The Legend of Bagger Vance

バガー・ヴァンスの伝説  (2000年11月)

スティーヴン・プレスフィールド原作の謎の伝説的キャディを巡る物語を、ロバート・レッドフォードが演出。タイトルは「バガー・ヴァンスの伝説」となっているが、キャディのヴァンスを演じるウィル・スミスはどちらかというと狂言回しで、彼がキャディをすることになるゴルファー、ランナルフ・ジュナー(マット・デイモン)と、その恋人アデル(シャーリーズ・セロン)が実質上の主役である。


時は1910年代、ジュナーはアメリカ南部、ジョージア州サヴァンナで当時最強のアマチュア・ゴルファーだった。しかし戦争がすべてを変える。戦場で悪夢を見たジュナーは姿を消し、暫くしてサヴァンナに姿を現した後も恋人のアデルとも袂を分かち、安酒場に入り浸る。富豪のアデルの父はジョージア州で最も美しいゴルフ場建設を進めるが、それも大恐慌のせいで金策が行き詰まり、自殺を遂げる。進退窮まったアデルは、話題作りのために当時の名ゴルファー、球聖ボビー・ジョーンズとウォルター・ヘイゲンを対戦させることを思いつく。しかしそれだけでは地元を熱狂させるには至らない。そしてかつてサヴァンナ中を沸かせたジュナーが、3人目のゴルファーとして担ぎ出される‥‥


レッドフォードはクリント・イーストウッドと同じく、学校でなくて現場で演出のイロハを覚えた叩き上げタイプの監督である。レッドフォードとイーストウッド、演出する作品の傾向にはあまり共通点はないが、奇をてらわず、いつも正攻法で手堅い演出を見せるという点において、実によく似ていると私は思う。二人共、何をどう見せるかという被写体へのスタンスの取り方が、とても似ていると思うのだ。イーストウッドが監督、主演した「マディソン郡の橋」なんて、レッドフォードが監督、主演してもやっぱりああいう感じになったと思う。私にとって二人は同じ部類に属しているのだ。


さて、「バガー・ヴァンスの伝説」であるが、この映画、レッドフォードの出世作「リバー・ランズ・スルー・イット」との共通点が多い。主人公でない第三者がナレーターとして登場し、過去を回想するという構成もそうだが、「リバー」でブラッド・ピットがやった役が、今回のデイモンと重なるところが多いのだ。デイモンが「リバー」でのピットと同じように安酒場で酒を飲んでいるところなんて、私は、これ、まったく「リバー」だな、と思いながら見ていた。しかし何が一番似ているかって、やはり過去に対するノスタルジーを強烈に感じさせる、その匂いだろう。レッドフォードは「クイズ・ショウ」もそうだったが、現在よりも過去を回想する題材の方に惹かれるようだ。


しかし「バガー」は端的に言って成功しているとは言い難いと私は思う。そこここでレッドフォードらしいというか、ツボを心得た演出を見せてはいるのだが、主人公のジュナーを演じるデイモンが作品を引っ張れるほどのカリスマを見せてないことがまず一つ、伝説となっているヴァンスを演じるスミスの出番が少ない構成も、もったいないというか、もっと彼を見せるべきだなあと思わせる。本だとヴァンスが登場するシーンは少なくても共通低音として彼の存在感は充分強調できるのかも知れないが、ここではいきなり現れて二言三言ミステリアスな助言を施すだけだ。うーん、伝説なんだから私生活を見せないで伝説のまま終わらせようとしたのもわからないではないが、キャスティングでトップにクレジットされているスミスの出番がこれだけかあと、私は思ってしまうのだが。彼のミステリアスな面をもっと見せるべきではなかったですかね。


