放送局: FOX

プレミア放送日: 10/20/2003 (Mon) 20:00-21:00

製作総指揮: ジャン-マイケル・ミシュノー、クリス・コーワン

共同製作総指揮: リズ・ブロンスタイン

監督: グレン・テイラー

音楽: デイヴィッド・ヴァナコア

執事: ポール・ホーガン

ホスト: サマンサ・ハリス

出演: デイヴィッド・スミス


内容: 金持ちの恋人の座を争っていると信じている参加者を騙して、ほとんど一文なしの男の恋人の座を争わせ、最後まで勝ち残った女性に真実を告白し、果たしてその女性が愛情をとるか、それとも金のない男を見捨てて去って行くか、その反応を見て楽しむリアリティ・ショウ。


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今春、あれよあれよという間に誰もが驚く視聴率を獲得、最終回の視聴率が21%、全米総人口2億人のうち、4,000万人が見たというとてつもない記録を打ち立てたFOXの「ジョー・ミリオネア」は、今年のアメリカTV界最大のニュースだったと言っても過言ではない。だいたい、約2億人というアメリカの総人口のうち、10歳以下の、番組の視聴者としては関係ない子供を除くと、対象人口は多分1億5千万人前後、とすると、つまり全対象TV人口の約4人に一人は「ジョー・ミリオネア」の最終回を見た計算になって、これは単純にすごい。


日本と較べてチャンネル数が桁違いに多いアメリカにおいては、視聴率を獲得するのは容易なことではない。現在、アメリカで常時視聴率20%をとる番組というのは存在しないのだ。一時ドラマでは無敵を誇ったNBCの「ER」とシットコムの「フレンズ」が、その全盛時に20%台を何度も達成したという記録は残っているが、それも昔の話であり、現在、シリーズ番組で20%に届く番組は1本もない。多分、現在では年間を通して見ても20%を超える視聴率を常に獲得するのは、1月のNFLの優勝決定戦「スーパーボウル」と、3月のアカデミー賞授賞式中継の2本だけだろう。


「ジョー・ミリオネア」の最終回は、その列に連なる、多分、今年3本しかない20%番組の1本になっただけでなく、アカデミー賞中継の20.4%という記録すら抜いた。毎回視聴率40%、視聴人口8,000万人を超える「スーパーボウル」は別格として、多分「ジョー・ミリオネア」が今年の視聴率第2位の成績をキープするのは、もう、ほとんど間違いないところだ。


しかし、それだけなら別に、ふうん、FOXも頑張ったんだなあで済んでしまうところだ。それが無性に腹に据えかねる事態になったのが、この「ジョー・ミリオネア」に味を占めたFOXが、よりにもよって「ジョー・ミリオネア」第2弾製作の発表をしたことにある。


そもそも「ジョー・ミリオネア」がなんであれほど話題になったかというと、本当はほとんど一文なしの男を偽金持ちの御曹司に仕立て上げ、その恋人の座を射止める勝ち抜きリアリティ・ショウに参加していると思い込んでいる、一般の女性参加者を騙すことにあった。そして最終回、優勝したはずの最後まで残った女性が、それまで嘘をついてきたことを告白する主人公の話を聞き、果たしてどういう反応を示すのかということに、全米の好奇心が刺激されたからに他ならない。こういう企画が何度も流用できるわけないから、視聴者の誰もが、一回限りで、今見逃すと多分、もう一生こんな番組を見ることはないだろうと思ったからこそ、挙ってチャンネルを合わせたのだ。


それなのに、あまりにも意外な高視聴率に我を忘れたFOXは、なんと、その一回限りしか有効でなかったはずの「ジョー・ミリオネア」第2弾製作を発表したのだ。なにい、こら、視聴者を舐めんじゃないぞ、一回こっきりで次はないと思うから真面目に見たんであって、パート2があると最初から知っていたら、これほどマジになって見たりはしなかった。これまでFOXは2流のネットワークだとは思っていたが、これじゃ3流もいいとこだ、この低俗ネットワーク!!!!!


