The Man Who Wasn't There

バーバー  (2001年11月)

ジョエルとイーサンのコーエン兄弟が、前作の「オー・ブラザー」からがらりと感触を変えて40-50年代のフィルム・ノワール風の白黒映画に挑戦。主演はビリー・ボブ・ソーントン、それに「ザ・ソプラノズ」で一躍引っ張りだことなったジェイムズ・ガンドルフィーニ、さらにいつものごとくフランシス・マクドーマンドと、「ザ・プラクティス」のマイケル・バダルッコを起用、サスペンス・ミステリーともオフ・ビート・コメディとも言えるドラマを展開する。


時は1949年サンタ・ローザ。エド・クレイン (ソーントン) は従兄のフランク (バダルッコ) と共に床屋を経営していた。妻のドリス (マクドーマンド) は事業家のビッグ・デイヴ (ガンドルフィーニ) の元で働いており、ある日、エドはデイヴから相談を受ける。実は彼はある女性と浮気しており、その現場を見た流れ者のビジネスマンから脅迫されているという。しかしその脅迫こそ実はエドが考え出したことで、エドはデイヴが浮気している相手の女性というのがドリスであることを薄々感づいており、1万ドルを手に入れ、それを元手に新ビジネスに投資することを考えていた‥‥


今時モノクロのフィルムである。もちろん今でもブラック&ホワイトで作品を撮る映画作家がいないわけではないが、それでもインディの映画作家ならいざ知らず、不特定大多数の観客の獲得が最大の眼目であるハリウッド映画で白黒映画が撮られることは珍しい。「カラー・オブ・ハート (Pleasantville)」のように一部白黒ならともかく、最初から最後まで白黒の作品がハリウッドで製作されることなど、まず尋常ではあり得ない。多分スピルバーグの「シンドラーのリスト」以来だろう。インディ寄りではあるが、既にハリウッドで発言力を持つコーエン兄弟だからこそ撮れたに違いない。今回は配給もUSAフィルムスとインディ寄りだし。


正直言うと私もモノクロ映画を見るのは本当に久し振りで、見る前は少なからず不安もあったことも事実である。色がなくてつまんなく感じたらどうしようと思っていたわけだ。しかし、そんなことは杞憂だった。オープニングの、斜めに赤や青の線の入ったやつ (もちろんスクリーン上では白黒だ) が回転する床屋のあの円柱を映す最初のショットを見ただけで、こいつはうまいと思わせる。初っぱなからこういう風に感じさせてくれたのは、最近ではスティーヴン・ソダーバーグ以来だ。実際、コーエン兄弟とソダーバーグは、実力という点では、今、アメリカ映画界で1、2を争う監督と言って差し支えないだろう。後はもう、最後まで堪能した。因みに撮影も、いつものコーエン組のロジャー・ディーキンスである。


実はこの映画、やはりUSAフィルムスは今時の白黒映画公開に不安になっており、コーエン兄弟に白黒で撮らす代償として出した交換条件が、同じ映画のカラー・ヴァージョンも製作することだったらしい。つまり、この映画にはカラー版も存在するのだ。というか、ディーキンスがこの映画で使用した撮影法が、まずはロウ・キーのカラー・フィルムで撮影し、それをハイ・コントラストのモノクロ・フィルムに焼き付けるという方法だったそうで、その方が黒い色の質感がリッチになるらしい。元々カラー・フィルムで撮っているから、カラー版製作も簡単なのだ。これだけ完成した作品を、今後劇場でカラー公開するということはないと思うが、もしかしたらヴィデオやDVDになった時に、カラー版がカップリングされて売られるという可能性は大いにある。製作した本人が意図しない手段で見るというのは邪道だと思うが、でも、そうなったらそれも見てみたい気は大いにする。


ソーントンはこないだ「バンディッツ」で見たばかりで、なるほど、ああいう頭でっかちの役ははまるなと思ったが、今回はそれにも増していい。「シンプル・プラン」よりもいいように感じた。マクドーマンド、バダルッコ、流れ者のビジネスマンに扮するジョン・ポリトと、いつものコーエン組が脇を固めているが、今回は初めてガンドルフィーニが起用され、味のあるところを見せている。辣腕弁護士役のトニー・シャロウブも、先々週見た「サーティーン・ゴースツ」よりも、今回の方が印象に残る。ピアノを弾く少女バーディを演じるスカーレット・ヨハンソンもとてもよい。相も変わらず実際より年上っぽい役を演じているが、あのハスキーな声と相俟って、えらくセクシーな感じを出している。将来楽しみ。


ソーントンはほぼ全シーンに出演しているといっていいほど出ずっぱりなのだが、その全シーンで煙草を吸っている。いったい撮影が終了するまでに何カートンの煙草を吸ったのか。ハンフリー・ボガードだってそんなに吸ってなんかないぞ。でも、きっとせっかくの白黒フィルムだし、どうしても煙草の白い煙を撮りたかったんだろう。どうせ吸わせるんだったら最初から最後まで吸わせてしまおうということになったのかも知れない。実際ソーントンだけじゃなく、マクドーマンドもガンドルフィーニも煙草やら葉巻きやらをのべつ幕無しに吸っている。アメリカでは今、煙草一箱で5ドルもするので、私は金払って健康を害すだけというものもばからしいから、止める方向で最近本数を減らしている。しかし、あれだけ盛大に吸われると、煙草止めようとするのがばからしく思えてくる。あれでソーントンが肺ガンにならないんだったら、肺ガンになるのもならないのも時の運だ。


一応この作品はフィルム・ノワールを意識した犯罪映画の体裁をとっているわけだが、途中、UFOの話が出てきた時には、非常にびっくりした。なんだこれは。やっぱり一筋縄では行かなかったか。ここまでシリアスに撮ってきて、いったいこれからどういう展開になるのか。いきなりコメディ路線に転換するんじゃないだろうなと思って、冷や冷やもんだった。私はコーエン兄弟のオフ・ビートのユーモアが嫌いではないが、それよりも「ミラーズ・クロッシング」のような美学を感じさせてくれる作品の方がもっと好きなのだ。それがいきなりロズウェルである。そういえば、確かにロズウェル事件はこの時代だった。宇宙船まで絡めるのを予定した上でこの時代に年代を設定したのか。


しかし、その辻褄をちゃんと合わせるところが、コーエン兄弟の巧さである。納得させられちゃうんだよなあ。その他にも、車のホイールが外れて転がっていくショットは「ミラーズ・クロッシング」で帽子が落ち葉の上を音もなく舞っていくショットを彷彿とさせるなど、随所にコーエン兄弟らしい演出が見られる。また、音楽の使い方のうまさも堂に入ったもので、ベートーベンのソナタが実にはまっている。とにかく職人芸をまざまざと見せられた思い。脱帽です。







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