The Mother ザ・マザー (2004年6月)
The Mother ザ・マザー (2004年6月)
メイ (アン・リード) は夫と一緒に娘や息子夫婦が住むロンドンを訪れるが、そこで夫は心臓発作を起こし、帰らぬ人となってしまう。メイは息子のボビー (スティーヴン・マッキントッシュ) 夫婦や娘のポーラ (キャスリン・ブラッドショウ) の住まいを転々とするうちに、ボビーの友人かつポーラの愛人であり、今はボビーの家の改装の仕事をしている大工のダレン (ダニエル・クレイグ) と近しくなる。二人の関係は段々密度を増し、そして二人がベッドを共にするまで、それほど時間はかからなかった‥‥
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「マザー」を見に行った劇場でちょうどマイケル・ムーアの「華氏911」が封切られていたのだが、マルチプレックスの2館で同時上映されていて、しかも次の次の回までチケットが売り切れだった。ドキュメンタリーが2館同時上映というのも初耳なら、チケットが売り切れになったというのも生まれて初めて聞いた。最近、上映問題でディズニーが配給を断ったために逆に話題となったことが大きく、この展開、まるでメル・ギブソンの「パッション」のようだな、それで逆に作品の内容とは別に世論が盛り上がったかと思うと、へそ曲がりの私としては、途端に見る気がしなくなる。別に私がわざわざ見に行かなくても、充分元は取っただろう。
で、「マザー」であるが、いい歳をした女性が自分の子供と同じ年代の男に惹かれ、ベッドを共にしてしまうなんて映画を見たいと思うのは、やはり自分が歳とったことの証拠だろうか。しかも主人公の二人は親子ほどの歳の差がある上、片方はだいたい70歳、もう片方もたぶん30代後半と、若い方の男の歳ですら、実際には既にもう若いとは言えない。「ヤング・アダム」を見て熟女の色気に圧倒され、「葉桜の季節に君を想うということ」を読んだばかりで、ちと中高齢の熟女づいているというのはあるかもしれないが、しかし、70歳はいくらなんでも熟女とも言えないような気は確かにする‥‥
この映画では、登場人物の全員が利己的である。その点は、主人公であるメイも変わりない。結局のところ、自分自身の再発見か回復か第二の人生の出発かは知らないが、夫が死んでほとんど時間も経ってないのに、よりにもよって彼女は、自分の娘と付き合っている男から、性の喜びをたぶん初めて手に入れる。男に金を出資して、二人で一緒に住もうなんてことを平気で口にしてしまうのだ。仮にも自分の娘がそのことをどう感じるかなんて、これっぽっちも考える素振りを見せない。これを単に手放しで自己回復と呼んで、喜ばしいことだと称えるのはちょっと無理がある。
当然のことながらそんな母に育てられた子供たちも、息子のボビーは表面はともかく冷たい男で、娘のポーラは既に中年にさしかかりそうな年代になっても、いまだに自分に自信が持てず、最初の結婚は失敗し、一人息子を抱えながらいつもぐらついている。メイと関係を持つダレンも、メイの方から誘った感じが濃厚だとはいえ、ポーラとの関係を解消するわけでもなく、結局親子どんぶりを続け、メイが金を出そうかと言うと、乗り気な様子を見せる。ついでに言うと、ボビーの妻からその子供たちまで、全員自分たちのことしか考えていないようだ。それがよいか悪いかではなく、それが現代の個人主義であるという風に見える。
それでも、家の中に入ることを第一義に教えられてきた昔の女性が、何かの拍子に新たな自分を発見するというのは、確かにあるかもしれない。少なくともこの作品が成功しているところは、そういうメイをノンシャランと演じるリードに、もしかしたらそういう母というのもありかもしれないとふと思わせるところにある。そういうメイがダレンに惹かれ、二人が性関係を持つまで関係を発展させるところを、さり気なく、しかも着実に演出しているため、二人がベッドを共にするという展開になっても、その点自体にはほとんど違和感はない。もしここで、ちょっと無理があるんじゃないのと観客に感じさせてしまったら、そこで作品が破綻してしまうことになるから、ここを確実に押さえきれるかどうかは、作品の要だ。
リードは現実にもほとんど70歳近いのだが、それで裸身を晒してセックス・シーンに挑戦する役者根性には頭が下がる。少なくとも彼女が、私がこれまでに見たことがある裸になった女性で最も高齢であることは間違いない。昨年、60になろうとするシャーロット・ランプリングが惜し気もなく脱いだ「スイミング・プール」に感服したのも記憶に新しいが、リードはさらにランプリングよりも10歳上だ。とはいえ正直言うと、私はリードのおなかによけいな肉がついていたところこそが気になりはしても、歳のことはあまり気にならなかった。私は昔からスレンダー・タイプの女性が好みというのはあるが、ぽっちゃり型が好みという男性なら、さらにリードの歳は気にならないに違いない。ある年齢層の人間に対する思い込みや常識は、段々壊れつつあるようだ。もちろんそれが単につまらない既成概念によるものなら、そんなものなくなってしまったって私はいっこうに構わない。
ところで、リードの役名はメイということになっているのだが、実は、映画の中では誰も彼女のことをメイなんて呼ばない。たぶん、ただ一人彼女のことをメイと呼べる立場にいたはずの夫が早々に死んでしまうので、あとは娘や息子から「マザー」と呼ばれるだけなのだ。だからこそのこのタイトルなのだが、要するに母親というものは、どこの世界でも個人である前に、まず母親という役柄を全うすることが求められるからだろう。子がいつまで経っても親の目から見ると子供であるように、親はいつまで経っても子から見れば親だ。しかし、第三者にとっては別に歳をとっている者がすべて誰かの親である必要はないのはもちろんだ。10年後には、お年寄りという単語は死語になっているかもしれない。