でも、まったくゴルフと関係ないようなアドヴァイスをするヴァンスのセリフは、思わずにやりとさせられたりして、結構面白かった。同じアマチュアのゴルファーとして、うん、わかるなあ、言いたいこと、と思う点も多々あった。その中でも特に印象に残っているのが、自然に、ボールが行こうとしているところに行かせてあげる、というような助言をジュナーに与えるシーン。昔、「エースをねらえ」で似たようなことをコーチの宗方仁が主人公の岡ひろみに言っていたのを不意に思い出した。うーん、スポーツは極まると禅ですなあ。


デイモンは、はっきり言ってしまうが、大したことはない。数年前のアカデミー賞以来、若手の有望株筆頭に見られることの多いデイモンであるが、最近では化けの皮も剥がれつつあると私は思う。「リバー」のピットに較べるとやはり見劣りがするし、「プライベート・ライアン」でも最後に一人だけ浮いていた。デイモンが主人公を演じると途端に見る気が失せるので「リプリー」は見なかったが、しかしここでのゴルファー振りは、あまりにも板についてなさ過ぎる。


PGAツアーをほとんど欠かさず見ている私は、ゴルフ映画に関しては少々点が辛い。80年前、パーシモンのドライヴァーで300ヤードかっ飛ばし、負けなしの天才ゴルファーのスイングが、あんなもんであるわけがないではないか。テイクバックに入ったら左ひじを曲げんなよ。そんなの基本だろ、と思ってしまう。ボビー・ジョーンズに扮したジョエル・グレッチュのスイングがそれなりに様になっているもんで、よけい見劣りがする。ケヴィン・コスナーがゴルファーに扮した「ティン・カップ」は、冴えない2流ゴルファーという設定であるからあれはあれで楽しめたが、デイモンの場合天才ゴルファーという設定で、戦争後スイングを忘れたということになっているとはいえ、その後復活してきてもスイング自体は変わってないぜえ。そりゃあないよ。まあ、私はデイモンに対してちょっと辛いかなと自分でも思うが、それでも彼は仲間のベン・アフレックに較べれば数段ましだ。


デイモンの恋人アデルに扮するセロンは、やたらとおきゃんな富豪の娘という役柄。この間NBCの「サタデイ・ナイト・ライヴ」でもここまでやるかと思うほどあばれていたが、その方が地に近いんだろう。でも私はどちらかというと、「ノイズ」で見せていたようなシリアスな役を演じるセロンの方が雰囲気があって好きであるが。冒頭と最後に登場して過去を回想する、ナレーター役のハーディに扮するのがジャック・レモン。もういい歳のご老体だが、いいねえ、このおっさん。何を演じてもそこはかとなくペーソスを感じさせる、人生可もなく不可もなし的な生きる姿勢は、私のお手本です。しかしその若い頃のハーディを演じるJ. マイケル・モンクリーフは、10歳という設定なのに、あのじじいヅラはなんだ。怖い。私の女房は顔の中味がアン・ヘイシュだったと感想を述べていたが、私はまるでバリー・マニロウだと思った。どっちにしてもそんなものが10歳のガキの顔面にくっついていたら、やはり怖いと誰でも思うだろう。なんであんなのをキャスティングしたのか、全然わけがわからん。


とにかく、この映画が成功していないのはポイントが絞りきれてないせいにあると私は思う。ゴルフ映画としてゴルフというスポーツの魅力に重点を置くか、ラヴ・ロマンスとしてジュナーとアデルに絞るか、一人のスポーツマンの失意と再生としてジュナー一人に中心を据えるか、謎のキャディ、ヴァンスをもっと前面に押し出すか、等に絞ればよかったのではないか。原作ではアデルについての書き込みはそれほどないらしいから、映画でのロマンスはもっと作品を広く万人にアピールさせるための方便だったと思うが、セロンのファンならともかく、私には別にどうでもいいようなものに見えた。結局この二人、最後までお互い本当に好き合っているのかわからなければ、これからどうなるのかもよくわからないのだ。そんな関係の描写に時間を割いても無駄というものだろう。所々面白いところもあったが、残念ながら今回は今一つという感じのレッドフォードの新作であった。次回作に期待しよう。






< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system