The Perfect Storm

パーフェクト・ストーム  (2000年6月)

ジュライ・フォース(7月4日)の独立記念日の連休に合わせ、今夏「MI2」に続いて前評判の高かった話題作の登場である。ベストセラーになったセバスチャン・ジャンガーのノン・フィクションを映像化。主演が今を時めくジョージ・クルーニー、監督が「U-ボート」で海に生きる男の極限状態を描き切ったウォルフガング・ペーターゼンで、今世紀最大級のハリケーンに巻き込まれた漁師たちを描く骨太ドラマと聞けば、いや、もう、嫌が上にも期待は高まる。ポスターにもなっている、大波に巻き込まれる葉っぱのような釣り船を見せるTVコマーシャルも迫力満点で、公開を心待ちにしていた。


クルーニーが演じるのは、米北東部マサチューセッツ州のとある漁港町グロウセスターで小さな漁船アンドレア・ゲイル号を指揮するビリー・タイン船長。最近は女性船長リンダ(メアリ・エリザベス・マストラントニオ)の船に漁獲高で及ばず、精彩がない。ビリーはここらで是非とも一発、最近の不振を一掃する大漁旗を掲げたいところだった。ビリーは、漁から帰ってきて休む間もなく、次の漁に出発する。今世紀最大級の大型ハリケーン(パーフェクト・ストーム)が間近に迫っているのも知らずに‥‥


とにかく凄いCGである。波なんて細かい自然の微妙な表現は多分CGが最も苦手とする分野だと思うのだが、そこをしっかりと迫力たっぷりに描く現在のスペシャル・エフェクツの進歩には驚嘆する。前方から襲う津波の如き大波に抗い、大海の中の落ち葉さながら前進する漁船。しかしその必死の努力も虚しく、前進しているはずの船は波に押されて前方に立ちはだかる壁をずり落ちるように後退する。すっげえー。


とまあ、驚嘆すべきCGであり、ここが見所であるのはもちろんなのだが、実はそれだけなのだ。そのCGを活かして盛り上げるはずのドラマ部分が、ほとんど成功していない。まず、主人公だと誰もが思うクルーニーが、実は主人公ではない。いや、主人公ではあるのだが、どちらかというと焦点は乗組員の一人であるマーク・ウォールバーグ演じるボビーの方にあり、クルーニーはほとんどつむじ曲がりの頑固な昔気質の船長という紋切り型の役柄から一歩も出ていない。ウォールバーグの方が恋人クリスティン(ダイアン・レイン)や母エセル(ジャネット・ライト)両側から書き込まれて、金が是非とも必要で今漁に出るしかないという必要性をはっきりと出しているのに対し、クルーニーの方は負けず嫌いで女船長や雇用者を見返してやりたいという気持ちは出ていても、私生活がまるでわからず、現在に至るまでの境遇とやらが全然書き込まれていないため、共感も反感もできない。


キャラクターに同一化してはらはらして見ることができないなんて、この手の作品では致命的ではなかろうか。クルーニーは今回、陸の上ではほとんど描かれず、海の男のほとんどが集まって飲んでいるバーでビール瓶を手にするシーンすらないのだ。原作でそう描かれていたのかは知らないし、事実そういう男であったのかも知れないが、もしそうだとすれば、男気で売っているクルーニーを他の男たちと一緒に飲まない男なんかにした配役こそが間違いだっとしか言いようがない。すごく違和感があるのだ。


乗組員の方も、キャラクターや私生活が書き込まれている乗組員と、それがまったくない乗組員がおり、その理由がまったくわからない。たとえば、離婚して子供がいるマーフ(ジョン・ライリー)が必要以上にしつこいくらい画面に出てくるのに、一方画面に映る時はバーで恋人と抱き合っているだけでセリフもない黒人乗組員アルフレッド(アレン・ペイン)は、役の重さの上では大して差はないのに、この扱いの違いはなんだと思ってしまう。


もし私生活の悩みを見せ、船の上で他の乗組員サリー(ウィリアム・フィクトナー)といがみ合い、海に落ちたりするマーフが役の上では重要というなら、彼と同列で描かれなければいけない相対するサリーも時間を割いて私生活を描き込むべきだが、そんなことはない。まったくの片手落ちなのだ。私にはサリーの方が過去があって思わせぶりなところなど、重要な役に見えるのに。これも原作のせいか? 実際にマーフだけ私生活で悩みを抱えていたからか? 到底そうは思えない。万一そうだとして原作で登場人物の描写に差があったとすれば、それは映像にすると倍加されるからその辺でバランスをとらなければいけないのはペーターゼンくらいの監督なら当然知っているだろう。第一、乗組員の私生活描写にあれだけ時間を割くならば、船長であるクルーニーを真っ先に描かなければならないはずだ。


それと、途中で挿入される遭難したヨットとその救助活動は、それだけを見ると劇的で興奮させるのだが、これまた本題とはまったく関係ないと言わざるを得ない。特に誰が誰でも大差ないヨット遭難のシーンは、作品からまったく浮いている。あまりにも唐突すぎる。この辺は、事実としてそういうことがあったというのはよくわかるし、原作でアンドレア・ゲイル号と対置して描かれて盛り上げていただろうというのもまたよくわかるが、映画としては成功していない。むしろ焦点をぼかす反作用の力が働いている。


