The Martian


オデッセイ  (2015年10月)

最初オリジナル・タイトルの「The Martian」というのを聞いた時は、当然のように「火星人」を連想し、それこそリドリー・スコットが演出した「エイリアン (Alien)」とスティーヴン・スピルバーグの「宇宙戦争 (War of the Worlds)」を足して割ったような火星人が、地球に襲来するSFものだとばかり思った。しかし「Martian」というのは「火星に住む者」を意味するのであって、タコ入道のようなお化け火星人を意味するわけではない。幼い頃の刷り込みというのは完全には消えないのだった。


原作はアンディ・ウィアーで、邦題は「火星の人」になっている。当然「火星人」にはならない。「の」があるかないかで人の受ける印象は月とすっぽんほど違う。それが映画では「オデッセイ」になったのは、「火星の人」でもまだ「火星人」寄りと思われたか。オリジナル・タイトルは、最初に人に、え、火星人? と一瞬思わせることを狙った意図的なミスディレクションもあると思うが、日本語で「火星人」だとそのインパクトが強過ぎて、ミスディレクションにならないんだろう。


「オデッセイ」は火星に一人とり残された男を描くサヴァイヴァルものだが、実は原作は、かなりユーモア色が濃いらしい。一難去ってまた一難という状況に置かれたマークが、持ち前のかヤケクソなのかは知らないが、自虐的とも言えるユーモアで窮地を乗り切っていくのが面白いというのを聞いた。そのためだろう、「オデッセイ」は、ゴールデン・グローブではコメディ/ミュージカル部門でノミネートされている。


もっともマット・デイモン演じるマークには、そこはかとないユーモアらしきものが漂ってないこともないが、やはり視覚媒体の映画では現前の逆境を前にしては、ユーモアどころではないというのが実情という感じだ。当然演出が骨太演出で知られるリドリー・スコットというのも関係があろう。これがウェス・アンダーソン辺りが演出したら、また違ったサヴァイヴァル・コメディができたかもしれない。


宇宙を舞台とするサヴァイヴァルものというので近年で人が思い出すのは、「ゼロ・グラビティ (Gravity)」だろう。ただし、宇宙空間で数時間で生死が決するという「ゼロ・グラビティ」と、1年以上にわたってのサヴァイヴァルを送る「オデッセイ」では、同じく命がかかっているとはいえ、その畳みかけてくる緊迫感は異なる。その辺にユーモアが生まれる、というか必要とする余地も出てくる。一瞬一秒が生死の境目なら、ジョークを言っている場合ではない。


マークは、とにかく自分が持つありとあらゆる知識と技術を総動員して、サヴァイヴァルを図る。素人目にはもうアウトとしか思えない状況から、食料を自給し、酸素を補給する。「アポロ13 (Apollo 13)」で、これまた酸素が足りなくてもうアウトと思われた状況で、船内にあるものだけを利用してなんとか酸素を作り出すというシーンがあったのを思い出す。酸素って、あり合わせのものから合成できるのか。知識は力を実感させる。


当然ではあるが、火星で長い時を過ごしたマークは、体重が激減する。食料を枯渇させないために、死なないぎりぎりの程度に食事を削って持たせていたのだ。それでがりがりになるわけだが、あんなに痩せて、減量したデイモンのことが話題にならない。ロバート・デニーロにせよマシュウ・マコノヒーにせよトム・ハンクスにせよ、体重の増減はアカデミー賞への第一歩というくらい効果があるのだが、これだけ誰も減量のことを話題にしないところを見ると、これはたぶんCGで首から上だけ付け替えたんだろう。業界の人はそれを知っているから誰も口にしないと思われる。


こないだTVを見ていたら、PBSで脳の働きを解読しようとする「ザ・ブレイン (The Brain)」という番組をやっていて、その中で、中東に旅行中に間違ってイランに足を踏み入れて拘束され、1年以上にわたって独房生活を余儀なくされた女性の話があった。人は一定の場所に閉じ込められると、やがて脳が活動を停止してしまうそうで、何も考えられなくなり、ほぼ植物人間化する。独房というのがポイントで、刑務所生活でも、他の囚人とコミュニケイションをとれるなら、心の病に陥らない。「モンテ・クリスト伯 (The Count of Monte Cristo)」でも「ショーシャンクの空に (The Shawshank Redemption)」でも、長い間監獄生活を余儀なくされても耐えてそこを抜け出せたのは、そこにコミュニケイションを図れる相手がいたからだ。これが「ミッドナイト・エクスプレス (Midnight Express)」だと、半分は壊れかかる。


マークだって、食料と共に大切だったのは、地上とコミュニケイションを図ることに他ならなかった。もしそれが不可能だったら、たとえ農園栽培が成功してこの先ずっと生活できることがわかったとしても、絶望して、生きることは叶わなかったろう。「キャスト・アウェイ (Cast Away)」のトム・ハンクスも「ザ・ラスト・マン・オン・アース (The Last Man on Earth)」のウィル・フォルテも、後は無機物を人格化して話し相手にしていた。人が引きこもっていても生活できるのは、インターネットという手段によって外界と交信が可能だからだ。引きこもりによって外界との交信を遮断したのではなく、手段が変わっただけだ。結局、人は一人では生きられない。一人でやっていけるのは「ウォーリー (Wall・E)」くらいだ。彼は人間ではない。


映画の公開と前後して、NASAによって火星に水の痕跡が見られるというニューズが発表され、話題を醸した。液体の水が存在することは生命の発現の第一歩であるから、火星探査隊の活動という映画の舞台設定にだいぶ信憑性が増す。「オデッセイ」の興行成績が意外とも思えるくらいいいのは、こういう追い風も手伝っているに違いない。


話は変わるが小山宙哉の「宇宙兄弟」の第1巻に、むったとせりかがJAXAに展示されている宇宙服の前に立って、バイザー・グラスに反射する自分の顔を見て、さも自分が宇宙服を着ているみたいに錯覚してうっとりする、みたいな描写がある。実はまったく同じことを、PBSの番宣で女の子がやっている。「オデッセイ」を見て思い出した。










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近未来。火星で調査活動を行っていた宇宙船乗組員の一行は、急速に近づいてくる砂嵐の前に、撤収を余儀なくされる。しかしマーク・ワトニー (マット・デイモン) は砂嵐に巻き込まれてしまい、彼を探しに行く時間の余裕はないと判断したメリッサ・ルイス船長 (ジェシカ・チャステイン) は、ロケット出発の指示を出す。マークは死んだものと思われたが、ヒューストンで火星になんらかの動きがあることが観測される。果たしてマークは生きており、地球と連絡をとろうとしていた。バイオ化学の研究者であるマークは、自身の知識を総動員して火星の施設に農作物を育てるシステムを作り上げる。次に人類が火星に降り立つ時まで、なんとしても生き延びなければならなかったが、それがいつになるかはわからなかった‥‥


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