The Manchurian Candidate   クライシス・オブ・アメリカ  (2004年8月)

湾岸戦争時に捨て身の活躍で勲章をもらったレイモンド (リーヴ・シュライバー) は、元々家柄もよかったため、今では政治家として副大統領に立候補するまでになっていた。一方、湾岸時にレイモンドの上官として隊を率いていたベン (デンゼル・ワシントン) は時々得体の知れない悪夢を見ることがあり、再会したアル (ジェフリー・ライト) も同様の悪夢に苛まされていた。レイモンドに接触しようとするベンだったが、冷たく相手にされない。そのうちにアルの溺死体が発見され、ベンは自分を苛むこの悪夢の正体を見極めるべく行動するが、その裏には恐るべき事実が隠されていた‥‥


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1963年のジョン・フランケンハイマー監督、フランク・シナトラ主演の、クラシック・スリラーとして名高い同名タイトル (邦題「影なき狙撃者」) のリメイク。実は私は「影なき狙撃者」を見てなくて、名声だけは聞いているからヴィデオは手に入れていたのだが、いつか見よういつか見ようと思いつつ、見ないまま今日まで来てしまった。


そしたらリメイクの公開である。見てみたいのはやまやまだが、もしほとんど内容がオリジナルと同じだったらどうしよう。その上できがそれほどじゃなかったりしたら、オリジナルを先に見ておけばよかったと後悔するに決まっている。どうしよう。そのことを考えて、ここは急いでフランケンハイマー版を見ておくべきか。


などと考えていたら、公開直前にプロモーションのためにデイヴィッド・レターマンがホストの「レイト・ショウ」にゲスト出演したデンゼル・ワシントンが、これはリメイクといっても内容はだいぶ違うというようなことを言っていた。まあ、ブレイン・ウォッシュされた男が政治家を暗殺しようとするという根幹の展開は覆しようがないと思うが (そこが異なっていたらリメイクとは言わない)、だいぶオリジナルとは異なっているようで、それなら見てもいいかな。


アメリカでは、毎夏、家族向けのアクション大作が公開されるのが普通だが、今年は大人も楽しめる作品がわりと公開されているのが特色となっている。いや、公開されるだけなら、毎年大人向けの作品は公開されているのだが、今年はそれがちゃんと大人の観客を呼び、なかなかのヒットになっている。「ボーン・スプレマシー」は、大人も見れるとはいえ、まだ誰でも楽しめる類いの作品だが、「コラテラル」になると、たとえトム・クルーズが出ていようとも、はっきりと大人向けの作品だ。ガキではまだまだこの作品の醍醐味を味わうことはできないだろう。「オープン・ウォーター」になると、娯楽作品でありながら観客としてのガキの存在は無視しているとすら言われている。そして政治スリラーである「クライシス・オブ・アメリカ」も、その延長線上で大人の観客を劇場に運び、しぶとくヒットしている。


また、もう一方の流行りとして、今年はわりあい注目されたリメイク作品の公開が多い。もちろんリメイクというだけなら毎年なんらかのリメイク作品が必ず公開されているのだが、今年のやつは、わりかしよくできた、大人も楽しめるリメイクになっているということがポイントだ。「クライシス・オブ・アメリカ」以前にも、「ドーン・オブ・ザ・デッド」「レディ・キラーズ」「ステップフォード・ワイフ」と、リメイクが途切れなく続き、それなりに客を集めている。さらに、この二つのちょっとしたブームに共通する流れとして、少なくともオリジナルには政治的含みを持つ作品が多いというのが、その裏に流れる通奏低音のようなものになっている。


英国作品であるオリジナルの「レディ・キラーズ」はさておき、「ドーン・オブ・ザ・デッド」のオリジナルである「ゾンビ」は当時の世情をダイレクトに反映しており、さらにシリーズ第2作目である「ゾンビ」の前作「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」が、ヴェトナム戦争と当時の黒人パワーの擡頭に対する白人の怖れが根底にあるというのは、「アメリカン・ナイトメア」が実証していた。「ステップフォード・ワイフ」も、こちらは当時のウーマン・リヴ運動に対するアンチ・テーゼとして登場した作品というのは、証明するまでもないだろう。そして最初から冷戦を背景とするポリティカル・スリラーとして製作されている「クライシス・オブ・アメリカ」に関しては、改めて言うまでもない。「大人」、「政治」、「リメイク」が、今年のアメリカ映画のキー・ワードなのだ。