と、私だけでなく全視聴者がそう考えたのは間違いないところで、この「ジョー・ミリオネア」第2弾の「ザ・ネクスト・ジョー・ミリオネア」、今度はプレミア・エピソードから徹底的に視聴者から無視された。胸がすっとしたとはこのことだ。当然だろう、こんな一回こっきりしか有効に見えない大技をまたやってみましたと言われても、誰がいったい本気にするか。ふざけるのもいい加減にしてくれ。ああ、もう無性に腹が立つ。


と、口では言いつつ、実は私はまた見てしまった。一度きりしか使えないはずの大技を、いったい今度はどういう風に料理したのか。FOXのあこぎさぶりには一視聴者として憤りを覚えるが、できないはずの第2弾をどうやって製作したのかについては、別の意味で好奇心をそそられる。だって、全米の女性は既に皆、騙されるとわかっているのだ。それをどうやってまた騙すというのだ。というわけで、また見てしまいました「ネクスト・ジョー・ミリオネア」。私の知る限り、私の近辺でこの番組を見てたのは私だけ、視聴率もそれを証明している。


そしたら今回は、もちろんもうアメリカ人女性は騙せないことを知っているから、対象をヨーロッパに広げて参加者を募集したのであった。それだって、多分同じ英語圏のイギリスや、情報のやりとりが頻繁なフランスといった主要国だと、やはり情報は既に伝わっているだろうから、今回はイタリア、スゥエーデン、チェコ、ドイツ、オランダから募集した妙齢の女性14人を争わせるということになった。ふうん、イタリアやドイツでは、この番組の話はまだ広まってなかったのか。しかし、このインターネット時代、情報に国境はないから、知らん振りして番組に応募することもできそうだ。と、まあ、こういう風にも思えるところが、既にこの番組が失敗に片足突っ込んでいる証拠なのだが。


今回ジョー・ミリオネア役を演じるのは、年収1万1千ドルというテキサス出身の24歳のカウボーイ、デイヴィッド・スミス。もちろん南部訛りばりばりで、要するにウッディ・ハラーソンのような喋り方をすると思ってくれればいい。気のせいか顔も体格も似ている。で、彼が今回はイタリアに設えられた古城という舞台で、ヨーロッパ中から集められた美女を相手に、今日はタスカニー、明日はパリと、ヨーロッパのロマンティックな場所でデートをしながら、相手を篩いにかけていく。要するに、やっぱりやっていること自体は「ジョー・ミリオネア」と一緒だ。


番組として前回と今回で最も異なるのが、参加している女性が皆英語のネイティヴじゃないという点にある。当然、皆ある程度は英語ができることが条件で参加しているのだろうが、それでもかなりアクセントが強い。彼女らが喋ると、画面下に英語の字幕が出るのだ。英語のネイティヴの人間ですら何を言っているのかわからないからわざわざ字幕にするのであり、当然、いまだにヒアリングに問題のある私が聞くと、本当に何言っているのかわからずちんぷんかんぷんだ。いきなり彼女らが喋るシーンに出くわしたら、英語を喋っているとは気づかないだろう。


非ネイティヴが喋る英語の聞き取りというものはなかなか面白くて、これが日本人の喋る英語だったりすると、英語のネイティヴが理解できなくても、私は理解できる。頭の中で文章を作る経路が同じだからだろう。発音の癖も同じだったりするし。また、フランス人やイタリア人が喋る英語もどちらかと言えばまだ聞き取りやすい方だ。これが東欧系の喋る英語だと、途端にわからなくなったりする。とはいえもちろん個人差はあり、今回の出演者では東欧系のリンダの英語は聞けるが、イタリーの彼女の英語が聞きづらかったりして、とにかく、確かに話し言葉に集中するよりは、字幕を読んでいる方が楽だったりする。


で、話を元に戻すと、番組自体は、途中経過は「ジョー・ミリオネア」とまったく一緒だ。要するに今回だって最初に参加者の面々を見た後は、本当に興味のあるのは真実が暴露される最終回だけであるからして、中盤は飛ばして最終回の話をすると、最後に残った二人はリンダ (チェコ) とキャット (ドイツ) の二人。実はこの時点までに、番組に対する私の興味は既にだいぶ薄れていた。この種の番組では、自分が同性の方に肩入れして、自分ならこうする、あるいはこの子を選ぶ、なんて考えながら見るからこそ熱中できるのであるが、それがその主人公と自分の美意識がまったく噛み合わず、なんでこの子を選んでこの子を落とすのかわけがわからんなんて事態になると、途端に番組に興味が持てなくなる。


