家が偉大な人間であるとは限らないという代表的な例の一つだ。


そしてポーは推理小説の始祖という呼称に相応しく、その死が謎に包まれている。いるはずのないボルティモアのバーで意識が混濁した状態で発見され、そのまま息を引き取った。自分のではない服を着ていてダイイング・メッセージのようなものを残して死んだという、ある意味推理小説家らしい最期だったと言え、その死の真相はいまだに解明されていない。


「ザ・レイヴン」、すなわち「大鴉」は、その晩年のポーの死を脚色した物語だ。むろん事実よりも話の面白さの方を重視しており、まったく事実無根の話ではあるが、そこはそれ、ポーの死にまつわる話となると、特に私のようなミステリ好きにとっては、磁石のような吸引力を発揮する。もう、ほとんど作品の出来不出来や評価とは無関係に、街灯に群れる蛾のようにふらふらと劇場に吸い寄せられてしまうのだった。


「レイヴン」では、ポーはボルティモアに住む独身という設定で、地元の名士ハミルトンの娘エミリーと相思相愛の仲だが、ハミルトンは二人の仲を快く思っていない。そこへポーが書いた小説を真似たコピーキャット殺人が連続して起きるという筋書きだ。


まず、あたかもポーが独身で、過去一度も妻帯したことのないような印象を与えるのは、意図的なものだろう。下手に見る者に反感を与えないようにしていると思われる。それに、ポーが死の間際に若い女性と恋愛関係だったという話はない。とはいえポーは、若い頃の恋人だった女性と晩年にまた再会している。その時点で二人とも配偶者を亡くしていたため、改めて婚約しており、ある意味ポーらしい捻ったロマンティシズムを体現していると言えなくもない。しかしその結婚を前にポーは謎の死を遂げている。これまた事実はポーの書く小説よりも奇なりを体現してしまったポーは、やはり唯一無二の作家なのであった。書いたものも書いた本人もこれだけ謎めいて好奇心をくすぐるという例は、ポーをおいて他にない。


「レイヴン」の最初の事件は、ほとんど当然のように、「モルグ街の殺人」が再現される。とあるアパートで、母娘が何者かによって惨殺される。一人はまったく人間の力とは思えない力によって煙突に突っ込まれて息絶えており、しかも窓には鍵がかかっていた。そしてまたある男は寝台にくくりつけられ、徐々に降りてくる巨大な振り子形の刃によって命を落とす。えーと、これはどの作品だったっけ?


ボルティモア警察のフィールズ警部はポーの作品に通じており、事件がポーの作品を読んでいる何者かによるコピーキャット殺人であることを見抜き、ポーをアドヴァイザとして招き入れ、意見を聞く。ポーは自分の作品を現実に真似して行う者がいることに困惑しながらも、フィールズに協力を約束する‥‥

正直言って、公的な機関の者が、ミステリ作家といえども捜査のド素人をいきなり操作の中枢に置いて便宜を図り、情報をすべて教えてあげるか、しかも19世紀社会で、と思うが、しかし、考えたら今ABCで人気の「キャッスル (Castle)」は、時代こそ違えまったく同じ設定の話であった。要するに、この設定だと、話が早い。さらに、犯人の魔の手はポーの恋人であるエミリーの近くまで伸びてきていた。犯人はエミリーを拉致すると、棺桶の中に閉じ込めて生き埋めにする‥‥


生き埋めというのは、別にポーの時代以前からも怖い話としてあったのだと思うが、しかし、これを活字にして怖い話として定着させたのは、ポーだろう。映画作品で覚えているところでは、「リミット (Buried)」とか、「キル・ビル Vol. 2 (Kill Bill Vol. 2)」でライアン・レイノルズやウマ・サーマンが生き埋めにされている。「キル・ビル」なんて既にもう見たのは8年も前の話なのによく覚えているのは、やはり生き埋めの怖さが強烈に印象に残っているからだろう。


主人公のポーを演じるのがジョン・キューザック、フィールズを演じるのがルーク・エヴァンス、エミリーをアリス・イヴが演じている。演出は前作の「ニンジャ・アサシン (Ninja Assassin)」から雰囲気ががらりと変わったジェイムズ・マクティーグ。雰囲気作りは悪くないが、ストーリーとしては結構苦しい。前述した、フィールズがほとんど役に立ってないポーをいつでも重用する嫌いがあるのはいただけないし、正直言って、たぶん癖があって人好きが激しいと思われるポーを、人好きのする俳優の代表格とも言えるキューザックが演じているのも、狙いはわかっても、では納得できるかというと、これまた話は別だ。


話はクライマックスに向かってどんどん破綻していくという印象の方が強いのだが、しかし、これまたそれはそれ、ミステリ好きは、それがたとえいかなる理由であろうとも、ポーの死が描かれる作品を避けて通るわけにはいかないのだった。でも、しかし、やはり無理があったなあ。あそこで犯人に気づかないほどポーが間抜けというわけはなかろう。その何倍も難しい謎を解いた探偵を創造した作家なのだ。でも、しかし、では、ポーは現実にはいったいどうして死んだのだろうか。


ポーの死は、個人的には英国のジャック・ザ・リッパーと対を成す19世紀を代表する現実に起こった未解決事件だと思うのだが、公けにはポーの死は忘却されているという気がする。一方、少し前に、ケイ・スカーペッタ・シリーズで知られるパトリシア・コーンウェルがジャック・ザ・リッパーの謎にはまり、作家生命をかけて誰が犯人かを確信したというような記事があった。


それで今回、ちょっとふと思い立ってコーンウェルの経歴を調べてみたら、なんとコーンウェルはヴァージニア州リッチモンドの検死局で働いていたという事実があった。リッチモンド、ポーも長らく住んでいたリッチモンドに住んでいながら、ポーを無視してジャック・ザ・リッパーを優先するなんて、ほとんど許せんと思ってしまった。ここで心を入れ替えて、今度はポーの死の真相の究明に尽力するなら許す。









< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system