The Oscar Nominated Short Films Live Action 2016


2016年アカデミー賞短編作品賞ノミネート作品  (2016年2月)

「アヴェ・マリア (Ave Maria)」ベイジル・カリル監督 (パレスチナ-フランス-ドイツ) 15 min


ウエスト・バンクのアラブ系のキリスト系修道院の外壁に、ユダヤ人一家の乗ったクルマが衝突する。一家は修道女に電話を貸して欲しいと頼むが、休息日であるサバスの時は機械を操作してはいけないため、何をするにもいちいち協力を仰がないといけない。しかし電話はダイアル式の旧式でうまく接続せず、一方修道女も沈黙の規律を守っているため、お互いコミュニケイションをうまくとれないのだった‥‥



「ショク (Shok)」ジェイミー・ドノーグ監督 (コソボ-英国) 21 min


1998年コソボ戦争時。セルビアが支配しているコソボでは、先住のアルバニア人は軍事的に圧迫されていた。アルバニア人の少年は、ビジネスと称してコソボの軍人と取り引きしていた。ある時、少年は、自転車を持つ友だちと一緒にコソボの軍人のところに出かけ、あろうことか友人の自転車を取り上げられてしまう‥‥



「エヴリシング・ウィル・ビー・オーケイ (Everything Will Be Okay (Alles wird gut))」パトリック・ヴォラス監督 (ドイツ-オーストリア) 30 min


ドイツ。離婚した男がまだ幼い娘と会って一緒に過ごすために、再婚した元妻の家を訪れる。しかし娘を連れて男が向かったのはお役所で、そこで男は娘をなだめすかして緊急パスポートを作る。その次に男が向かった先は空港で、男は娘を連れて外国脱出を図っていた。様子が違うことに気づいた娘はごねてママの元に帰ると泣き出し、男が予約した便もキャンセルされ、二人は空港のホテルで一泊を余儀なくされる‥‥



「スタッタラー (Stutterer)」ベンジャミン・クリアリー監督 (英国-アイルランド) 12 min


インターネットである女性と付き合いを深めている一人の若い男。しかし男は重度の吃音だった。SNSでやり取りをしている分には構わないが、ある時女性がロンドンを訪れるので、会えないかという連絡が入る。それこそ男が最も怖れていたことに他ならなかった。男が連絡を返さないので、女の方は嫌われたのではないかと不安になり始める。男は会うか会わないか早急に決断を迫られる‥‥



「デイ・ワン (Day One)」ヘンリー・ヒューズ監督 (USA) 20 min


アフガン戦争に通訳として従軍した一人の女性が、初めての勤務の日を迎える。緊張と不慣れなこともあって高山病のような状態になって行軍のペースを乱してしまう。その後、村で反乱軍の疑惑のある男と隊のキャプテンが言い争いになり、しかも男の妻が産気づく。イスラムでは出産の現場に男の医師が立ち入ることはならないため、通訳の女性が部屋の中に入るが、既に陣痛の始まった女は破水して、死産と思える赤ん坊の片腕が覗いていた‥‥


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今年のアカデミー賞の実写短編部門にノミネートされている作品を見に行った。特にアカデミーのこういうオムニバスは、まったく知らなかった世界を初めて見せてくれる楽しみがある。今回も出品国を見ると、短編賞というよりもまるで外国語映画賞作品のノミネートのようで、すこぶる楽しい。


まず最初の「アヴェ・マリア」はウエスト・バンクが舞台で、バルカン半島の「ショク」、ドイツの「エヴリシング・ウィル・ビー・オーケイ」、英国の「スタッタラー」と、どんどん西に向かい、最後はアメリカ作品の「デイ・ワン」だ。とはいえ「デイ・ワン」はアメリカ作品だが、舞台はアメリカが参戦したアフガニスタンだ。作品や監督、国名のアルファベット順ではないので、たぶん実際に製作国が地図上でアジアから西に向かう順に、上映順が決められているんじゃないかと思う。


