高い城の男   The Man in the High Castle

提供: アマゾン   Amazon

プレミア提供日: 11/20/2015 (Fri)

製作: スコット・フリー・プロダクションズ、アマゾン・ステュディオス

製作総指揮: フランク・シポトニツ、リドリー・スコット

出演: アレクサ・ダヴァロス (ジュリアナ (ジュールズ) ・クレイン)、ルパート・エヴァンス (フランク・フリンク)、ルーク・クレインタンク (ジョー・ブレイク)、DJ ・クオールズ (エド・マッカーシー)、ケアリー-ヒロユキ・タガワ (ノブスケ・タゴミ)、ルーファス・シーウェル (ジョン・スミス)、ジョエル・デ・ラ・フエンテ (キド)


物語: 日本-ドイツの枢軸国が第二次大戦に勝っていた並行世界の1960年代。北米大陸は東海岸をドイツが、西海岸を日本が支配し、中央部は中立地帯として存在していた。日独支配を快く思っていないレジスタンスの面々は営々と地下活動を続けていたが、それを取り締まる締め付けも厳しく、政府に楯突こうものなら否応なく命を奪われた。ジョーはニューヨークで、伝手を頼りにレジスタンス入りする。その仕事は中立地帯のキャノン・シティまでトラックを運転していくもので、それ以外の積み荷や仕事の内容、接触する相手のことなどは一切知らされなかった。一方、サンフランシスコではジュールズの妹トゥルーディが、ジュールズに8mmフィルムを預けた後、日本の憲兵隊によって射殺される。そのフィルムには、連合軍が勝った映像が映っていた。これはいったいどういうことか。ジュールズはトゥルーディの死とフィルムの真相を探るべく、メモにあった中立地帯のレストランを目指してバスに乗る‥‥


_______________________________________________________________

The Man in the High Castle


高い城の男 (ザ・マン・イン・ザ・ハイ・キャッスル)  ★★1/2

アメリカのTV業界では今、ストリーミング・サーヴィスのネットフリックス (Netflix)、アマゾン (Amazon)、フールー (Hulu) の三強が、従来ネットワークを脅かしている。元々は劇場公開映画やネットワーク番組の再放送が主体だったが、好きな時に好きな番組を見られることや、ネットワーク番組に勝るとも劣らぬオリジナル・コンテンツの質が、ここへ来て視聴者の心をつかんだ。


特に「ハウス・オブ・カーズ (House of Cards)」や「オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック (Orange Is the New Black)」等の強力コンテンツを有するネットフリックスの人気が高い。一方、ネットフリックスは、映画はともかくTV番組は、昔の番組の再放送が基本であるため、どうしても弱い。もしTVが見たいなら、それこそネットワークが出資して展開しているHuluの方が、利用価値が高い。


私の場合、映画は見たい作品は既に劇場公開時に見ているし、TV番組はHuluを使うより、加入しているケーブル・サーヴィスのFiosのヴィデオ・オン・デマンドの方が使い勝手がいいので、もっぱらそっちを利用している。つまり、私にとってはこれらのストリーミング・サーヴィスは、映画やTV番組を見るためではなく、オリジナル・コンテンツを見るために存在している。


とはいってもストリーミングのオリジナル・コンテンツは、ほとんどの場合、1シーズンの10話程度を一挙にまとめて提供する。おかげでもしそれが本当に見たいコンテンツである場合、実際にやるやらないは別として、一度に全話を視聴するヴィンジ視聴すれば、基本的に半日で見たいコンテンツは全部見れてしまうことになる。


そういうコンテンツはせいぜい数か月か半年に一回、あるいは一年に一回くらいの頻度でしか現れない。それなのに毎月視聴料を払うのもバカらしいので、私は今んところアマゾンで、必要なものを必要な時だけその都度金払って見るというスタイルにしている。むろん今後のことはこれから現れるコンテンツ、およびテクノロジーの進化による利便性次第だが、少なくとも私にとっては現時点では、アマゾン>Hulu>ネットフリックスの順で利用価値が高い。


アマゾンは、近年はオリジナル・コンテンツの面でも先行のネットフリックスに迫りつつある。一昨年のトランスジェンダーの父 (母) を描いた「トランスペアレント (Transparent)」、昨年のクラシック音楽業界を描いた「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル (Mozart in the Jungle)」等は、人気、評価、共に高い。そして今回投入する「ザ・マン・イン・ザ・ハイ・キャッスル」もなかなか話題になっている。