そんなシーンを入れるくらいなら、やはりアンドレア・ゲイル号の乗組員を描くのが筋というものだろう。あるいはヨットをとばして直接救助隊をアンドレア・ゲイル号救出に向かわせるべきだった。クルーニーのライヴァルであり、多分恋愛対象でもあるマストラントニオも、出すなら出す、出さないなら出さないでどっちかにして欲しかった。これまた中途半端である。彼女が船に乗っているシーンでは、彼女以外誰も出てこない。マストラントニオが一人で船を操舵して一人で魚も取っているような印象を受ける。一体なんなんだまったく。


総じて言うと、できあがった作品があまりにも長かったためにあちこちで切りまくった結果、こんな映画になってしまったという印象を受ける。「U-ボート」のあの人間描写は、「シークレット・サービス」のあの張り詰めたサスペンスは、いったいどこへ行ってしまったのか。とても期待していただけにがっかりである。先週見た「60セカンズ」なんて、ドラマにもアクションにもそれほど期待してなかったせいか、期待以上で得した気分になったけど、今回は期待値が高すぎたようだ。でもなあ、ペーターゼン、もっと撮りようがあったと思うんだが。製作費1億4千万ドル。果たして回収できるかどうか。


実は「パーフェクト・ストーム」以外に、独立記念日に合わせて公開された大作がもう1本ある。メル・ギブソン主演、ローランド・エメリッヒ監督の「パトリオット」なのだが、実は私はこちらの方には全然食指が動かなかった。独立記念日に合わせて独立戦争を主題にしたアクション大作‥‥まあ、いいでしょう。しかし、時代は違っても「ダンス・ウィズ・ウルブズ」の二番煎じ的な匂いがするんだよなあ。近年こういうストレートなヒーローものは食傷気味である。お笑いの要素のあるシュワルツネッガー的ヒーローの方がまだ耐えられる。エメリッヒは「Godzilla」で馬脚を現してしまったし、ギブソンも「ブレイブハート」で満足したはずじゃなかったの?どうしてもアカデミー賞が欲しいというようなエゴを感じるぞ。


それにドイツ人監督がオーストラリア人の俳優を使ってアメリカの独立戦争を描くという構図もなんかなあ。そりゃあ作品のできさえよくて信じるに足る内容ならばどの国籍の人がどんな映画を撮ろうと文句をつける筋合いはないのだが、どうしても逃げのスタンスを感じてしまう。わざと本当のアメリカ生まれのアメリカ人を起用しないことで、物語を架空のファンタジーっぽくしてるような‥‥もし映画が批評家からけちょんけちょんに貶されたら、アメリカ人じゃない奴が作ってるんだからオーセンティシティに欠けるのはしょうがないといって逃げるつもりなんでは、と変に勘繰ってしまうのだが。こんなの感じるの私だけでしょうかね。


それともう1本、上記2本ほどの大作ではないがそれなりに話題になっている作品として、実写とアニメーションを融合させた「アドヴェンチャーズ・オブ・ロッキー・アンド・ブルウィンクル (The Adventures of Rocky and Bullwinkle)」がある。トナカイ?とリスのロッキーとブルウィンクルは、クラシックのアメリカ製カートゥーン(マンガ)。それに世界征服を企む悪の首領ロバート・デ・ニーロ、脇にレネ・ルッソと「となりのサインフェルド」のジェイソン・アレキサンダーを配した子供向け作品である。もともと実写とアニメーションの合成で成功した作品はこれまでに数えるほどしかない。成功例の最たるものが「メリー・ポピンズ」であり、失敗作の最たるものが「ロジャー・ラビット」であるというのは誰も異論がないと思うのだが、予告編で見る限り、「ロッキー・アンド・ブルウィンクル」も成功しているとは言い難い。


何が耐えられないかって、半モヒカン刈りでモノンクルをかけたデ・ニーロが、私にはミスキャストにしか見えない。その中で、よりにもよってデ・ニーロは、彼のキャリア最高の当たり役である「タクシー・ドライバー」のトラヴィスが、鏡に映る自分自身に向かって放つあの名セリフ、「Are you talking to me?」を、自分自身で茶化してパロって見せるのだ。それもなんだかわけのわからない馬鹿みたいな抑揚をつけて。全然おかしくないだけでなく、私は思わず見るのがつらくて目を背けてしまった。監督のアイディアか脚本家のアイディアか。いずれにしてもギャグになっていない。ただただつらく、情けない瞬間であった。デ・ニーロもデ・ニーロだ。そんなの私はやらないとなぜ言えない?あんたがやりたくないと言ったら、あんたに強制できるプロデューサーも監督もこの世に存在しない。それともデ・ニーロ自身のアイディアだったら本当にどうしよう。スコセッシが怒るぞ。早く失敗作の烙印を捺されて劇場から消えてくれることを願う。







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