内容では「アヴェ・マリア」のみがコメディだが、「スタッタラー」も多少コメディ的な要素がないわけでもない。「ショク」と「デイ・ワン」は戦場もしくは戦時下の国が舞台。「エヴリシング・ウィル・ビー・オーケイ」は、離婚して元妻に引き取られた娘を連れて国外脱出を図る男を描く。


舞台としては、あまり目にする機会のないウエスト・バンク、およびコソボが舞台の「アヴェ・マリア」と「ショク」が特に興味深い。「アヴェ・マリア」は、ウエスト・バンクでアラブ系が運営するキリスト教会 (修道院?) にユダヤ人一家が闖入するという、なんともけったいな事態が出来する。


しかも教会の修道女はどうやら沈黙の戒律を守っている最中で、ほとんど言葉を発せず、主として身振り手振りでコミュニケイションを図ろうとする。一方のユダヤ人一家もサバスに入るため、基本的に機械を操作するのはご法度だ。そのために沈黙の戒律中の修道女に電話をかけさせ、しかし未だにダイヤル式の電話では、何番を押せというプッシュフォンの動作が通用せず、電話が繋がらない。


とにかく、ウエスト・バンクにアラブ系のキリスト教会があるのか、サバスは電話も使っちゃダメなのか、と意外な発見がてんこ盛りだ。つい最近も、NYのバルーク・カレッジの卒業式がサバスと重なるため、多くを占めるユダヤ人学生が式に出席できるか危ぶまれているというのがニューズになっていた。やっぱ宗教も少しは現実に寄り添う必要があるのではないか。一つ大きな疑問。サバスのために電話をかけることがダメでも、クルマを運転するのは構わないのだろうか。


2話目の「ショク」は内戦中のコソボが舞台で、常にそこそこ注目されるウエスト・バンクに較べ、あまり情報を知る機会のないコソボが描かれ興味深い。コソボはヨーロッパの一部だというのに、いつも火種がくすぶっている。21世紀になんなんとする時にセルビアによって多くのアルバニア人が虐殺されるなど、民族間の対立が激しい。因みに「Shok」というのは現地の言葉で「友だち」を意味する由。


ウエスト・バンクやコソボは、グーグル・マップで見ると、そこだけ点線で囲まれていたりする。要するに国として世界的にはまだ認められていない。特にコソボは、現在では安定しているように見えるバルカン半島で、いまだにここだけ小競り合いが起きている。シリア難民も、近いバルカン半島の国々をわざわざ通過して西ヨーロッパに向かっている。というか、コソボではまだ自分たちが難民を生み出している。


第3話の「エヴリシング・ウィル・ビー・オーケイ」は戦争のない現在のドイツを描いているが、これも内容はエモーショナルだ。離婚してたぶん今は一人で暮らしている男が、現在では再婚している元妻の家で暮らす娘と久し振りに一緒に外出する機会を得る。男は実はこの日のために入念にある計画を進めていた。まだ幼い娘を連れて海外脱出を図ろうというのだ。しかし緻密に立てたはずの計画が段々崩れ去っていく‥‥。第4話の「スタッタラー」はロンドンでネット交際をしている吃音の男の話、第5話「デイ・ワン」はアフガニスタンで通訳として初めて戦争に派遣される女性の話だ。


私は現在ではほとんど恋愛ものは見ないので、内容としては「スタッタラー」には実はあまり惹かれないのだが、それでもこれができとしては最もよかったと思う。昨年、NBCの「アメリカズ・ガット・タレント (America's Got Talent)」でファイナリストになったドリュウ・リンチがやはり吃音で、そのことを逆手にとってギャグを飛ばして印象を残したが、その記憶がまだ強く残っていることも、今回「スタッタラー」の印象が強かった理由の一つかと思う。吃音で例えばどこぞの企業のカスタマー・サーヴィスに電話をかけたりすると、自動音声応答システムが拾ってくれず、苦労する。リンチはそれを逆にギャグ仕立てにして笑わせてくれたが、「スタッタラー」でも同じ事態が起きる。逆境をどのように笑い飛ばすかが人生の要諦か。










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