私にとって「ネクスト・ジョー・ミリオネア」がまさしくそれだった。おまえ、美意識狂ってんじゃないかと思わず呟いてしまうのだが、そんなの本人にしてみればよけいなお世話だろう。しかし今回に関する限り、主人公デイヴィッドに対する風当たりは強く、少なくともこの番組を見た者の間では、ガタイだけはいいかもしれないが、風貌や言動に知性が感じられず、バカみたいという意見が主流だ。これでは番組としての成功は覚束ないだろう。


最後、デイヴィッドはリンダを選び、真実を告白する。ショックを受けるリンダ。ここまでの展開は前回と同じ。そして果たしてリンダはそれでも愛情を選び、デイヴィッドを許し、その後の舞踏会に姿を現すのか。執事のポールと共に盛装してリンダを待つデイヴィッド。後ろには管弦楽団が控えているが、いつまで経っても姿を現さないため音楽を奏でることもなく、手持ち無沙汰だ。果たして今回はデイヴィッドが愛を獲得することはないのか。


結局、いつまで待ってもリンダは現れず、様子を見に行ったポールは、帰ってくるなりデイヴィッドにリンダは来ないことを告げる。意気消沈したデイヴィッドはネクタイをかなぐり捨て、ジャケットを脱ぎ、その場を去る。あとには、まあ、契約だから金は貰えるだろうが仕事はなかった管弦楽団がただ残されるのみであった。


ふうん、今回は主人公は捨てられる運命にあったのか。まあ他人事だし、こういう展開でも別に面白ければどうでもいいのだが、確かに意外だったとは言える。参加者の立場から言えば、世界中の視聴者が見ている前で、金だけが目当ての女だと思われるのも嫌だろう。どうせあとで別れちゃえばいいんだよ、今だけデイヴィッドに一夜の夢を見せてあげてもよかったのにとは思ったが、リンダは正直者だったのだろう。


番組はその後もまだ続き、傷心のデイヴィッドがテキサスの田舎に帰り、本来の自分の生活に戻っているところをとらえる。そしてそこに現れたのは、リンダからの手紙を従えたポール。その手紙には、私があの日あなたの元を去ったのは、お金のせいではなく、あなたに嘘をつかれていたことにショックを受けたから、という理由が切々と綴られている。そんなこと言っても、もうしょうがないもんねえと思いながら画面を見ていた私の前に現れたのは、なんとリンダ。またお互いに抱き締め合うリンダとデイヴィッド。なんだ、そういう展開だったのか。そこへポールが現れ、無事成就した愛のお祝いにと、25万ドルの小切手、さらに彼らが今いる牧場までプレゼントとして進呈され、めでたしめでたしということで番組は終わるのであった。


いや、ま、べつにいいんだけどさ、こうなると、最後、舞踏会に現れなかったリンダというシチュエイションも、もしかしたら実は最初からの筋書き通りの演出かと疑いたくもなる。リンダはその時点で舞踏会に現れるつもりだったのを、プロデューサーがその後の効果を劇的にするためにリンダを引き止めたのかもしれない。あるいは逆に、リンダは本気で怒ってもう国に帰ろうとしていたところをやっぱり引き止められたのかもしれない。いずれにしても、いったんは決着の見たものを覆すからには、どう見てもそこに番組プロデューサーの深謀遠慮がそこはかとなく働いていると見なさざるを得ないのは事実で、さもなければ最後、絶対にこういう展開にはならないだろう。


リアリティ・ショウというのは、素人の生の感情が発露するからこそ見応えがあるのであって、あまり演出くさくなると、逆に面白味はなくなる。もちろん今回の最後のどんでん返しは意外で、番組としての構成だけを見るならば、前回よりも今回の方がよくできていたと言えなくもない。しかし、素人参加のリアリティ・ショウは、何度もやればやるほど番組が練れてくるのは当然で、「サバイバー」だって「バチェラー」だって、昔より今のヴァージョンの方が番組としてはよくできているが、どうしても最初に受けた衝撃という点では較ぶべくもない。その点で、やはり一発勝負の「ジョー・ミリオネア」の第2弾は、どうしても無理があった。結局、「ネクスト・ジョー・ミリオネア」の最終回を見て私が感じたことは、よくも悪くもこの番組はこれで終わりだろうなということであった。FOXには次の、また視聴者をあっと言わせてくれるようなリアリティ・ショウを期待するとしよう。







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ザ・ネクスト・ジョー・ミリオネア   ★★

 
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