もちろんこれら作品のリメイクがオリジナル同様政治的な含みを持つかはまた別の話で、いまだに差別はあるとはいえ、黒人の擡頭云々という話が既に過去のものになった現代では、「ドーン・オブ・ザ・デッド」のリメイクに人種的な彩りは顕れず、むしろAIDSや狂牛病といったウィルス的なものが、目に見えないところで人々を脅かすものとなっている。「ステップフォード・ワイフ」では、ウーマン・リヴという隠れた攻撃対象がなくなったことで、コメディ色が強くなった。その点、「クライシス・オブ・アメリカ」は、昔も今もポリティカル・スリラーだ。要するに、権力が個人の思考や行動を監視し操作することに対する怖れというのは、いつの時代でもあるということだ。


主人公のベンに扮するのがデンゼル・ワシントンで、この人はいつもながら軍服がよく似合う。もちろんここでもそれを買われている。とはいえこの作品の本当の主人公は、副大統領に立候補するレイモンドに扮する、リーヴ・シュライバーだろう。知らず知らずのうちに洗脳されている人間の悲哀をよく現しており、これまで見たシュライヴァーで1、2を争うでき。シュライバーは最近政治ものづいており、去年はCBSのミニシリーズ「ヒットラー」に出ていたし、今年はショウタイムの「スピニング・ボリス (Spinning Boris)」で、ボリス・エリツィンの選挙参謀という役どころでも出ていた。今年はやはり政治の年なのだ。米大統領選挙の年だからな。忘れちゃならないのがレイモンドの仕切り魔の母エレノアに扮するメリル・ストリープで、もう、この人、さすがである。本当にどんな役でもできる。彼女がいると演出家は楽だろう。


「コラテラル」では演出や演技とは別に、その根底となるアイディアのリアリティが疑問だったりしたが、「クライシス・オブ・アメリカ」でも、その嫌いはある。というか、リアリティという点に関しては、「クライシス・オブ・アメリカ」の方が、「コラテラル」よりも何倍も疑問だと言える。いったい、洗脳によって人間の行動の細部にわたるまで支配できるものなのだろうか。頭脳の働きというのは、突き詰めてみれば化学的反応に過ぎないというのはあり、いつの日か、人間の思考や反応をすべて制御することのできる時代は来るのかもしれないが、しかし、電話によって最初の反応を引き出すのは、洗脳というよりは催眠であり、まあ、できないことはないのかもしれないが、ひたすら胡散臭い。


現代では、ファンタジーやSFでない大人向け作品では、こういったリアリティというものは見過ごせないポイントであって、いくらなんでもこんなのあるわけないという展開になってしまったりすると、あとはどんなに演技や演出に見るところがあっても、不評をかこつか、無視されてしまう。「白いカラス」なんか、そのいい例だ。「影なき狙撃者」がカルト・クラシックとして今なお語り継がれているのは、今のように科学が発展していなかった時代の、大人のお伽噺として機能した点が大きい。


今それをリメイクするためには、どうしても洗脳の部分を現実に可能性があるように観客に納得させなければならないと思う。この作品がかなり面白いエンタテインメントということに異議を差し挟むつもりはないが、その部分にしこりが残るのは致し方ないところだろう。あと10年か20年か後に、もっと大脳生理学が進んでこのような設定に無理がない時期が到来したら、その時こそ、この映画の怖さがもっと真に迫ってくると思われる。その時が来たら、「クライシス・オブ・アメリカ」は、時代を先取りしていた作品として再評価されることになるのかもしれない。さて、フランケンハイマーのオリジナルはどうしようか‥‥






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