「ザ・マン・イン・ザ・ハイ・キャッスル」、要するにフィリップ・K・ディックのクラシックSF「高い城の男」で、私の場合、タイトルは知っていても読んだことはなかった。もし第二次大戦で連合国でなく枢軸国が勝っていたらという状態を描くパラレル・ワールドもので、北米大陸はドイツと日本が分割して支配しているという設定で、なかなか興味をそそる。ちょっとでもそういう内容を知っていたらかなりの確率で学生の時分にでも読んでいたんじゃないかと思うが、残念ながら未読だ。それでも一時SFだってだいぶ読んでいるのだが、ディックの場合、「ブレードランナー (Blade Runner)」の原作である「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (Do Androids Dream of Electric Sheep?)」や、「トータル・リコール (Total Recall)」原作の「追憶売ります (We Can Remember It for You Wholesale)」のような著名作を含め、ほとんど読んでいない。縁がなかった作家の一人だ。


ところでたまたまではあるが、私が現在日本語で読んでいる本が、百田尚樹の「永遠の0」だ。剽窃だ二番煎じだと結構貶されているようだが、それはともかく、これ読むと、日本が戦争に勝っていた可能性もあったんだなと思う。大戦時における日本は、今から見ると最初から負けることを運命づけられていたという印象があったのだが、そうでもないらしい。あるいは、やはりそういう、もしかしたらという点もあったからこそ、逆に日本は負ける運命だったと言えるのかもしれない。


いずれにしても、そういう、枢軸国がもし大戦に勝っていたらという危惧や懸念、予感、恐怖は連合国側にしても持っていたと思われる。それをパラレル・ワールドを用いて現出せしめたのが、「高い城の男」だ。1960年代のその世界ではドイツと日本が北アメリカを掌握しているが、鬱屈するアメリカ人の間では、連合国が実は勝っていたという世界を描く発禁本が広まっていた。とまあ、そういう、いかにもディックらしいというか捻りの利いたペシミスティックな世界だ。


今回の映像化では、その発禁本が8mmフィルムになっている。この翻案はいかにもだ。せっかく映像化しているのだ。ここはそういう世界を文章よりも絵として見せた方が俄然説得力を増す。そしてそのことは、枢軸国が勝った現在を描く今の状態にも当てはまる。というか、当然番組を見ている我々の目には、生きて世界を支配しているヒットラーの映像の方にあっと思わされる。


ヒットラーも老い、健康を害し始めている。常に片手をポケットに突っ込んで人前に現れるが、実はパーキンソン氏病を患って手が思うように動かないのだ。もしかしてボケ始めているかもしれない。という微妙なディテールを描かれると、本当にそういう世界があるような気がしてくる。戦勝国であるドイツだが、総統がいなくなった時のことを考え、水面下で後継者争いが始まっている。


北アメリカを分割するドイツと日本の間も、決して良好とは言えない。お互い腹の探り合いだ。その一方で、レジスタンス活動も依然として続いている。しかしいったい、出回っている8mmフィルムは、誰がいつどうやって製作したのか。なぜこういうフィルムが存在するのか。という、想像力を刺激する世界が展開する。


ところで番組提供に当たり、アマゾンはニューヨークのサブウェイで、車両全部にナチ・イーグルを転写する派手な広告を展開した。これが逆卍のハーケンクロイツではなく、多少は馴染みの薄い士官の紋章と言えるナチ・イーグルだったのは、まだ世間の反応を考慮したからだと思えなくもないが、それですらかなりの衝撃だった。なんとなればニューヨークには、ユダヤ人、それも実際に戦争を経験したユダヤ人がまだ大勢住んでいる。彼らにとってはハーケンクロイツだろうがナチ・イーグルだろうが同じことだろう。苦情の波が押し寄せ、ニューズ・ネタになって、アマゾンは即座に広告を撤回せざるを得なくなった。ショック・ヴァリュウ、あるいは目を引くという点では、確かに効果があったのは間違いないが。


同様に雑誌広告で、自由の女神がトーチを掲げているのではなく、右手を斜め前方に突き出し、ハイル・ヒットラーの姿勢をとっているものがあった。戦後世代の私が見ても思わずどきっとするくらいなのだから、戦争体験者はやっぱりこんなの見たくないだろうと思う。よくも悪くも、戦争をまったく知らない若い世代の広告ディレクターの発想だなと思うのだった。










< previous                                    HOME

 
 
inserted by FC2 system