The Quiet American


愛の落日  (2003年3月)

「愛の落日」は、グレアム・グリーン作品 (邦題「おとなしいアメリカ人/静かなアメリカ人」) の映像化である。50年代に発表され、既にその時に一度映画化もされている。その、ヴェトナム戦争を舞台とする作品をなぜ今頃映像化するのかという疑問もないではないが、こういう政治スリラーは結構好きだ。ジョン・ル・カレとかブライアン・フリーマントルを読んで育った世代なのだ。とはいえグリーンはリアル・タイムで読むには少し若すぎたことと、政治スリラーというよりは文芸ものという度合いが大きいため、あまり読んでいないのだが。


ロンドン・タイムズの特派員トマス・ファウラー (マイケル・ケイン) は、サイゴンでフォン (ド・チ・ハイ・エン) というヴェトナム人女性をかこって暮らしていた。ファウラーはパイル (ブレンダン・フレイザー) という薬剤関係の事業に従事する若いアメリカ人と知り合いになる。老いつつあるファウラーに較べ、パイルは若く行動的で、ファウラーはフォンの気持ちがパイルに傾いていくのに気づきながらも、どうすることもできない。一方でファウラー自身もパイルを息子のように思う気持ちがあり、相反する感情を持て余していた‥‥


この種の作品は、異国情緒や謎めいた雰囲気を醸し出しやすいため、異国の地に一人残された異邦人、という設定が定番である。で、そういう設定は、冷戦時のヨーロッパを別にすると、帝国主義/植民主義時代が舞台となりやすい。そうすると、どうしても時代は70年代以前、舞台は東南アジア、南アメリカ、あるいはアフリカ、主人公はイギリス人、フランス人、それにアメリカ人ということになる。日本人だって1920-30年代の中国や東南アジアを舞台にすれば似たような設定の作品ができそうで、事実、そういうミステリも読んだことがあるのだが、あまり記憶に残らないのは、国民性として団体で行動することの多い日本人が、そういう個人主義的政治スリラーと相性があまりよくないからだろうか。


主人公のファウラーに扮するケインが、久し振りに脂の乗ったような演技を見せる。元々ケインは多作で、オファーがあれば時間がありさえすれば何にでも出るといった感じの俳優であるのだが、そのため、まったくくだらないと思えるような作品に出ていることもあれば、実に上質な作品に主演級で出ていることもある。一見するとうまいのかどうなのかよくわからない俳優だ。少なくとも、ロバート・デニーロみたいな役に人格ごとはまり込むタイプでないことだけは確かだろう。しかし昔から、思い込みが激しかったり、狂気めいた印象をかすかに醸し出させるような役だとよくはまった。その点で、老醜にはまり込みそうになりながら、若い女性が忘れられなくて嫉妬してしまうという今回の役は、非常にしっくりくる。ケインってやっぱり、骨の髄まで英国人、という感じがする。


一方のおとなしいアメリカ人パイルに扮するフレイザーも、今回は「ゴッド・アンド・モンスター」系のシリアス・タッチの役なのだが、非常にいい感じを出している。どうしても私はフレイザーというと「ハムナプトラ」や「タイムトラベラー」のコミカル系の方を思い出してしまうのだが、彼はシリアス・タッチもなかなかいい。きりりと顔を締めて口を閉じると、なかなかハンサムだ。元々ガタイもいいし。


たった一つキャスティングで気になったのは、ヒロインの役柄を演じるドー・チ・ハイ・エンで、二人の主人公から想いを寄せられる非常に重要な役どころで、二人からいつも綺麗だと言われているにしては、私はどこが? と思ってしまった。あれが白人の思い描くアジアの美人なのだろうか。トラン・アン・ユンの「夏至 (Vertical Ray of the Sun)」にも出ているそうだが、下手くそな英語にしても、仏語はともかく、英語を喋れるヴェトナム人の女優が限られているからかと思ってしまった。


監督はトム・クランシー原作、ハリソン・フォード主演のライアンもので知られるフィリップ・ノイスで、現在、自分のルーツのオーストラリアを舞台とした「裸足の1500マイル (Rabit-Proof Fence)」も同時公開中だ。「愛の落日」は、いかにもハリウッド的アクションのライアンものとは打って変わった、こぢんまりとしたインディ色の濃いスリラーだが、感動ドラマの「裸足の1500マイル」も小品ながら「愛の落日」同様好評で、いきなり2本の小品で、今年を代表するインディ系の監督としての印象を既に確立してしまった。本人も、自分が本当に撮りたいのはハリウッド大作ではなく、このような手作りの味を出せる小品だと言っている。


政治スリラー映画の常として、作品は現実の政情と無縁ではいられない。「愛の落日」の場合、なぜ今頃ヴェトナム、という疑問と共に、原作が発表された直後の1958年にジョゼフ・マンキーウィッツ演出で既に映画化されたことのあるこの原作をなぜ今頃また再映像化するのかという疑問もある。さらに作品にとって幸か不幸か、一昨年の9/11は、今回の映像化に大きな影を投げかけた。一応世界の同情を買っていた時に、ヴェトナムのアメリカの独り善がりを痛烈に風刺するこの作品は、はっきり言って少なくともアメリカ国内では興行的に成功しそうには見えなかった。


それが今のようにイラクに戦争をふっかけて世界から批判されるようになると、また世界のリーダーを自負するアメリカの独善的な面が表に出てきて、ヴェトナム時代を彷彿とさせる事態が出来してきた。こうなると、またまた事態はアンチ・アメリカイズムが世論を覆うようになり、今度は映画は時代を先読みしていた、みたいな論評が出てきた。こういうのを見ていると、本当に興行は水物だという気がする。因みにマンキーウィッツ版では、多少は政府/時代におもねり、パイルはアメリカの政府から送り込まれたスパイということではなく、政府とは無関係の私立探偵的人物として造型されていたそうで、また、ヒロインのフォンを演じているのはヨーロッパ女優のジョルジア・モールであるなど、だいぶ原作をいじってある。今回の映像化の方がグリーンの原作により近くでき上がっているそうで、要するにノイスは、その辺をしっかりと描きたかったんだろう。







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